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毎日がぱつんぱつんな生き方はいやだった。大学生の時から。それから、はや30年。もはや30年だ。

大学卒業して新卒新一年生。会社の先輩たちが夕方家に帰らない。夕方かえって家で家族とごはんを食べない。それがカルチャーショックだった。そんな生き方はいやだと思った。そんな仕事環境も長くは続かないと思った。

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一人っ子の私は、友達って良いなあと思う反面、一人で遊ぶ楽しさも十分知っています。

キャロルキングとジェームステーラーの時を経た仲の良さにも嫉妬します。

とてもしみいる一曲ですね。


夫婦も最後は良い友達になれたら。

親子も最後は良い友達になれたら。

昔けんかした友達も最後は良い友達に戻れたら。

昔けんかしたどんな人たちとももう一度良い友達や夫婦や家族に戻れたら。


いいな。なんて思ってしまいました。そんなことを思わせる大好きな曲です。


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小学生の頃、友達と日本地図見ながら地名当てをした。
とうきょう。にっぽり。きょうごく。異国を想い地名当てをした北海道時代。

友人の結婚式が東京駅であった。
地の利を考えて駅での式が良いと言っていた。3階の披露宴会場までの床がふかふかしていた記憶がある。

大学時代のアルバイト。東京駅前の郵便局に深夜に行った。
さばいてもさばいてもさばききれないはがきを目の前の棚に入れる手を休め、中味を読んだ記憶がある。

東京駅には少ないながらもいろいろな想い出がある。
昨年の想い出は思い出したくない。
3/9。一昨日大きな地震がありましたねとグラン東京2階で話した翌々日。
そう戦友と話した直後だった。


大丈夫だろうか。大雨。
昨日も大雨だったけど、我が家の屋上で無事にサンマパーティー。
今朝は寒かったけど無事に風邪を引かなかった。
今夜は大雨。いろいろ大丈夫か。
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今回の大地震では、ここ葉山も大きく揺れました。
大きな津波は起こりませんでしたが、窓から見える海は短時間で満ち引きを繰り返し尋常ではない様子でした。
そのすぐ後、テレビで見た津波の映像は今も頭から離れません。
とはいえ、被災しなかった場所からできる援助は、節電・募金・献血でしょう。
騒ぎ立てることなく必要とされるときに動けるよう準備したいと思います。
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今回の大地震では、ここ葉山も大きく揺れました。
大きな津波は起こりませんでしたが、窓から見える海は短時間で満ち引きを繰り返し尋常ではない様子でした。
そのすぐ後、テレビで見た津波の映像は今も頭から離れません。
とはいえ、被災しなかった場所からできる援助は、節電・募金・献血でしょう。
騒ぎ立てることなく必要とされるときに動けるよう準備したいと思います。

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DVDプレイヤーが壊れた。
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ちゃんと考えてみようと思った。まずは近親者の死。弟を私が幼稚園の時になくした。人が集まったのでお祭りだと喜んだらしい。次はおばあちゃんの死。大学生の時。私は東京。おばあちゃんは留萌。行かなかった。次はおじさん。香住と札幌まで見舞いに行った。苦しそうにのたうち回っていた。胃ガン。おふくろの妹の旦那さん。享年55歳。棺桶に釘を打つ前顔にさわった。鉄のように冷たかった。葉山出身サーフィン日本チャンピオンの佐久間さんの息子が亡くなった。今年の正月。お別れの会に行った。七里ヶ浜は涙雨でくれていた。そして、7/4。Tさんのお通夜。人が死ぬということは他人事でしかない。と思った。一生懸命考えてみても他人事。そう。ひとごとなのだ。一番近い私の弟のことでさえひとごとだったのだ。

ひとは死ぬ。交通事故。病気。寿命。それぞれあるだろう。ひとが死ぬという事象がある反面、ひとが生まれるということもある。ひとはどこからくるのだろう。そして、死んだらどこへ行くのだろう。少子化といわれる昨今。死んでいく人と生まれる人のバランスが崩れているのだろう。そのバランスは政府、会社、地域が背負うのだろうか?そんなモンではないと思う。もっと大きなバランスが働いて動かしているのだとしか思えない。大潮満月の時に人間の女性は出産することが多いことは皆知っているだろう。潮流を考えいつ何時に魚を狙うという作戦を釣り師が考えていることは皆知っているだろう。様々な事象は地球と月、その他の関係から成り立っているのは明白である。

そんなことを前提にひとが死ぬということを私は次へのステップと考えてみたい。おそらく、有識者はすでに言っているだろう。私なりの考えはこうだ。ひとの魂は輪廻するということ。肉体的には父親母親の遺伝子を受け継いでゆく。しかし、新しく生まれるこどもは全く誰かから予期せぬ魂(=個性)を引き取るのである。肉体を失った誰かの尊い魂を引き取るのではある。その引き渡す側、引き受ける側に全く選択権はない。ひとが死ぬ生まれるということはそういうことではないのだろうか。

なので、死ぬということは次へのステップと考えおめでたいことと扱うのは不謹慎なのだろうか。私はそうは思わない。

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夏至は太陽が天球上で最も北に位置する日です。北半球ではこの日に太陽の南中高度が最も高くなり、昼間が最も長く、夜が最も短い日となります。  東京(北緯35度)の場合、夏至の日の太陽の南中高度は78°もあって、まるで頭の真上から照りつけているかような感じとなります。冬至の時の太陽の南中高度は32°しかないので、その差は46°もあります。  太陽の南中高度の違いは、太陽の通り道である黄道が天の赤道に対して23.5度傾いていることによって起こるものです。これはいいかえれば地球の地軸が黄道面に対して23.5度傾いているということで、この傾きが四季の変化を生みだしているのです。  つまり、太陽高度が高くなる夏至を過ぎると熱い夏が訪れ、太陽高度が低くなる冬至を過ぎると寒い冬がやってくるというわけなのです。実際には太陽高度の変化と気温の変化にわずかなずれがありますが、これは地球を取り巻く大気が暖まりにくく、冷めにくい性質を持っていることによります。

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『なんかヘンかなあ〜。って思ってたんだけどスタッフが、いい!いい!っていうもんで…』とラジオで。

わからない。

『一番大切なこと』(養老猛司)を途中まで読んだ。この後は読み終えてから。

朝一番で葉山警察へ行く。運転免許を更新するための法定講習というもの。5分前につく。椅子と机の席と後ろに追加された椅子だけの席があり、最後尾椅子だけの席につく。机は3人掛けだが、まん中の席はどの席もあいており、なかなか埋まらない。人間にはパーソナルスペースがあり、適度な距離がないと居心地が悪くなる。これは私の大学の卒業論文のテーマ。動物だけではなく人にも無意識のテリトリーがありその領域に他人が進入してくると嫌悪感を感じるというもの。背中側が一番その距離が小さく、次に横、前方の距離がもっとも大きい。ちょうど前方に少し長い卵形の領域を持っている。ここ10年以上、満員電車に乗る機会もなかったので、こんな講習の座席でもうっとうしく感じる。パーソナルスペースが大きくなっているのだろう。

講習が始まる前、ぼんやりと会場の様子を眺める。色気のない真っ白い壁、アスベストが入っているかもしれないジプトーンの天井。なんか悪いことでもしたのだろうかと思ってしまうくらいに空気が殺伐としている。黒板の横には「神奈川県警察寮歌」なる歌詞が掲げてあり、なんとも息苦しい。受講者は高年齢の方が多い。たまたまだろうが、高齢化を感じる。講師がやってくる。警察官が現役を引退するとこういう仕事をするのかと想像。元漫才師かと思えるような講師にあたったこともある。今日の講師は5秒で終わる話を5分以上かけて話すことにたけているようだ。

まず、例によって30分ほどの映画鑑賞。今回は事故事例ばっかりの気持ち悪くなるような映像ではなく、里見浩太朗主演のドラマ仕立てだ。酒酔い運転、ひき逃げ、懲役、妻衰弱死。その様子を交通ジャーナリストの里見浩太朗が追っていく。今までの映画と違い、居眠りしている人が少なかった。その後、最近の法改正のはなし。今年の6月から、駐車違反を民間業者が取り締まることになる。そうすると、手薄な警官が時間があるときだけ取り締まるのではなく、専門業者が取り締まることになるので、「駐車違反の場所では気を配って止めるようにしなければならない」と力説。とめてはいかん!ではなく「気を配るように」と。なんか腑に落ちない。また、チョークでの猶予警告はなくなり、いきなりステッカーを貼るらしい。同時にデジカメで証拠を残し本部に電送されるようだ。そして、運転者が出頭しない場合、所有者に切符が送られていくらしい。この専門業者に、警備会社、運送会社、建設会社が名乗りを上げ登録されたとのこと。耐震偽装でやり玉に挙がった民間建築確認機関のように結局「ゆるゆる」になっていくような気もする。建設会社なんか包みを渡すと闇に葬ってくれそうである。

最後に今までの免許証が必要な人は持ち帰ってもよろしと。後ろの机にカルタのように参加者分が並んでいた。必要ないが引き取る。新しいものと比べると確実に老けている。次はまた3年後。さらに老けているだろう。しかし、確実に何ごともなく更新出来るように気を引き締めていきたいと思うのである。いつかはゴールドカードと思いながら、晴れ渡った葉山の海岸線を原付で帰ってきた。

日曜日、打ち合わせに行く途中携帯が鳴る。運転中だったので出ることができなかった。着信履歴を見ると葉山のNさん。何かあったのかと気になり、助手席に頼み電話を入れてもらう。何かがおこったらしい。運転しながら会話に想像力をたくましくする。よからぬことが起こったのではない様子。会話が終わる。「 N さんの近くで開拓が始まり、薪が大量に出ているって。」(んんん?開拓?)「ああ。あそこか!昨日、昼に伐りだしていたところか」「他の人に持って行かれるくらいなら、佐山さんに教えようと思っってですって」「ありがたいねえ。しかし、Nさんはどうやって家まで運ぶんだろうなあ。」「こつこつと運ぶんじゃないの?」「たいへんだなあ」

打ち合わせは大詰めだったので終わるとすっかり日が暮れていた。夕方から予定していた次の打ち合わせに大遅刻。電話を入れると、快く時間変更を快諾頂く。近所とはいえ、夕飯以降の時間では気が引ける。8時過ぎ到着。お会いするのは3度目なのだが、同郷のためかお話ししていて疲れない。すっかり足をくずしてお話を伺う。ご主人は釣りと台所に立つことが趣味らしい。ご主人お手製のラフティと泡盛まで机上にあがりすっかりくつろぎモードに突入。北海道出身かつ釣り好きな私が設計すると「きっと番屋かニシン御殿になるなあ」と大笑い。いや、みんなが集まる船宿にしましょうと調子に乗ってしまった。

ここのところほとんどマックの前から離れることができず身も心も伸びきっていたので月曜日は半分休養日とする。午前中、気になる仕事をかたづけ、久しぶりに追浜の市場食堂へ。刺身と白身サカナのフライで頭がいっぱいに。行くと何故か休み。周りを見るとほとんどシャッターが閉じている。月曜日は休みなのかとがっかり。まあ、あわてる日ではないので進路を先へと進める。金沢八景あたりにはうまいサカナを食わせる店はいっぱいあるだろうなあと思いつつ。探すもピンと来る店がないので悔しいがバーミヤンへ。その後、シーサイドマリーナのアウトレットで買い物。年に一度のジーンズを新調。ここ2年、たまたまリーバイスの534を買っていたのだが、シルエットを少し細くしようと画策。すると、501がサイズフィット。501は大学時代から数えると10本以上ははきつぶしているだろう。進路を葉山へ戻し、コストコによる。アメリカ直産の大量商品がホールセールされている。50インチの液晶テレビがある。意外と大きくない。上村愛子が泣いていた。

戻るとCDくらいの紙包みが玄関先に置いてある。何気なく見てもさっぱりわからない。Ship To。フロリダから船便で届いたのか?なんだろう。あああ。アマゾン経由でカイマンに注文していたJAZZが届いたのだ。もう1ヶ月くらい経つのですっかり忘れていた。2枚バラバラに届くのか、フロリダから。大変だなあ、なんだか。パッケージを開け、クレジットを見ると1961年NYで録音。このミュージシャンは知らなかった。昨年暮れiTuneのラジオではじめて聞いた。ドラムとベースワークがこぎみ良いとメモっていた。ただそれだけで詳しく調べずに買ったのだが、私が生まれた年の録音だったとは。夜になるのを待って地下に潜りA7に通す。ビブラフォンがメインのカルテット。狙ったとおりリズムセクションがすこぶる良い。にぼしと焼酎で身も心もとけていく。

