クマコラム
19991231
雪におおわれた北山杉の里は静かであった。
谷底の家々をおおうようにして、除夜の鐘が響いてくる。
炉端では、当主が正月のお節料理を煮しめていた。
その妻は、お節料理ができるまで、わらじやぞうりを作って待っている。
「何でかしらんが正月のお節料理は、当主がおおみそかの晩に作るしきたりになってまんな。それにやな、中川では雑煮を祝いまへんにゃ。これくらいもある納豆餅を、炉端で祝いますにゃ。そらぁ、まめに暮らせるよう納豆が、はいっとるんどすわ。食べきれまへんやろ、それを毎日、残り福やゆうてあぶっては祝いまんにゃ。納豆の味がしゅんで、おいしゅうなるころには、正月もいんでしまうもんどすわ。」
外では、雪が降っているらしい。
炉の火がはね、遠くの方で犬が吠えた。
「こん、わらじどすか。ゴンズワラジゆうて、ほれ学校で習いましたやろな。楠公さんときの宮さん。その宮さんどすがな、その大塔ノ宮さんゆう人が追われてきてな、この村を通んなはったときに、村のもんが宮さんの歩いた足跡がさかさまにつくよう、作ってさしあげはったんやゆうとりまんどっせ。」
鍋の中には、鯛が入っている。
鍋の下の金輪(かなご)や、おろしてある茶釜(てんどり)は、利休の茶の湯の、原型を思わせるようなひなびたものだった。
鍋の蓋をずらすと、湯気が上がった。
「おとうさん、モモクリアガルほど焚いて、だいじおへんか。あむのおすえ。」
隣の座敷には、都会で銘木商を営むという次男と、その子供達とが、安らかに眠っている。
もうすぐに、「元旦早々、神前を祭る。右合同前。庄屋、裃を着て参詣すべし。」という祈りの朝がやってくる。
「京都。民家のこころ」〜年越しの炉端から〜(文・相馬 大)
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このコラムの写真と文は、とってもクマが好きなヒトコマです。
日本の文化と伝統は、日々の生活の中で残していきたいと思っています。
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