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一日ラジオを聞きながら仕事してました。
「サンフランシスコにある『3フラン汁粉(しるこ)』っていう店知ってる?」
「えええ?そりゃあ、松戸にある『マツドナルド』とおんなじだべ」
そらみみCMにしてはお粗末だけど初めて聞いてくくくっと一人で笑ってしまいました。

神奈川に「オストアンデール」っていうお店があるの知ってます?
何屋さんだかわかりますか?
鯛焼き屋さんだそうです。

あられやこんこん ふってもふってもまだふりやまぬ
い〜ぬはよろこび にわかけまわる
ね〜こはこたつでまるくなる

///////こんなことは今までなかった…///////(と思ったのは昨年はじめ)

それから刻々とと進んでいるようだ。今日午前中仕事していたのだが集中出来ない。どうしたものか…。思い切って更新することに。ランチを兼ねて昨年行った眼鏡屋に行く。横浜横須賀道路を北上し二つめのインターチェンジで降りる。いつもの「こうなん」に先客がが並んでいたので食べる前に眼鏡屋に。実はこの「こうなん」は昨年この眼鏡屋の店員から教えてもらって以来ファンになっていた。

ひととおり、気に入ったデザインを選びインフォメーションへ。
「今お持ちのメガネと同じ度数で良いですか?」
「いえ、検査してもらいたいのですが」
「では、眼科のカードはありますか?」
「(ん…?)ありません」
「では、保険証はありますか?」
「はい…。(何故か常備)」
「では、眼科で検診してきて下さい」
と別のスタッフに2階へ連行される。
2階へ行くと大混雑している病院だった。
まるで、TVの『ER』か、『24』の様。

待たされている間いろいろ頭の体操。
1階が安売り眼鏡店、2階が眼科。いかがなものか。
病院と葬儀屋は提携してはいけない。
地質調査屋と地盤補強屋は提携してはいけない。
設計者と施工業者は提携してはいけない。
病院と薬局は別でなければいけない。
警察と泥棒はつるんではいけない。
政治家と法律家と役人は提携してはいけない。
構造設計者とデベロッパーは直接コンタクトしてはいけない。
TVプロデューサーと視聴率モニターは逢ってはいけない。

何故眼鏡屋に行ったのに眼科で診察を待っているのかが理解出来ないまま診察台に。最近目が疲れて近くのものが見えづらくちらちらしてどうしようもありません。と、言うが早いか、これをかけてくださいと。「遠近両用にしますか?専用メガネにしますか?」「(もじもじもじ…。)りょうように。」
それにしても平日の木曜日なぜこんなに人がいるんだと言うくらい人であふれていた。診察が終わりカルテと共に1階へ。選んだメガネと一緒に担当者がつく。若い白衣のおねーさんがいっぱいいるのにかなり昔おねーさんだった方が担当に。てきとーにできないらしく私が選んだメガネは合わないとのことで選択し直し。選んだメガネはレンズの天地寸法が小さすぎ遠近両用メガネにはいかがなものかと。その場合、中間距離のパソコンに向かうくらい距離が見にくいらしい。まあ、そこはどうしてもだめだったら専用のメガネをつくればよいということに。これが効いて結局2時間半経過後終了。終了間際、2万円以上お買いあげの場合は、もう一つメガネサービスです!とのことでパソコン専用のメガネをタダでもらう。さらに2階の眼科診察料はサービスでメガネ代から引かれていた。うん〜〜〜。得したのか損したのか。微妙。こんな提携はいいのかも。しかし、最初からメガネ代に仕込んでいれば売り手の腹は痛まない。いろんなしょうばいがあるものだ。でも、昔のおねーさん一生懸命やってくれたので不愉快にもならない。これは商売の基本だろう。たぶんまたお世話になると思った。

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今日も昨日に続いてとても暖かい朝ではじまる。日中外で10℃、室内20℃。春のようだ。でも、朝一薪を投入し低温で焚き続ける。土日も打ち合わせや雑用で仕事をしていたので少しスロースタート。この仕事をしていると休みという休みはない。もっとも、フリーでやっている人たちは、みな同じだろう。休みが多いと不安だし、休みが少ないと愚痴が出る。しかし、年中仕事をしているかといえばそうでもない。まあ、財政管理をしっかりやりくりできれば人間らしい生活ができるので不満はない。

ランチにひとりで外に出る。一人で行くところはたいてい決まっている。サンマー麺がうまいラーメン屋。そばが美味しい鶏カラ定食のそば屋。チェーン店だが横須賀海軍カレーラーメンがうまいラーメンショップ。コストパフォーマンスが高いトンカツや。サンマー麺は月曜休みだ。軽く悩んで、トンカツを目指す。店の前につくと15台は止められる店前の駐車場は満車。思わず、Uターンし海軍カレーラーメンに変更。しかし、5分ほど走ったところでどうしてもトンカツが脳裏を往来しているので、またもUターン。まあ、1回転すればすくだろうと並ぶ覚悟で戻った。しかし、車は減っていなかった。待てど暮らせど車は減らない。トンカツ屋は2階。1階はペットショップの工事中。どうやら、オープンを間近に控え開店準備の車でごった返している様子なのだ。ならば、店はそうでもないだろうと隅っこの空きスペースに車を止めて階段を上がる。しかし、店の中もごった返していた。見ていると会計をしないでそのまま店を出て行く人が多い。そして入ってくる。「ロースか焼き肉でお願いしま〜す。」あああ。下の店のスタッフの昼食を提供していたのかと、合点。それにしても、スタッフが多い。工事は終わっているらしく、ディスプレィ要員、ペットフードメーカーの営業&部長、チェーン店なのか教育担当らしき人、そのチェーンのお偉いさん(みたいな人)。たった20坪程度のペットショップに20人以上が開店準備に群がっていた。ずいぶん儲かる仕掛けがあるのかなあとあっけにとられていた。いつものように、ごはんとキャベツをおかわりしようとすると、キャベツはダメだと断られてしまった。先週は大丈夫だったのに。葉物高騰しているからかもしれないな。とランチタイムは終了。

遅い午後、約束の時間前にチャイム。早いなあと思っていると、日丸産業さんの年始挨拶。昨年までは15年近くお付き合いのある溝口さんだったが、今日は笹原さん。おっ。社長の息子だ。昨年暮れ熊本の夜勝手に乱入して溝口さんにお世話になってと世間話をして終了。その後、成幸建設の宮原さんが予定通りに来所。湘南台のSさんのすまいの最終見積もり&コストダウンの方針を確認して打ち合わせを終わる。

今年は新宿の「OZONE家づくりサポート」の登録建築家に参戦しようと準備する。もう少し我々の考えや活動内容を知ってもらう機会をつくろうと思う。そのためにもろもろの資料を整えている。運営者側の資料になるだけらしいのだが、今までの建て主から推薦状を用意するように言われていたので身近な方にお願いした。とてもうれしい推薦文をいただいたので別の機会に披露したいと思う。
自分の居場所はどこだ、離婚しないすまい、家族って何、とエントリーを書いたので、様々なコメントをもらっている。おそらく、かなり複雑であいまいかつそれぞれなことなのだと思う。今まで住宅を設計してきて、どのすまいもある分類にくくれないのと同じようにそれぞれの数だけこたえはあるのだろう。あせらず、それぞれの家庭と向き合ってこたえを見つけていくしかないのだろうが、その先をしっかりと見据えておかなければ、設計事務所の役割はないんじゃないかと思っている。

今日の新聞に携帯電話でTVが見られるようになるとあった。今すでにTV番組あるいはTVは家族の共通話題ではない。チャンネル争いに負けたものが仕方なく勝者につきそい仕方なくそれを見るということはない。裏番組をDVDなどで録画しておけばいいのだ。あるいは、家族分あるそれぞれのTVで見ればいいのだ。一昔前は家族でごはんを食べた後、しばらくは同じTV番組を家族で見ることはあった。今では家族がそれぞれに忙しいのでほとんどないのではないか。少なくとも私が成人するまでの当時に比べて。
私の高校生時代までは、朝食、夕食は家族で食べていた。高校生の時でさえ、18:30には帰宅する父に合わせて家に帰り夕食を共にしていた。その後、私がサラリーマンになってそのような光景は全くない現実に軽く驚きを覚えたものだ。しかし、さるこに話を聞くと家庭それぞれだろうが食事はもうばらばらにとるようになっていたという。家庭それぞれの家族関係もあるだろうが、子どもは子どもで塾通いやなにかで毎日が忙しかったらしい。食事もTVも家族そろってみることは希だったという。

先週、仕事場のスペースを片づけた。毎年更新される建築関係のカタログ類はほとんど捨てた。必要ないからだ。インターネットで検索すれば瞬時に最新情報が手にはいる。割り切って捨てたすてた。ぜ〜〜んぶ捨てた。すると7畳程度の仕事場からすっかりものが減りがらんとしてしまった。「寒々しいね」と嫌みを言うさるこに「クールに仕事をしたいからね」と応戦するがたしかに寒々しい。過去10年ほどの仕事もCD数枚に納まっている。デジタル時代に場所は必要ないのだ。それでもわずかに残しているものは『想い出の品』だ。仕事や遊びその他の手元においておきたいもの。住宅雑誌、真空管アンプ、魚拓、カブトムシの幼虫。
パーソナルスペースの概念が変わりそうだ。ものに依存しているうちはそれなりのスペースが必要だろうが、記録がデジタル化され記憶と想い出だけに実体をもとめるのであれば最小限スペースの概念が変わる。極論すればパソコンさえあれば、携帯さえあれば、仕事はできるしコミュニケーションは可能だ。こうしてブログに記事を書くだけで多くの人と意見交換ができる。もしかして、実体のある家族以上に親密な精神関係を築くこともあり得るだろう。

TVが携帯で見ることができるようになり、食事も一緒にしなくなり、家族が共有するものはいったい何になるのだろう。毎日の時間じゃないのは確か。『岸辺のアルバム』というTV番組があった。洪水か何かで家族のアルバムが流されて無くなってしまうことが、家そのものがなくなることよりも悲しいことと山田太一がいってたような。まさに家族の成長記録こそが唯一家族を実感させることなのかもしれないなあ。とすれば、子どもがいれば小学校高学年くらいまでの家族と行動を共にする時代の記録が揺るぎないものとして繋がっていくためのエネルギーになるのかもしれない。

何故、こんなことを考えるのか。それは携帯でTVを見られるようになることで、記録がデジタル化されることで、食事をすることが家族イベント化され、それも忙しくなる前の子どもとの共有時間のみが家族を繋ぎ止めるエネルギーに…となっていくと、それに求められるこれからのすまい像ってなんなんだろうと考えざるを得ないからである。仕事場をデジタル化した感想から1/3でスペースは充分である。おそらくすまいの広さの概念も大きく変わるだろうなという直感があるのだ。

今日は朝から久しぶりの雨。記憶によると40日ぶりだ。午前中雑用をしているうちに『イン メモリー オブ 洋之介』セレモニーの時間。案内の中に「 ※服装:平服(CASUAL TO FORMAL UP TO YOU)皆様のお好きな服装でお越しください。」とあったのでいつもの服装で出掛ける。途中、逗子で白い蘭の花束を購入。鎌倉プリンスにつくとかなりの人だかり。スタッフに駐車場の空きを聞くとまだ大丈夫とのこと。坂の上の鎌倉プリンスホテル入り口前の広大な駐車場に滑り込む。そこから海を眼下にしながらバンケットホール前の会場に向かう。セレモニースペースに到着すると父・浩さんの挨拶が始まっていた。千人以上はいるであろうひとだかりに近づくとあることに気がついた。全体的に一群が黒いのである。25歳の若者の突然死、海を愛するサーファー、平服で、とのことなので明るく皆で送ってあげるのかと勝手に思っていた。そこにはごくごく一般的なお別れの会のシーンが展開されていた。3〜4人の知り合いと挨拶を交わすが思いっきりカジュアルな普段と違って皆グレートーンだ。赤いマウンテンパーカーを着てジーンズ姿の私はすこぶる浮いていた。不謹慎だが根っからの湘南葉山の方のお別れ会に呼ばれることでやっと地元に馴染んできたのかと想っていたがまだまだ遠いのかもしれない。セレモニーが終わる正午過ぎ雨足がさらに強まった。


遅い午後、Nさんご夫妻と「すまいの設計前アンケート」を前にヒアリング。途中、『離婚しないためのすまい』について逆に質問される。男の視点と女性の視線は違うのでと前置きし私の仮設を説明。「すまいの中にお父さんの居場所が必要だ」がその仮設。一般的にお母さんや女性の居場所はすまいの中にたくさんある。子どもたちにとってお母さんの存在感は相当なものだろう。そんな自分の存在感が希薄なすまいにお父さんあるいは男の帰巣本能を刺激する場所が必要だということ。よくわからない「家族関係」という精神的なつながりがしっかりしていればそれはそれで問題ないだろう。しかし、所詮夫婦は他人である。いつまでしっかりしているかはわからない。それをハードで繋ぎ止めておくことはできないだろうかというのが私の仮設だ。
また、『自己確立の欲求とすまいづくり』というエントリーで書いているように人間も人生も家族も成長を重ねる。最終的には男も女も人生も家族もその本質を見極めたいという「第5段階」に突入する時期が来る。その向き合うときにすまいの中にそれぞれの居場所が必要ではないか。お母さんの存在感でいっぱいの肩身の狭い我が家ではなく、同志がたくさんいる赤提灯や体内回帰をくすぐる暗闇のバーではなく、お父さんの存在感がデンとしている我が家で「第5段階」を迎えるのが皆の幸せになるのではないだろうか。
お父さんの存在感、帰巣本能、仕事を離れて自分と向き合える場所、そんな仕掛けをすまいというハードに採り入れる。これは簡単そうでいながらかなりむずかしい。すまいを構築する家族の成長過程がマズローで言うところのどの段階かで違ってくるような気がしている。段階が浅ければ浅いほど、「今の生活」に必要なことで構成されがちだ。「今の生活」に直接関係なさそうなアイテムは切りつめられていく。すなわち、お父さんのアイテムが切りつめられていくことが多い。そして存在感も希薄になるのだ。たまたま一般的に「お父さん」がその立場になることが多いので例えているが、逆もあるだろう。極論は家族を構成する全員がそれぞれの居場所をすまいの中に造ることができ、それぞれがつかずはなれず関係を保てるようにできることが望ましいと考える。
それらの関係性を保つことができるアイテムは、卓袱台かもしれないし、薪ストーブかもしれない。が、そのアイテムは家族によってそれぞれであるし、ハードはきっかけにしかすぎず、本質は思いやり合う家族の精神的関係なのだと言うこと。あくまでもハードはサポートでしかない。男の視点の仮設である。どうやら、女性の視線は少々ことなるようだが。


明日から46年目を生きる私はマズローのどの段階だろうか。考えると途方に暮れる。自分のことはよくわからないのだ。自分の居場所はどこにあるのだろうか。そして、どこに向かおうとしているのだろうか。

運転免許証の更新手続きをしてきた。明日の1/14で45歳になる。ずいぶんと歩いてきたものだ。平均寿命からするととっくに折り返し地点を過ぎている。最近特に毎日が急いですぎていゆく。そんなにあわてて過ぎて行かなくても良いのにと思う。地元の警察署に必要書類を持って行く。写真がいるのでスピード写真でぱちり。こればっかりは何度やってもうまくいった試しがない。たまたま、前回と前々回の更新時の写真もあったので比べてみると確かに年輪を感じる。昨年は一般道で「ここはねずみ取りやってるぞ!」と独り言を言いながらみごとにつかまってしまっていた。それも2回。ゴールドカードには縁遠いかもしれない。

帰りに本屋による。ブルータス・カーサで『最強・最新!住宅案内2006』を購入。一般生活者向けの住宅検討雑誌だ。気になる記事がちらほら。同じ大学卒同じ研究室出身の後輩が活躍している。広島で活動しているが斬新だ。別の記事。例によって生活している写真が載っている。隙間だらけの手摺に安全ネットが張り巡らされている。これは一般生活者向け住宅雑誌でよく見る光景だが釈然としない。若気の至りであればしかたないが、ベテランの作家作品だ。いずれ子どもが自立したらネットがはずされ作家の意図通りになるからいいのだろうか。作家の美意識を押しつけているようにしか思えないのだが。雑誌の印象は全体的にファッショナブルすぎる。建築ってコンクリートや鉄、材木などの重たいものを背負って走っているので走りが重くて当然。法規的な制約や恒久性を求められないインテリアデザインに比べても圧倒的に不自由だ。ましてやアパレル的なファッション性とは縁遠いものなのだが同じ視点で建築を捉えているようにしか思えない。実験建築をあたかも最先端のかっこよさのように扱っている。雑誌という限定枠の中での出来事なのだと割り切れば良いのだろうが、一般生活者はそうとらえるだろうか。あやうい。しかし、こんなことを考えているようだと建築マスメディアへのゴールドカードも遠いかなぁ。

引き続き「ポールの薪ストーブ入門」を眺める。多くは経験上知っていることが多い。プロ側に立つ私なので当たり前なのだが『へえ!』と感心することも。薪を割るときはぱ〜んと気持ちよく割れれば割れるほど左右に薪は飛んでゆく。そしてそれをさらに割らなければならない場合飛び散った薪をえっちらほっちら右往左往しながら薪割り台に集めてくる。こうすればそんなことをしなくても良いらしい。どうするかというと割ろうとする薪に古タイヤのわっかをはめるのだ。そうすると的をはずして薪にあたらなかった場合でもタイヤにあたるだけで良いという。本当ではあるだろうがいちいち薪を割るたびにタイヤの設定位置も調整していく必要がありそう。それはそれで大変そうなのだが、きっとうまいコツがあるのだろう。しかし、感心しきりである。薪ストーブも薪割りも経験を積めば積むだけうまくなってゆく。雑誌などを見て知っているつもりでも、実際に経験を通じてあるいは失敗を重ねて知恵にまで昇華してゆくらしい。昨シーズン開眼した『薪ストーブの火鉢焚き』(佐山が勝手に命名)は今年になっても目からウロコ状態である。2〜3週間焚き続けても灰がたまらないのである。ちろちろ24時間焚き続けているから新聞などの着火剤は必要ない。だからなのかあまり灰は増えていかない。しかし、灰は堅くなってきているのは事実だ。面白い。薪ストーブ愛好者にゴールドカードは必要ないだろうが、年々確実に知恵がたまっていく。

朝一番、電話が鳴る。午後一に近所の「葉山。木・風・野天風呂のある家」のアルミサッシュ結露チェックに行く予定だった。そのHさんから都合が悪くなり明日に変更出来ないかとの申し入れ。塗装担当のWさんと再塗装の打ち合わせも兼ねていたのでWさんに調整の電話を入れる。明日朝一でオッケーとのことなので明日朝一に予定変更終了。

昨日、午後終日クライアント候補のN御家族と葉山近辺の完成現場をツアーした。Nさんの希望で葉山周辺を回るが、ツアー後半あることに気がついた。それは全ての家に薪ストーブが導入されていたことだ。一番目は竣工後一年経った昨年暮れ、一緒に薪ストーブを設置したNさんのお宅。薪の手当に手こずっているらしかったので手みやげに、暮れ「浅羽町。木・風・ピロティのある家」のYさんからのご厚意でもらってきたサクラを一袋30Kgほどを持参。施工者の山洋工業の材木屋からぼちぼち建築廃材を仕入れているとのことでひと安心。薪ストーブはオーストラリア産のPECAN。かなりいい働きをしているようだ。でもNさんのところは冬のダイレクトゲイン(太陽熱直接取得)が効いているので寒くない。訪問中もあたたくて上着を脱いでしまった。

2件目は明日朝一緒に行く塗装家のWさんのうち。着々と施主施工のいろんなところに手が着いていた。Wさんのうちは煙突だけ完成時に仕込んである。薪ストーブはまだなのだ。3件目は、湘南国際村のTさんのお宅。事前に連絡していなかったので、外装だけ見学させてもらう。一通りNさんに説明して車に戻ろうとすると、Tさんのお嬢さんと息子さんに遭遇。「お父さんいる?」と聞くと家に戻りすぐ出てきて「お父さんいるよ〜」とのこと。忙しいお父さんなのでラッキーと思い、久しぶりに挨拶。木部の塗装をそろそろしなければと年賀状にも書いておいた。他にもやらなければならないことがあるのでというので、あらためて時間を取る旨伝える。新年早々、挨拶がてら完成現場を回るのは悪くないなあと思う。今まで、ちょっと挨拶しなさすぎたかな。4件目は逗子葉桜のKさん宅。ここのご主人も奥さんも不定期な時間でお仕事をされているので気を遣う。声をかけずに外観だけを見学。夏に煙突から鳥が入ったと連絡もらうがその後はうまくやっているらしい。5件目は鎌倉のOさん。もしかして、ご在宅であれば薪ストーブの様子もお聞き出来るかも知れないと思い移動途中で連絡を入れる。娘さんが出て父母は不在で自分も出掛けるという。外観だけの見学の了解をもらう。到着すると、家の中に人の気配。ノックするとOさんご夫妻が。娘さんからメールがあり私たちが向かうとのことで急遽戻られたそうだ。薪ストーブを使い始めて3シーズン目。朝起きたときの室内温度が20℃だそうだ。ざっくり40坪くらいのすまい全てを薪ストーブひとつでまかなっている。真冬の今、朝起き抜けの20℃は最高の贅沢だ。ホントに暖かく夏涼しく建て替えて良かったと喜んで頂いた。今回のツアーを希望されたNさんはなんとなく鎌倉のOさんのお宅に興味があったようだ。住みはじめたことで気づく細かいいろんなことをお聞きしながらツアーを終えた。

今朝の電話で予定が変わり一日ワークスペースのリニューアル。2年以上手つかずのものは廃棄。これをコンセプトに身の回りを整理することに専念。昨日、葉山完成物件ツアーの前後に掻き出しておいた不要物を昼にクリーンセンターに出す。これは燃えるゴミ、燃えないゴミ、プラスチック、もろもろと悩んだ末に自分なりの仕分けで軽トラいっぱい持って行く。悩んでいたものはあっさり『燃えるゴミでいいよ〜』で結着。
午後からず〜っとリニューアルに向けて片づけ。心を鬼にして淡々と進めようとするのだが、『みてみて!』とゴミが呼ぶ。ちょいと横目に見てしまうと軽く30分は過ぎてしまう。身のまわりにあるものだけにいろいろ思いが詰まっている。それをえいや!と捨てていく。2年は見ていないのだ。この先も見ないだろうと割り切りやっていく。

年賀状が届く。最終コーナーだろう。形骸化しているとはいえ、一年に一回だけの交流はそれぞれに想いが重なる。メールで簡単な挨拶を済ませる方法もあるかもしれないが私はこの年一回の文通が好きだ。今年は300通くらいだろうか。毎年同じ文句のやりとりでも『ああ、かわっていないなあ』それで良いのである。今日は30通くらい届いた。

1/2から1/6までの5日間留守にしていて蓄熱量が空になった我が家もやっと平常時に戻ったようだ。1/7から1/10の4日間かかった。1/6の夜に薪ストーブを焚きはじめて昨日の1/9のお昼くらいにやっと戻ったようだ。今は、1階22℃、2階22℃、3階19℃だ。温暖な神奈川とはいえ常に室内気温18℃をキープできるのは薪ストーブを熱源とする蓄熱と常時低温暖房のおかげだろう。私が設計したすまいで床暖房系の設備を導入したすまいの方は一日のうち4〜5時間ほどで良いので毎日暖房して下さい。寒いと思ったときにエネルギーを投入するのではなくて、毎日毎日少しずつエネルギーを蓄えていくことで寒くない家になりますので嘘だと思って実行して下さいまし。寒いと思ってからでは遅いですからね。

昨日の夜は横浜で「真空管関係新年会」だった。久しぶりに電車に乗る。逗子まで原付で行く。夕方の16:00に家を出る。寒い。身を切るような寒さをほおに感じながら走る。駅に着き路線図を見ながら切符を買う。逗子駅を出発した車窓からヘンな看板を目撃。『スイカで降りる方はこちらへ』北鎌倉駅だった。『へえ。西瓜で乗車賃を払うことができるんだぁ〜』。はたまた、北鎌倉(キタカマクラ)って、キタマクラみたいだなあ。久しぶりに電車に乗るとすべてが物珍しくて興味が尽きない。

そうこうしているうちに、横浜駅に到着。人が多い。北海道から東京に出てきた18の夏は渋谷が大嫌いだった。人が多いから。あのスクランブル交差点は今でも近づきたくない。横浜駅も同じようなもの。京浜東北線に乗り換えるためにホームに出る。風が冷たい。1/5の吹雪の中での釣りよりは良いかと思ってみるが、もしかしたらそれよりも寒かったかもしれない。そうこうしているうちに関内につく。逗子までの最終電車の時間を駅員に確認。今日は終電で帰ろうとからだが催促していた。先週、横浜で始発電車帰りをしたところ身体が言うことを聞かなくなってしまったのだ。もうオールはきついようだ。

いつも脳内活性でお世話になっている「ザ・キット屋」の大橋さんが横浜に仕事で出てくるという。それに合わせて、昨年夏に乗鞍のペンションで交流させてもらったMさんとAさんと新年会をやろうというのだ。場所は、アルティックA7と真空管でジャズを聴かせてくれるというイタリアン。なんという好都合な場所なのだ。後で聞くとMさんがネットで検索して出逢ったらしい。そのお店に行く前に、横浜のディスクユニオンでアルバムを探す。今日の探し物は「レイ・ブラウン、ジミー・ロウウエルズのThe Duo Sessions」と「Steve Masakowski の for Joe」。どちらも無くて残念。最近、ジャズもデュエットものかソロもの、しかも弦ものが耳になじむようだ。お店に着くと一番乗り。続いてやってきたのは、一見『尊師』。私は知らなかったのだが新年会に参加メンバーだった。次に大橋氏。大橋さんに左の方は初めてなんですと話すとKさんという大学の先生という。院生時代はやはり『尊師』と呼ばれていましたとにこやかに。つづいてMさん、Aさんとやってきて美味いイタメシを肴に真空管会議が続いていくのであった。しかし、途中でそのお店は「キット屋倶楽部」「野生の王国」のお店だと知り、奇遇ながらも世間は狭いと思うにいたる。楽しい時間を過ごして最終電車前に逗子に向かった。

身を切るような寒さの中家にまでたどり着く。Macに向かうと近所の「葉山。木・風・野天風呂のある家」のHさんから明日鎌倉のライブハウスで「うっちゃん」のライブがあるけどどう?と誘いのメール。うっちゃんとは、あの元キャロルのリードギタリストの内海利勝さんなのだ。昨年の正月明けにも鎌倉でライブをやった。その時は客が5〜6人でアットホームにブルースを聴かせてくれた。もちろん、キャロル時代からのファンなので行くとも!と即答メールを返信しておいた。しかし、朝起きると少し寒気がして、鼻の奥がむずむずするのでやめとこうとことわりのメールを入れた。うっちゃん、昨年のMCでは息子が結婚して父になるといっていた。ということは、おじいちゃんになるということだ。すべてが、刻々と過ぎているらしい。来年のうっちゃんライブは体調を整えて行きたいと思う。

本日夕方、私がお世話になっている佐久間不動産のおやじさんの息子、佐久間洋之介さんの不慮の水難事故の件で、「葉山。木・風・塗装家の家」の建て主であるWさんと電話で話した。実は、1/4の愛媛宇和島の洋上で電話が鳴っていたらしい。すっかり気がつかないままでいたので、Wさんに電話した。1/2に素潜り中意識を失い1/4に水死体で発見されたのだ。その捜索にダイバーでもあるWさんもかり出されたとのこと。葬儀は身内だけで行い、お別れ会を1/14、午後鎌倉プリンスでやるとのこと。佐久間洋之介さんは、知る人ぞ知る葉山出身のサーフィン日本チャンピオンなのだ。葉山真名瀬の小屋でお会いしたことがあるが礼儀正しい好青年だった。自慢の息子さんを亡くしてしまった父・浩さんの気持ちは計り知れない。そして、まだ25歳の道半ばで人生を終えた洋之介さんはもっと悔しいに違いない。

いろんなことがびょうびょうと過ぎていく年の始まりだ。一期一会を大切にして時間を大事に過ごしていきたいと思う。先祖の墓参りからはじめた今年は、その甲斐があってなのか大きく様々な話題を提供してくれるようだ。

今朝、長距離移動の疲れもとれないままぐずぐずしているとチャイムが鳴る。寝ぐせもそのままに出ると知り合いの不動産屋さん。ピンときた。1ヶ月ほど前、となりの土地の所有者の甥という方が更地の様子をチェックしに来ていた。そして、暮れも押し迫った頃、測量屋さんがやってきていたのだ。甥の方はのらりくらりとまだ売るかどうかわからないと言っていた。しかし、オバの状態は芳しくないとも。
「まずは、佐山さんにお知らせしておかないと…」と不動産屋さんの担当。思ったより動きが早いなあというのが正直な感想だ。まだその不動産屋さんに売りを申し込まれて日が浅いらしい。あと1週間くらいは自分のところでもっているがそれ以上になると情報を公開していくだろう。その前に買う気がある人は手を挙げないと情報がオープンになるのでその気があるならここ1週間程度が勝負になる。

私のところに来たことがある人は海の見え方に感嘆する。冬の日差しはほとんど期待出来ないが、眺望はなかなかのもの。もし、その気がある方がいらしたら私まで連絡下さい。その際は私が設計するという条件が付くが、設計者がとなりに住んでいるというのはかなり心強いことになると思う。是非、興味のある方は問い合わせてみて下さい。

佐山までの問い合わせメール→m.sayama@vivid-style.com
問い合わせ電話→046-877-1091

正月の二日から六日のまでの五日間パソコンの無い生活を過ごした。ここ数年は寝正月を基本としていたのだが『今年は墓参り』と決めたので、まずはさるこの実家(岡山)に挨拶に。最近は地方の設計巡業も少なかったのですっかりモバイラーではなくなっていた。出発直前にモバイルセットの準備を始めるが、PowerBookをサブにして以来、かまっていなかったので言うことを聞かなくなっていた。まあ、いいやと手なずけることをあきらめ、Mac無しで旅だったのだ。

思えば1999年にはじめてホームページを開設して以来、あるいはメールにて業務連絡その他をやりとりするようになってからの最長記録かもしれない。それほど、最近はインターネットとメールにどっぷりとつかった日々を過ごしているということだ。これは、仕事そのものの設計・デザインをパソコンで行うことになっている訳で、仕事=Macなのだから当然といえば当然なのだ。逆を言えば、Macに向かわない=仕事をしていないともいえる。

で、Macの無い生活はどうだったかというと、『あんまり関係ないね』と粋がってみたりするのだが、情報量がぐんと減るって感じは正直なところだ。その情報量をTVやラジオで補完するのだが、入手したいときに欲しい情報を手に入れる習慣がついているとまどろっこしい感じはいなめない。なかでも一番気になっていたのが、このサイトの状況と業務連絡メール。このサイトが誰かに壊滅的にいぢめられてしまってはいないかとか、「今すぐ相談したいんです!家のことで!」のような緊急メールが飛び込んできていないかという強迫観念はありましたですね。で、1/3に墓参りを済ませた後、愛媛の宇和島までチヌ(黒鯛)を求めて一泊二日の旅に出たんだけど、やっぱり気になったので宇和島でインターネットカフェに飛び込んだ。何もなかったので安心したのだが、やっぱり生活の中枢部に入り込んできていることを痛感したのだ。


ところで、このサイトはもともと公私混同のPA(パブリックアナウンス)なのだが、もう少し日記的なものでも良いかなという気がしている。その日その時に感じたことをそのまま時系列的に追っていくことで、ごろん@佐山、あるいはさるこ@鈴木の脳内事件簿が暴露されブログが見ている方とのコミュニケーションツールになるといいなと思っているのだ。というのも、最近物忘れが激しいし、昨日のことも忘れてしまっている…という忘備録的なところも期待しているのだが、『それぞれの薪ストーブ』をエントリーしたおかげで日々交流が頻繁でない方とのコミュニケーションができたりと思わぬ良い効果があったのだ。そのやり方にまだ慣れていないせいもあり、このエントリーもそういうスタイルでやろうと思ったのだがそうはなっていないだろう。まあ、いいか。そのうちさまになってくるだろう。

昨日今日で1000キロ近く走った。宇和島から岡山までざっくり300Km。岡山から葉山までざっくり650Km。さすがに疲れる。親に帰ることを告げると葉山も寒いので薪ストーブを焚いておいてくれるという。まあ、ありがたいがクセがあるので大丈夫かと思ったが任せた。京都を通る名神〜東名コースを帰ると関ヶ原のあたりで雪に遭いそうなので、大阪から名阪国道〜伊勢湾岸道を狙う。が、伊勢湾岸道がカーナビにないため名古屋市内に入ってしまう。友人が刈谷ハイウェイオアシスの支配人をやっているので親へのおみやげはそこで調達しようと思ったのだが迷走してしまい断念。しかし、名阪国道ってなぜか景色が悲しい。何故だろう。
雪が想定された近畿名古屋を無事に通過すると、御殿場から雪だった。路肩に残雪も。高速道路は車が走っているので路面はしっかりしているが、給油に入った足柄SAは路面も雪。試しにブレーキを踏んでみるとABSが効きまくり。油断ならぬと走行再開。大井松田からは雪もなくなり無事に葉山に。
家に着くと1階は薪ストーブでほんわか。しかし、3階は5日間留守にしていたせいで室内気温8℃。寒い。純粋の木造住宅とはいえ、毎日薪ストーブを焚いて人間が生活していることによる蓄熱は威力が大きいとあらためて実感。それにしても、無断熱に近い岡山の実家は寒かった。灯油ストーブを焚くとぐんぐんその部屋の温度は上昇するが、消したとたんにぐんぐん下降。ストーブに温度計がついていたので見ていると5℃〜20℃を上下していた。エネルギーの無駄使いだと思う。そういえば、愛媛の釣り宿の部屋もシングルガラスで灯油ストーブ。寒かったなあ。極寒地方でなければ、断熱と暖房方法が無頓着なのでエネルギーロスが大きいのだとあらためて思い知らされたのだ。

我が家も今日の夕方から6〜7時間薪ストーブで加熱しているのだが、これを書いている2階はまだ14℃。寒い。これから毎日毎日、蓄熱していこう。

手元に残った写真データで今年一年を振り返る。

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マンション、ホテルなどの強度偽装問題で苦しむ生活者は出なかっただろう。

今年は台風直撃の被害が多くないのが幸いです。
キロギーも刻々と日本に近づいているようです。
悪さすることなく過ぎ去っていってくれることを期待しております。


この台風の名前って不思議な名前が多いので調べてみました。
『デジタル台風:台風の名前』
ハリケーンは、女性の名前が付いています。この理由は、親しみを持てるようにとの意味かららしい。台風に親しみを持ってどうするのかという気もしますが。
アジア地域の台風に関しては、名前が付いたのは2000年から。140個の名前をあらかじめ決めておき、台風が発生したら順次命名していくようです。

キロギーは、北朝鮮が命名した「雁(がん)」という意味。次の次、22号は「テンビン」という日本がつけた名前の台風に。なんで、台風の名前が「雁」や「テンビン(てんびん座)」なんだ?という単純な疑問もわきますが、そういうことらしいです。ちなみに、日本が命名した他の台風名は「ウサギ」「カジキ」「カンムリ」「クジラ」「コップ」「コンパス」「トカゲ」「ワシ」。ますます、名前の意味がわからなくなってしまいます。


『気象庁|台風の番号と名前』
より

30代なかば、徹夜仕事ががくんときつくなった。
30代後半、FMラジオよりAMのNHKを好んで聞くようになった。
独自に自立すること
40代突入時、突然肩が上がらなくなった。(しじゅうかた)
雨を頭皮で感じるようになった。
髭に白髪が多くなってきた。
肉より野菜、魚を好むようになった。


毎日知っている自分のことなのに、ふとしたことがきっかけで気がつくと・・・
『しばし、ぼーぜん』。
昨日の出来事。
役所に行き、申請書類ができあがるまで手持ち無沙汰。
そばにあった『60代用。50代用。40代用』が目にとまる。
何気なく手に取ってみる。
メガネ越しに40代用のそれを覗いてみた。
またしても、『しばし、ぼーぜん』。
小さな文字がはっきり見えるのだ。
最近、小さな文字がちらつくことは認識していた。
いわゆる老眼鏡の世界がこんなに文字がはっきりしている世界だったとは。


釣りをしているときやハンダコテを握っているときの精神年齢は子供の頃と一緒。
しかし、からだは刻一刻と年齢を重ねているらしい。

ネットでのご近所さんを訪ねたら面白い話が展開されていました。
『禁煙頑張って=!』と密かに応援しているめけ。さんのところに行くと、「B型のイメージ」
ふむふむと読み進めるとでどころは、もそさん。「B型はいじめられるのよ」

かれこれ6〜7年続いておりました『なんでですのん』というごくごく私的なたわごとQ&Aコーナーが10/1をもって終了してしまいました。本来ならば、終了する前に次のアドレスを告知しまして終わるところだったのですが、ついついうっかりしてしまいました。
本サイトは今年の6月にブログスタイルに変更するにあたりサーバーも変更しました。しかし、旧サーバーで、『なんでですのん』を運営していたばっかりに契約切れと同時に予告無く終了にあいなったのであります。

ゴキブリ〜言わずと知れたみんながいやがる奴。
アシダカグモ〜わかりますか?大きさ。

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無事に過ぎていったようです。
昨年10/09の関東直撃台風を経験して以来かなり身構えてしまいます。
みなさんは大丈夫でしたか?

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昨日の電車男みるのを忘れてしまった。
シティーボーイズのDVDを観劇してしまったのだ。
本業にどっぷり身も心もついやしたので脳内清掃をしたくて自ら志願。
ラーメンズの原点はシティボーイズにあるというのでつい。
と、したところ電車男をみるのを忘れてしまった。楽しみだったのに。

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大人になると聞き分けが良くなる。
聞き分けが良くならないと生き残れない。
生き残ることを考えるようになると大人になる。
子供っぽい。大人しい。
脇目を振らない。傍若無人。

 ■ HANABI

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昨日は、葉山の花火大会。我々は神奈川の西にいた。
今日、20:00。仕事をしていると打ち上げ花火が一発。
また、下の森戸海岸で遊んでいる奴が打ち上げたか・・・。やれやれ。
と、窓の外を見ると本格的。さるこに聞くと、今日は逗子。
そうかそうかと、仕事の手を止め3階のテラスから堪能する。
暑かった一日を冷ますように心地よい風と花火。

いよいよ夏真っ盛りだ。

先週の7月20日、構造設計者の高橋さんと当事務所で打ち合わせしていた。私がふと、窓の外に目をやるとへんな夕陽。空は曇っていてブルー。太陽だけがぽっかりとオレンジ色。異様に不気味。ボビー・コールドウエルの『イブニングスキャンダル』みたいだというと、高橋さんは「ほんとだ。大地震の前兆?」とまじめ顔。地震の話はそれで終わってしまった。

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泣けた。泣けた。
男なら、誰もが通る道。
10代に駆け抜けるか、20代で行くか、30代で・・・。
冬ソナにほおけてしまうおばちゃんの気持ちががわかるような・・。

☆さやまさんとかすみさんへ☆

さやまさんおうちかんがえてくれてありがとう

おひめさまになれ〜
おひめさまになれ〜
おひめさまになれ〜

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昨日は、6月では過去最高の猛暑だったようです。
今朝、キッチンシンクにこんな昆虫がいました。
幼少のころの記憶をたどると『コクワガタ』のオスの様な気もします。
どなたか、解るかたいませんでしょうか。
そして、飼ってみたいとも思っていますが、つがいでないとかわいそうな気もします。
その辺も含めて、教えていただけたらありがたいです。

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 ■ さよなら新撰組

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神奈川県茅ヶ崎市の小学校で日本初の空間がお目見えしたらしい。
「男子トイレから小便器が消えた!」という斬新、かつ男子にとっては夢のような空間の登場だ。
やはり集団生活する上で、雲胡の処理は男子にとって悩ましいことなのだ。
子供の頃は、よっぽどのことがないとクダルことはなかったが、呑み助にとっては大人になってからも悩ましい問題なのである。


ところで、家庭の中から、小便器が消えたのはいつ頃だっただろうか?
個人的な記憶では、昭和40年代はじめにスイセンヨウシキ便器が登場した頃から、新たに登場しなくなったような覚えがある。
スイセンがアサガオをくってしまったのだ。
今では、よほど大きな家か、大酒のみがたむろするような居酒屋邸宅ぐらいにしか見られない。
すまいから小便器が消えて4半世紀は経とうとしているが、それ以外の空間では未だ小便器は健在だ。
理由は、単位面積あたりに設置できる便器数がアサガオの場合スイセンの倍は稼げるからであろう。
清潔感は、圧倒的にスイセンの方が上回る。
どうも、あのアサガオはきれいに手入れされていても香りは何となく黄色い。
よって、使用するメンバーや人数が限定されている家庭においては、スイセンが増殖しても何らおかしくないのだ。


しかし、今朝の新聞では「男子たるものの威厳も消えようとしている!」「雲胡をしたからって、いじめられるようでは、けしからん!」なる反論も掲載されていた。
そんな論者に限って、家では「汚れるから小も座ってしてください!」と言われているのではなかろうか。
そんなことで男子の威厳や沽券にかかわるとは、到底思えない。
逆を言えば、「アサガオに向かって立ち小便」することで、威厳が保たれると思っているのだろうか。
まあ、男だけの特権ものが少なくなっていくことへの警鐘と読みとれば理解できるが、それって意味あることなのだろうか?


脱線するが、スイセンに対する想いは、家庭によってまったくそれぞれである。
完全個室型、バスルーム&洗面一体型、付加価値併設型。
すまいのプログラムを組み立てる上で、キーになることが多い。
完全個室型を支持する理由は、「落ち着かない」「匂いが気になる」などが多い。
匂いは脱臭便座の導入で全く気にならなくなるが、落ち着きは人それぞれなのでいかんともしがたい。
複数設置する場合は、個室の他に「バスルーム&洗面一体型」を導入することも多い。
更にランクアップを狙えば、「海を見ながら」「庭を見ながら」「ゆったりと本読みながら」と進化する。
機能を満たすだけなら個室でかまわないが、そこに「気分転換」や「思考空間」といった「ながら付加価値」を求めようとすると広さにしても清潔感にしても今までの概念にない空間が求められるのだ。
おそらく、すまいにおけるそれらの最大進化型は、「マイスイセン」だろう。
電算機からパソコンに移り、携帯ノートタイプに進化したように、マイスイセンも持ち運びできるようになるかもしれない。
そうなり、いつでもどこでも〜と考えると、人類にとってすばらしい「小さくも大きな大進歩」となるだろうに。


茅ヶ崎の小学校男子生徒は、「広く・明るく・とても清潔になった」とみんな喜んでいるらしい。
世論はどうであれ、男子の悩みのひとつが減ったのは陰ながら喜ばしいことなのだ。

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昨日、久しぶりに葉山の野山に分け入った。
家にある淡水の水槽が淋しくなってきたので、エビを取りに行ったのである。
我が家から車で5分ほどのところに、森戸川の源流があるのだ。
まだまだ、手つかずの自然が色濃く残るそこは子供の頃遊んだ北海道の山の中を彷彿とさせた。
(写真と本文は何の関係もありません。(笑))

クマコラム
0705


以下は、7/1にクマが登場したテレビを見て、メールをくれた故郷の同級生へ返信したメールです。

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>こんばんは,桑野です。
>テレビ見ました。

 こんばんわ。佐山です。

>勝栄建設?の人が最初に出てきた時,たぶん佐山の家が出るのか,佐山が隠れ屋を設計するのかな?と思い>ながら妻と見てました。
 いや、佐山もかわったな〜と勝栄建設の親方をみて、思わなきゃ、いいな〜と思ってみていました。(笑)
>出てきた,北海道出身のクマ。
>髭面であるが,確かに佐山だ。

 くまごろうと呼ばれております。
 うちの親父も北海道から東京に出てきて、学生をしていたときは、「北海道のヒグマ」と呼ばれていたそうです。

>壁・床,全てが木。
>ペチカがある,囲炉裏,なんと露天風呂まである。
>北海道で育ち,東京で学ぶ。
>佐山はやっぱり自然が忘られないのだと感じた。
>いや,自然の中で無いと暮らせないのかな?

 年々、海山川と寄り添っていないと落ち着かなくなっていることは、事実です。
 加えて、家の中にいても「おっ、雨が降ってきたな」とか、「今日は風が強いな」とかを感じられないと居心地悪くなっていくようです。
 サラリーマンを11年ほどやっていたときに、どんどん無味乾燥なコンクリートボックスに対してストレスが、たまっていったようです。
 だから、今のようなライフスタイルを送るようになったのだと思います。

>佐山のテラスから眺める景色。
>夕日が綺麗だ。
>内陸の旭川では海に憧れる。
>けど,周りが自然だらけだから景勝地に行っても,俺はあまり魅力を感じない。

 葉山に来るまでは、週末いろんなところにキャンプだ、釣りだと行ったけど、今は何処にも行かない。
 毎日、ホッと息が抜ける環境で生息してるから(笑)、わざわざ息抜きをしに行かなくてもいいのだろうね。
 そもそも、景勝地には行かないほうだから、俺も同感だけどね。
 仕事でパリやロンドンに行ったときも、釣り竿と生餌をトランクに忍ばせて、早朝にセーヌやテムズで釣りをやってた。
 景勝地を見て楽しむというよりは、インタラクティヴ・ネイチャーが、好きなんだと思うよ。
 だから、薪ストーブだし、屋上菜園なんだと思う。

>最近,旭川の隣の美瑛町が観光で賑わっている。
>田舎道と何処までも続く畑。
>レンタカー,観光バスが多い。
>しかし俺の田舎(納内)となにも変わらない。
>何処が良いのだろう。
 ナンにもないから、いいんでねぇべか?
>けど職業柄思ったのは,若い時はとても快適な家だ。
>しかし老後はどうかな?
 う〜ん、そうだな。
>3階のキッチンは辛くないかな?
 
 都会じゃさ、電車を使っているヒトがおおいんだぁ。
 電車や地下鉄って、階段がやたら多いんだよ。
 この間、うちのお袋が、膝を痛めて医者に行ったら、その歳で使いすぎだって言われたらしいよ。
 そんで、通勤するのに階段の段数を数えたら、往復で400段以上あったとさ。
 それを毎日毎日、やってるんだからね。
 67才で。そりゃ使いすぎだべな。
 だから、こっちで生活するってことは、3階くらいの上り下りで、へたばってちゃ、何処へもいけんてことみたいだよ。
 もっとも、俺は車ばっかりだから、3階の上り下りはいい運動になるんだけどね。(笑)

>救急車のストレッチャー(担架)はきちんと入るかな?
>(最近の家はストレッチャーが入らない。特に2階には。)
>俺も,歳をとったかな?こんなことを考えるようになってしまった。

 ありがとう。
 こういう視点は、とってもありがたい。
 頭の片隅に、いれて置かせてもらうよ。
 家を設計するときの優先順位として、上位には位置しないと思うが、その視点は大切だと思う。
 ちなみに、うちの場合は、3階でことが起こったら、3階テラスから、ロープで地上までおろすと思うよ。
 だって、ゴミはいつもそうしてるから。(爆)

>とにかく懐かしい佐山と楽しい家を見て楽しかった。
>ビデオにとったから,もう一度ゆっくり見るよ。
>では,また…。

 ありがとさんでした。
 ゆっくり見てもらって、また救急隊員としての意見をいっぱいください。
 よろしくたのんます。
 じゃ。

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クマコラム
0703


以下の文章は、クマが登場した番組を見てメールをくれた、北海道の同級生からのものです。
消防署勤務20年近くになる、彼らしい視点が入ってます。
とても嬉しくて、涙が出そうになりました。
だから、そのまま掲載します。

////////////

こんばんは,桑野です。
テレビ見ました。
勝栄建設?の人が最初に出てきた時,たぶん佐山の家が出るのか,佐山が隠れ屋を設計するのかな?と思いながら妻と見てました。

最後の家の紹介で,表札にSAYAMAとあったので家の紹介だ!
(佐山のHPを見ていたから,俺なりに佐山の家は想像はしてました。)
出てきた,北海道出身のクマ。

髭面であるが,確かに佐山だ。
変わってないなぁ〜が第一印象だった。(昔と体型が同じ)
「玄関がないんですよ。」話し方も変わってない。(少しよそ行きかな)

壁・床,全てが木。
ペチカがある,囲炉裏,なんと露天風呂まである。
北海道で育ち,東京で学ぶ。
佐山はやっぱり自然が忘られないのだと感じた。
いや,自然の中で無いと暮らせないのかな?

俺が東京で過ごした半年。
八王子市南大沢は田舎であった。
しかし北海道の自然とは何かが違う。
居心地が悪かった。

佐山のテラスから眺める景色。
夕日が綺麗だ。
内陸の旭川では海に憧れる。
けど,周りが自然だらけだから景勝地に行っても,俺はあまり魅力を感じない。
最近,旭川の隣の美瑛町が観光で賑わっている。
田舎道と何処までも続く畑。
レンタカー,観光バスが多い。
しかし俺の田舎(納内)となにも変わらない。
何処が良いのだろう。

きっと佐山は東京で暮らすうちに,自然を思い出していたのかな?
けど,よく考えてある家だよ!面白い家だ!遊び心がある家。
海は近いし,そこで仕事が出来るのだからなおさらOK。
きっと同居の両親も喜んでいることでしょう。

けど職業柄思ったのは,若い時はとても快適な家だ。
しかし老後はどうかな?
3階のキッチンは辛くないかな?
救急車のストレッチャー(担架)はきちんと入るかな?
(最近の家はストレッチャーが入らない。特に2階には。)

俺も,歳をとったかな?こんなことを考えるようになってしまった。
とにかく懐かしい佐山と楽しい家を見て楽しかった。
ビデオにとったから,もう一度ゆっくり見るよ。
では,また…。

/////////////

返信は、明日のクマコラムで。

クマコラム
20000628

知り合いが、ストーカー行為に悩んでいる。
本人にとっては、深刻だろう。
嫌がってるのに執拗に追い回す。
追う方はいたずら半分だろうが、逃げる方は真剣なのだ。

「ストーカー」って、最近使われだした言葉。
新明解国語辞典第四版には載っていない。
「つきまとわないでください!と嫌がるヒトを、執拗に追いかけるヒト」かな?
「私は、薪ストーカーです」とは使わない、それは追いかけるのはヒトであっても追われるのは薪だから。
「私は、薪オタク.........ン?」いや、「薪ストーバー」なのです。(笑)

ところで、このサイトに来てくれております、ありがたき「Vivid'sストーカー」、いやもとえ「Vivid'sファン」の方々にお知らせがあります。
このサイトも開所以来1年と3ヶ月ほどになりまして、もうすぐ「アクセス者数10000人」を迎えます。
様々なことが、通り過ぎていきましたが、みなさまの心温まるアクセスがあってなんとかここまでやってこれました。
本当にありがとうございました。

このHPのweb design コンセプトは、「映像記憶より、テキスト記憶を!」との理念でやってきました。
実はシンプルなサイトにアクセスしてガツン!と一発で魅了されたので、できるだけそれに近づきたいとやっていただけなのですが・・・(笑)。
アクセス10000人突破を機会にデザインを一新しようと想っております。
今までは、坂本ストーカーが造っていたのですが、やはり「わたくしはわたくしらしく」でいこうと考えております。

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クマコラム
20000502

「薪ストーブの会ML」から
2000.04.30
4/26から関西に行って、帰ってきてその足で、丹沢へお気軽オートキャンプへ・・・・・
結果報告。
<時計型薪ストーブ>
・火加減の調整が、思うようにできて、使いごこち◎!
・火持ちの良さも、オープンファイヤーにはない、とろ火持続が可能で◎!
・昔からのキャンプ仲間(まっちゃん)が、よるトイレに行って帰ってくるときの情景が、「風呂を焚いてるみたいだったよ!」で、俄然、変な具合、いいかんじ!
・帰りに厚木でよった、アウトドアショップ「ワイルドワン」で、時計型薪ストーブが売っていた!ということは、関東圏でもキャンプの定番になる可能性がある!(薪ストーブ派としては、とってもうれしい!)ちなみに本体価格、7000円。たかい!ちょっと、シルバー色で大和金属とはちがっていたけど使いこなすと同じか!けっ!と思ってしまいました。
・前述まっちゃんといろいろなことを時計型の前で夜更けに話す。このストーブは、サウナストーブとしても活躍しそう!という。じゃ、この時計型薪ストーブをぐるりとなんかでかこみ、たまに水をストーブにかけて、低温遠赤外線サウナにするのはどうかという。おおっ!いいね!ともりあがり、携帯できるサウナ小屋と時計型薪ストーブをもって、キャンプに行こうと話すと、第1回東日本薪ストーブオフ会に参加したいとのこと。(まっちゃん=34才独身、トライアスロン派!実家、神戸。近々薪ストーブの会にさそう予定。Tさんと同い年?)<ケリーケトル>
・大切な薪は、時計型にくべて、その辺の杉皮や割り箸で、お湯を沸かせるのが、ほんとにありがたかったので◎!
・大勢のキャンプでは、一回の沸騰で、コーヒーが沸かせないので、ケリーケトルの敷き火鉢?に火種を残しておくとつぎ終わってからでも、すぐにまた、お湯を沸騰させることができるので、大変重宝!(今回は、大人8、中1、小2、幼2)
・またまた、ワイルドワンで、火興しグッツなるものが売っていたのだが、ケリーケトル、薪ストーブの煙突と同じ構造で、単なる筒の上下に酸素給気孔が着いた筒だった。煙突効果は、偉大なのだと実感した。
・また、ケリーケトルは、限られたところしか、売ってないと思っていたのだが、ワイルドワンにも売っていて、アウトドア派に人気上昇気配あり!
<ダッチオーブン>
・今回、一緒にいったキャンプ好き家族が、ダッチオーブンもどきを仕入れたといっていたので、楽しみにしていたが、空だきしたまんまで、家に忘れてきたとのことで、試行錯誤できず!
・ただ、とってももどきを安く仕入れたというので、興味を持ち、クマ(あっ、バカボンパパか・・)が、ワイルドワンに行って、家庭用に同じものを購入。
メキシコ製なのだが、本物のダッジに比べて、10インチものの重さが幾分軽かったのと足が着いていなかったので、購入することにした。本物のダッチは、鍋をよこてにわしづかみして、持って薪ストーブに突っ込むことが、180cm、90kgの私でさえ、大変か?と思ってしまったのだ。メキシコ製のもどきではあるが、家庭使いには、良さそうなのでそれを購入。しかし、キャンプ用には、やはり12インチもののダッチがほしいとひそかに思っているクマでした。

というわけで、5/13〜14の第一回東日本薪ストーブオフ会!は、事前予習と普段セイカツの成果を公表するべく、キャンプとし、薪ストーブ派キャンプの神髄を勝手気ままに楽しむ場所としたいと思うのであります!ハイ!

////現在、薪ストーブMLは10名、単なる薪ストーブの話にとどまらず、裸火全般、焚き火、外遊び、囲炉裏と話題が広がっています。
裸火好きな方、MLに参加しませんか?参加方法は、こちらです!→

クマコラム
20000425

追突事故から一夜明けた昨日曜日、車の修理の打診をいつものディーラーにする。
こちらが被害者である場合、まず加害者側の任意保険会社との確認が取れてから車を持ち込むようにアドバイスされた。
加害者から保険会社に連絡してもらう必要があった。
何度か、相手の留守番電話に上記の趣旨のメッセージを残した。

平日のスケジュールがいっぱいだったので、なんとしても日曜日中に車を代車に変えたかった。
日曜日に予定していた、作図ワークをやり残しても代車に変えてしまいたかった。
14:30頃、やっと保険会社から、連絡が入った。
今日中に代車に変えたい趣旨の説明をする。
保険会社も了承する。
私は、いつも少し遠いが、部品がすべてそろっているこの辺では一番大きい、Yなせの港北営業所に車の面倒を見てもらっていた。
そこで、車を修理に出し、代車と交換という予定にした。

日曜日夕方の横浜横須賀道路は、大渋滞となる。
それを避けて、さっさとYなせに向かう。
行く途中、「同じ車をレンタカーで探しますが・・」と保険屋は言っていたが、気になったので確認の電話を入れる。
同じ車種はないと言うので、ハルコのケージ(1100×700×750)が、ラゲッジスペースに入ればヨシとした。

15:20に私はYなせの港北営業所に着いた。
しばらく待っていると約束の16:00に代車はやってきた。
荷台をはかると、全然小さい。
すぐに、レンタカーの運び屋はレンタカー会社と連絡を取ると、そのケージが入る車種は今すべて出払っていて、ないという。
らちがあかないので、一度保険会社に話を戻して、別のレンタカー会社に切り替えてもらうようにレンタカー会社に申し入れた。
快く、その申し入れを聞いてもらったので、連絡を待つことにした。

18:00、待てど暮らせど、携帯がうんともすんとも言わない。
しびれを切らして、保険屋の日曜サービスセンターに連絡を取る。
「んんんん」
代車手配の担当者は、もうすでに私の件は代車持ち込み終了との報告書を残し、さっさと帰ってしまったらしいのだ。
その電話に出たのは、事故受付係で代車のことは関係ないので、明日にしてくれと言うのだ。
あきれてしまった。
15:20にYなせに着いてから、2時間半強、待ち続けたあげくに、代車に乗り換えられない、どうしたらいいのだ。

気を取り直し、保険屋の無責任きわまりない担当者の行動と事故係に憮然としながら、先のレンタカー会社と連絡を取り、今ある車で一番大きいラゲッジスペースを持つ車を用意してほしいと伝えた。
レンタカー会社は、快く対応してくれて、19:00にやっと、乗り換えられ帰路に就いた。
今日、場面場面で出てきた役者たちが、こちらの趣旨を正しく理解していてさえくれれば、5時間以上もかからなかったのにと思うとぐったり来てしまった。

クマコラム
20000423

今日、また、カチンときてしまった。
カチンではなく、ガツンだった!おおいにガツンときた!

昨日、クマが設計したお宅に遊びに行った。
帰り道、もうそろそろ半ばまで来たナというところで、オカマを掘られてしまった。
大したことない事故だったが、ゴン!ときた。
やれやれ、またしばらく時間がかかるな〜と思いながら、車を降りた。

クマの場合、ただでさえ、風貌が恐いらしいので、『いやいやまあね〜、あんたさ〜、ちゃんとまえみてはしってんの〜〜〜、んんん・・・』と気持ちを落ち着かせながら、車を降りた。
なぜならば、昨年ぶつけられたときに「おりゃ〜〜〜〜、なにまえみてんじゃ〜〜〜、あんたがわるんでしょ〜〜〜!!!!!!!!!」って、降りていったら、それっきり、私は悪くありませんと貝になってしまったご婦人とのトラブルがあった。
結局そのときは、保険に任せようと思い、ろくに挨拶もせずに立ち去ったのだが、その後、ご婦人はやっていませんの一点張りで、最後には内縁の夫が出てきて、すごまれて、こちらが根負けしてしまったのである。
車両保険に入っていれば、こちらも保険に任せておけばよかったのだが、そうではなかったので、保険屋も動いてくれなかったのだ。
この、コラムを見て、ん?ん?と思う方が居るかもしれないが、車両保険に入っていない場合、加害者が否認すると被害者側の救済手段はないのである。
相手が「私は悪うございません!」と言ってしまうと、被害者は何もできなのである。
この手のケース、人身事故は経験していないが、物損事故の場合は、泣き寝入りをさせられることが多いようなのだ。

被害者であるクマが、低姿勢に出ていって、加害者側の「どうもすいません。こちらが悪うございました。」と言うのを聞いて、ホッとした。(よっし!それでこそ、日向を歩くまっとうなニンゲンだ!と思った)
そう相手が出てくると、相手の気持ちもわかるし、こちらもそうそうとんでもない大事故になっているわけでもないしと、うにゃうにゃ、うにゃにゃ〜という気分になってくる。
「まあまあ、あんたはちゃんと保険でやるんでしょ?」「はい・・」と確認を取り付けて、あんたも気をつけてねと優しい気持ちになりながら、藤沢を後にした。

ところが、一夜明けた今日の保険屋の応対には、カチンときてしまった。
あっ!あっ!カチンではなく、ガツンだった!
この話は、しばらく続きそうなので、連載コラムとする。

つづく・・・

クマコラム
20000417

久しぶりに朝まで貫徹をした。
この時期は、朝5:30頃から明るくなってくるようだ。
夏の暑いときには、明るくなる頃から暑くなり体にこたえるが、今はまだ寒いので幾分、楽だ。
でも天気がいいせいか、あちらこちらでキラキラしていて、少々目にこたえる。

学生の頃は、暇があれば徹夜で麻雀をよくやったものだ。
ある時などは、耐久レースと称して、雨戸やカーテンを閉め切り、時計をはずして卓を囲んだ。
しかし、朝刊がポストに投げ込まれると朝だとわかり、また夕刊がやってくると夕方だとわかった。
さすがに次の日の朝の新聞の音はいやだった。
あほらし・・・が、かけがえのない時間だった。

バブルの時もよく徹夜をした。
仕事が忙しいときは、朝まで図面や企画書を書いて、そのまま打ち合わせに出かけていった。
仕事がそう忙しくないときでも、夜遅くまで飲んで、よく始発の電車で帰ったものだ。
今は、なんと規則正しいセイカツをしているのだろう。
年齢的に体がついていかないのか、違う理由なのか。

今では、年に数回あるかないか、である。
今日は、知らないうちに朝になってしまい、気がついたらもう明るくなってしまっていたのである。
知らないわけではなかったのだが、間に合いそうもないと感じた瞬間から、開き直ってしまったのである。
ようし、それではと気合いを入れて、朝を迎えてしまったのである。
しかし、徹夜明けの朝は、妙に世界が黄色く見えるのは、学生の頃やバブルの頃と全く変わっていないようだ。

クマコラム
20000401

いよいよ今日から新年度、世の中の更新日だ。
一斉に全てが新しくなる。
長い冬が終わり、新しい春が来る。
一年の節目でもある。

万物、全て自然の循環の中で繰り返す。
木にも年輪があり節目がある。
年輪ひとつとってみても同じ年輪はひとつもない。
毎年毎年、同じ季節を繰り返していくのだが、
毎年毎年、同じ年輪にはならない。
環境の変化にあわせて成長しているようだ。

せっかくの年度の節目、毎日が同じ繰り返しだが、
環境の変化を読みとり、今年度にふさわしい
生き方をしっかりと見つめたい。
昨年度と同じ生き方をしていたら生き残れない。
環境になびくように生きるか、
環境にたちむかうように生きるか、
いずれにしても、環境を見つめるにはいいチャンスだ。

クマコラム
20000330

そろそろ、タイムリミットだ。
有珠山、銀行合併。

明日は、中央信託銀行と三井信託銀行の
合併の看板お披露目の式典に立ち会う。

昨年の春からいろいろなことがあって、
やっとなるようにしてなることなのだ。

途中、噴火しそうになったり、
小康状態になったり、いろんなことがあった。

子供の頃に、有珠山の噴火を経験している。
有珠山は、いさぎよく噴火した記憶がある。
銀行はいさぎよくいけるのだろうか?
ここのところ、クマが骨身を削って、歩き回って
きた成果が、しっかりと根付くのだろうか・・

火山の噴火は自分の体がいうこときかなくなって、
はじめて爆発するのだが、
銀行は、人の財産を思うようにできなくなって、
やっと爆発するのだ。

と、おもうと爆発する前に合併なり、破綻なり
して、自覚が伴うことが先決なのだと思うのだが・・・

噴火する前に・・・・・、合唱!

皆様へのお知らせ。

このHPの引越のあと、
一部のウインドウズユーザーの方から、
リンクが作動しないとのお話がありました。

症状は、ウインドウズマシンで、エクスプローラー5.0
を使っていらっしゃる方にのみ、起こる症状と
わかりました。
原因がわかりましたので、上記使用の方でも
リンクが稼働するように修正いたしましたので
ご確認ください。

なお、いまだにリンクが稼働しない方が、
いらっしゃいましたら、佐山までメール
を入れていただければ、幸いです。

この、症状の原因究明にご尽力していただいた
前田ご夫妻に感謝いたします。

クマコラム
20000327

3/25、九州熊本で、ぶったおれてしまった。
私が昔からおつき合いしている、日丸産業という左官材メーカーを訪ねた。

焼酎、カポカポ・・・・・
クマも道産子で嫌いではないので、カポカポ。

今の今まで、引きずってしまった。

とにかく、熊本はよかっ!よかと〜っ!って思ってしまった。
いさぎよいのである。
飲みっぷりも、気持ちも、みんな。

また、今日から、名古屋、大阪、神戸とまわる。
次は、どこでぶっ倒れるのか。
今から、楽しみでもあり、恐くもあり、なのだ。

クマコラム
20000323 (6:37)

と言って、いるうちにもう旅は始まった。
今朝は、4:00におきて、一路逗子駅へ原付きを飛ばした。
3月末なのにハンドルを握る手は、チンぎれるぐらいに冷たかった。
JRで横浜まで行き、そこからリムジンバスで羽田に向かう。
今は、羽田で鳥取行きの飛行機を待っているのだ。
少し、早すぎた。

昨日、インターネットで飛行機を予約した。
予約番号を覚えていったのだが、クレジットカード専用の自動販売機に向かって、カードを入れ、鳥取行きのフライトナンバーを打ち込むと勝手にサヤママレヒトさんの予約は承っていますと画面に表示された。
ぉぉ!ッ!と少しだけうろたえながら、手続きを済ませた。
切符を予約し、切符を買い、それを手にして、搭乗窓口に行くまで、一言もしゃべらなくて良いのである。
何とまあ、べんりな世の中というか、言葉がいらない世の中というか。
今日、家を出てから、一言もしゃべらずに鳥取まで行くことができるのだ。

クマコラム
20000310

ピンポ〜〜ん!
どちら様ですか〜?
こちらに同意書をいただけませんかね〜。
んん・・なんですかそれ。
3日ぐらい前のことである。

今度、お宅の裏山に山からの土砂崩れを止める擁壁を県がつくることになりまして。
どんな計画なのですか?
まだ、はっきりわかりません。
んん・・・ん?
それで、同意書ですか?

去年やった、あそこのようなモノをつくるのですかね?
いや、計画内容は、わかりません。
あそこのようなモノができるのだったら、こまりますね〜。
地球温暖化やヒートアイランド現象を押さえるために屋根に土を載せたりして頑張っているのに。
じゃ、この同意書を置いていきますから。
置いていくって?計画内容をお聞きしなくては、置いていかれても困ります。
じゃ、県のTさんに確認してください、電話番号と部署は〜〜〜〜〜〜です。

今日、県の土木事務所にその計画内容を聞きに行って来た。
行く前にアポイントを取っていったのだが、事前に詳しく行く理由を話していなかった。
しかし、行くといきなり、その計画内容やら、それはもう変更できないやら、勝手にいろいろ立て板に水のようにまくし立ててきたのだ。
同意書を取りに来た、民間業者の情報が詳細に報告されていたようなのだ。

結局は、技術的に急傾斜地に緑化をする前例がないことと、予算が無いことを理由にこちらの意向は聞くことができません、と言う門前払いの様子がありありだったのだ。
しかし、担当者は、こう言うのが私の役目であり、私がそう思っているのではありません、がしかし、現実はそうするしかないのです。
と悲しそうな目をしていた、ような気がする。
安全第一、治山第一、それを優先すると、景観や環境配慮は二の次になり、それに予算は付かないのです、と繰り返すのみ。
本当にそれでいいのだろうか。神奈川県。

前例主義やいかんともしがたい体制でがんじがらめになっていて、生活者の聞く耳を持てない行政なのか。
官が組織的な犯罪の様相を見せているにもかかわらず、官にいち生活者はものをいうことができないのか。
真摯によかれと思っている生活者の言葉を聞く耳を持たない官にどう訴えたらいいのか、わからない。
崩れそうな山をコンクリートで固めて安全第一だからそうするしかないのだ余分な予算が付かないから、とするのは法には触れないけれど、それに異議を申し立てる人の意見を聞かないののも法には触れないから、そんな対応なのだろうか。
釈然としないまま、山桜が咲く、裏山がコンクリートに固められていくらしい。

クマコラム
20000308

めでたい!
目出度い!
愛でたい!

なにが?
なにを?
いや〜〜〜〜、なにが?って、なにを?って、いわれても〜〜。

今日は、当HPの一周年なのだ、というだけなのだ。
6820人がみてくれたのかと思うと感慨深いモノがあるから
これからもこのHPを愛でていくつもりなのだ。
よろしくお願いいたします。これからも。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日、大阪に行って来た。
大阪って、なにかが違う。
北海道生まれの道産子として、そして20年以上関東近辺で生きてきたモノとして、なにかが違うと感じた。
最近、仕事で大阪に行くことが多い。
そのたびに感じるのだが、絶対的になにかが違う、大阪は。

バブルの頃、毎日仕事が終わって飲みに行くと、「おおさかで〜〜、うまれた〜〜」って友達が歌っていた。
桑名まさひろが、関西弁でロックを歌ってた。
憂歌団が、「パチンコ!パチンコ!」って歌ってた。
FM放送を聞きながら、神奈川から岡山へ向かう途中、名古屋を過ぎたあたりで大阪弁に変わっていく。

関東以北で生まれ育った、クマとしては違和感があった。
いいとか、悪いとかではない、違うモノとしての違和感を感じていた。
今日大阪に行って、しっかりと感じてしまった。
なにかが、ちがうのである!しっかりと観察してきた。

まず、ライブなのである。生きている感覚が伝わってくるのである。そのひとなりの生き方が。
裏や表はあるのだろうが、そのひとのライブが伝わってくるような感じがした。
人目を気にしないというと語弊があるかもしれない、身なりを気にしないというとさらに語弊があるかもしれない、しかし、周りの目を気にすることより、自分のことを優先する生き方をしているのではないかと感じたのだ。
とってもライブだと思った。そして、とっても素直だとも思った。
東京近辺のそれに比べて、とってもアジア的ないさぎよさを感じたのである。
(アジア的ないさぎよさとは、個人の価値判断で自分の生き方を決められるという意味ととらえて欲しい。その逆は、価値判断決定が、自分以外のところにあり、自分ではにっちもさっちもいかないので諦めてしまっている日本人的な意味と解釈しても構わない。)

東京では、電車に乗っていても、街を歩いていても、蝋人形のような顔をして、みんながすましている。
勝手にこっちの領域に入ってこようモノならただでおきませんよ!けっ!ってなぐあいにやっているのである。
クマが大学の卒業論文でやった「心理学的空間占有に関する研究」的にいうと、人には距離的な意味合いで心理的に侵されたくない領域があって、それは民族や性別の違いはあるもののおおむねある距離に入ってくると人は拒否反応を示すモノであり、それによって心地よいと思う空間の単位面積が決まってくる。
とすると関東の人間は、その距離領域の大きさが、関西の人に比べて大きいのだということになる。
「ら〜めん、は大盛りね」というと、おばちゃんが顔を近づけきて、にやっと「それはあきまへんのや」と言われてしまった。
長ったらしくなってしまったのだが、そうするに大阪の人は、「人なつっこいのではないだろうか」と思ってしまった。
逆に関東の人は、「人なつこくないのではないか」と感じた。

どっちがいいか、悪いかの議論は、さておき、そう感じたことは事実だ。
ライブで、アジア的。
往復の移動時間、雑誌「東京人」最新号の「昭和初期モボ・モガのすまいづくり」(モダンボーイ・モダンガールの略)を読んで、やはり概念的であり、自分をより飾るために手段としてすまいをつくってきたのかと感じさせられた。
(90才の宇野千代しか知らないのだが、その雑誌で何とまぁ若いときはきれいで、みずみずしかったのかとおどろいた。)

「おすまし」と「ライブ」
それが、東京と大阪なのだろう。

なんだか、意気込みすぎて、間延びしてしまったコラムになったのだが今日感じた世相はそうだったのだ。

クマコラム
20000307

みなさん、長い間、当HPをご覧頂ありがとうございました。
いよいよ、明日3月8日をもって、一周年を迎えます。
当初、「毎日更新!」を目標にやっていましたが、ここのところ少しペースが落ちてきました。
明日の一周年をもって、初心に戻り、「ほぼ毎日更新!」をあらためて決意したいと思います。

クマコラム
20000303

ずいぶんと暖かくなってきた。
そろそろ、畑を手入れして、種まきをしなければならない。
田舎生活は、忙しいのだ。

クマコラム
20000301

昨日の夜更け、訳の分からないコラムを書いてしまった。
そのつけがまわって来たかのような悪夢の2/29だった。
ざっと思いつくままにどうしようもない一日を振り返ってみる。

朝一番で打ち合わせが入っていたので、目覚ましを6時にセットした。
目覚めたのは8時15分。打ち合わせの時間の15分前。お〜〜〜〜まい、がっ!!!

予定通り打ち合わせを済ませ、午前中に終えなければならない仕事を
目が回りそうになりながらがむしゃらにこなし、次の打ち合わせのために
軽トラに乗り家を出たトタン、細い出口の道に葬式の車が止まっていてでられない!!
刻々と時間が過ぎてゆくなか、あたふたしながら応援を呼び、車を男6人で持ち上げてもらい無事脱出。

都内まで出かけるので途中でメルセデスに乗り替える。
見るとガソリンがほとんどない。いつも行くJOMOに寄る。そこでまた、お〜〜〜〜まい、がっ!!!
給油車と洗車待ちでごった返していた。

家を出たのが12:30、給油を済ませ時計を見ると13:30をまわっていた。
なんてこった、何もなければ、15分で終わるはずなのに〜〜〜!
高速道路途中のサービスエリアで簡単に昼食を済ませようと到着するが、何故かそこも満車で駐車スペースがない!
いいやと次の平和島サービスエリアへと急発進!

やれやれと平和島に着いたのが、14:10ごろ。
ふ〜〜〜〜っと食事を終え、二日酔いを紛らわすため、フレッシュピンキー・ミントをレジに差し出すが、レジが、急に動かなくなり、いらいらしてきたので「これいらない」と車に速攻で向かう。

平和島から銀座まで普段は20分、電光掲示板にもそう出ていた。
予定どおりに着くかなと思ったとたん、なぜかにょろにょろ60Km/hぐらいにスピードが落ちた。
遠くを見ると渋滞の気配がない。遙か向こうにロシアンコンテナを積んだようなトラックがのろのろ。
うわ〜〜〜、いつまでつきあわされるのかといらいらしていて10分ほど過ぎた時点で追い越し車線からロシアンコンテナがいなくなり、スピードが上がる。いらいら。

打ち合わせは、16:30だったので予定通り今日仕入れなくてはならない書類を水道橋まで買いに行く。
まだ、充分間に合う時間だった。水道橋までは、予定通りに着いた。
が、今日中に購入しなくてはならない書類を「ください」と言ったトタン、みなれたモノが出てきた。
ん・・・?それは、事務所にあるやつ・・・?そう、わざわざ、忙しい思いをしてまで、今日水道橋まで買いに行かなくても良かったモノらしい・・・。くやしいから、2千5百円だして、買ってしまった。

それから、打ち合わせ場所まで大渋滞。電車なら25分のところ一時間強。今日はついていない。
やっと、着いていつも駐車するTIMSが満車だと思って通り過ぎるとたった1台空いていた。
やれやれと思い、ぐるっと大回りして戻ってきて駐車。15:50。

サテライトオフィス的に使わせてもらっている銀座京橋の事務所のコンピューターで書類を整えようとするが、前回保存して置いたファイルが見つからない。
打ち合わせは16:30なので、あせるが見つからない。
見つかったのが、16:20。前回の打ち合わせの議事録を造るのは諦めた。

20:00。ふ〜〜〜〜っと打ち合わせを終えて、帰り際、駐車料金を払うため、両替しに近くのコンビニにいった。
やっぱりフレッシュピンキー・ミントを手にして、列に並んだ。
前の人が終わり、私のところにきたところでレジがピーピー、ピーピー。
ぐったり来たところで、今日はとことん、そんな日なのかと諦めて、また隣のレジに並び直した。

最後は、葉山にやっとたどり着いて、時計を見ると21:00、5分前。
あの酒屋はたしか、21:00閉店と思って、近づくとやれやれ、シャッターが半分開いていたのだ。
しかし、車を止めようとして近づいたトタン、人の気配がした。
あわてて、車を止めて走っていったが、店前に来たときにはシャッターが閉じていた。
今日は、最後の最後まで、そんな日なのだった。

気がつくと、今日はうるう年、それも400年に一回あるか無いかの年らしい。
クマにとっては、生まれてはじめて、全てが思うようにいかない、思い出深い日となったのだ。

クマコラム
20000227

ここのところ忙しくてず〜っと更新できずにいた。
もうそろそろこのHPも3月9日で1年なのだ。
いろいろあったが、短かったような、長かったような。
今このホームページを掲載しているプロバイダーが3月4日でホームページサービスを止めてしまうことになっている。
そうすると引っ越しをしなければならないのだ。
次の引っ越し先は決まっているのだが、忙しくて引っ越しの準備ができずにいる。
こまった、こまったと気持ちはあせるが、どうにもならないのだ。
あ〜あ、こまったのだ。

しかし、こまった事だけでもないのだ。
引っ越し先は、少々大きなところなので、いろいろな情報を入れられることができる。
今までは、最大5MBしか借りることができなかったのだが、次のところは50MBまで大丈夫なのだ。
ワンルームの小さな部屋からベルサイユ宮殿のような大きなところへ行くことになるのだ。
なんだか、隅っこのほうでこそこそ展示するような感じなのだが、大は小を兼ねるのだ。
しかし、しばらく引っ越せそうもない。
やっぱり、困ったのだ。

今度引っ越ししたら、もう少し展示アイテムを増やそうと思っている。
「パッシブ・ソーラーシステムの歴史」とか、
「環境問題とクマ的取り組み」とか、
「葉山風物詩」とか、
「製材所めぐり」とか、
「薪ストーブML過去メール」とか、
「クマの設計ディテール」とか、
「春呼のお友達」とか、
「たけしの人生相談」とか、
もっともっと・・・・・

あっ、そうそう、いま葉山では、ワカメが旬なのだ。
至るところで、ワカメをゆでて、干している風景に出合う。
そんな田舎暮らし情報を発信していきたいと思っているのだが、いかんせん身動きがとれないのだ。
あ〜あ、クマの分身が3人ぐらいいたらいいのにと思うのだが。
遊んでいるクマ。
仕事をしているクマ。
薪を割っているクマ。
HPを更新するクマ・・・。
・・・・ん?4人、必要?・・・・?

クマコラム
20000204

平和のための祈り

ああ、神よ、我をして御身の平和の道具とならしめ給え。
我をして憎しみあるところに愛をもたらしめ給え。
争いあるところに赦しを、分裂あるところに一致を、疑いあるところに信仰を、誤りあるところに真理を、絶望あるところに希望を、悲しみあるところに喜びを、闇あるところに光をもたらし給え。

ああ、主よ、我をして慰めらるるを求めずして、慰むることを求めしめ、理解さるることよりも理解することを、愛さるることよりも愛することを求めしめ給え。

そは、我らは自ら与うるが故に受け、赦すが故に赦され、巳が身を棄てて死するが故に永遠の生命を得るものなればなり。

軽井沢聖パウロカトリック教会

信仰心のまるでないクマだが、写経(といっていいのかなぁ)していて、心がしゃきっとした。

クマコラム
20000125

雪が降って、喜ぶのは道産子と犬ぐらいだろうか。
今朝方、葉山にも雪が舞っていた。

子供の頃、朝目が覚めて布団の中でジッとしていると、外がみょ〜に静かなときは、きまって外が一面雪に覆われていたものだ。
窓を開けるまでもなく、すりガラス越しに真っ白な世界が広がっていた。
とにかく、静かで明るいのである。

ふとんから抜け出る頃には、親がすでに起きており、居間はストーブでガンガンに暖まっていた。
急いで、服を着て朝飯をかっこみ、アノラックと手袋とマフラーをして家を飛び出る。
長靴にきゃはんを付け、ひざぐらいまである雪をこいで、学校までの20分ぐらいを楽しみながら歩く。
す〜っと息を鼻で吸うと鼻毛が、しばしばと凍り付いた。
もちろん、口では寒くて息が吸えない。
鼻で吸った息を口で吐くと、口から出た息が、耳から頭にかけて白くなってへばりついていく。
そんな友達をみて、爺さんみたいだと笑い合いながら、学校に到着する。

下駄箱がある玄関はとても寒いのだが、教室はもうすでに石炭ストーブががんがんに燃えていた。
その周りには、ひとりも入れないほどすでに群がっていて、「お〜、さむっ」と言って手をすりあわせていた。
「おまえ、耳あかいぞ!」
「あっ!ほんとだ!やばいぞ!」
「あかく、ふくらんできた!しもやけだ!」
「やばいやばい!凍傷だ!」
みんなで、からかい、笑いに包まれていると、いつもがらがらと先生が入ってくる。

「はい!席について〜」
といつもの授業が始まっていくのである。
冬は、いつもそんな感じで、朝が始まっていった。
しかし、誰ひとりとして、凍傷で耳を落としてしまうモノなんか、いなかった。

クマコラム
20000111

ハッピィ・マンディ!ずっとベックと一緒だった。

1/8 
〜仕事があるから、あまり遊べないな〜、と思いつつ、新しい事務所の打ち合わせテーブルに柿渋を塗りたくなって、かねてから欲しかったサンダーを買いに行った。
そして、年初に湯川れい子さんに教わった「ベック」も買いに行った。
昼は、リンガーハットでとんこつみそチャンポンをたべた。
その店は、横浜港南台にある普通の店なのだが、混んでいた。なぜだろうかと考えた。
知らない店に冒険するよりも、おぼろげながらにでも知っている店にみなは行くのだろうか。
くしくもクマも同じだと思い、チャンポンと餃子を食べた。
やっぱりもう来ないと思うクマであった。

1/9
新しい事務所の打ち合わせテーブルは、玄関先にあるのだ。
古くなって、ゲル化した柿渋を煮詰めると元に戻ると京都のトミヤマの吉村社長に聞いたことを思い出した。テーブルをサンダー掛けして、ちょいと柿渋を塗るだけにしようと思っていたのだが、ついつい「そうそう、ゲロゲロになった柿渋もあるよな」と思いたってしまった。
思い立ったが吉日。
バーナーとその他もろもろの道具を用意して「ゲル化柿渋、普通の柿渋へ」大作戦を敢行してしまった。
小一時間ほどバーナーで煮詰めていくうちに、ゲルもテーブルもすっかりいい具合になっていった。
そうなると勢いもいい加減になって、ついでに玄関ドアも柿渋を塗っていったのだった。
2年ブリだった。新築時に一回塗ったきりだ。
これでよしよしと思っていると腹が空いてきて、いつもの松喜庵へ行った。
帰ってくるとこれが、ウソのように仕事がはかどる。
はかどるのだ。玄関をきれいにしたからだろうか。
昨日買った「ベック」を聞きながら、仕事をしたからなのだろうか。
刺激されると同時に、耳についてはなれない。
肩肘張った感じがしない、ベックは。
湯川れい子さんによると彼のおじいさんは小野ヨーコなどの前衛音楽家の仲間なのだそうだ。
心地よい、未知の世界へ運ばれていきながら、仕事も柿渋も時の流れるままにすぎていくのだった。

1/10

ちょいと聞くといつの音楽家わからない。
60年代?70年代?80年代?
1980年代は、*$#@++&だと湯川さんはいっていた。
1990年代は、ベックだといっていた。

あっ、おもいだした、1980年代は、プリンスなのだそうだ。
プリンスって?あのちょび髭をはやした白っぽい黒い人?
みんな、さいのうあるんだ〜。
ベックの曲でも〜チャッチャラチャカラカ、チャッチャラチャッチャッチャ〜〜ってのがあった。
新しいっていうのはあれか、と感心してしまった。
プリンス的でもあるのだ。一曲だけ。

二日間、ずっとベックを聞きながら仕事をしてきて、新しいことって何なのかを思い知らされたような気がする。
「まず、自分からやってみて、それを越えること」
やらずにして、批判はできない。
やってみて、それを越える。
やってみて、まずいところを知る。
先人の試行錯誤を学び、体験し、自分のものにすることか。

温故知新をベックから知った、ハッピー・マンデーだった。

クマコラム
20000106

さあ、今年も仕事を始めるのだ。

最近、自分自身が変化しているコトに気がついた。
一番大きく変わったことは、TV、ラジオを問わずNHKを視聴するようになったことだ。
以前は、民放の番組を見たり、ラジオであればFMを好んで聞いていた。
しかし、最近では、それらの番組内容が耳にきんきんと響いてうるさく感じられるようになったのだ。
車の中でもFMではなくNHKなのだ。
高速道路を走っていても何の飾り気もなく淡々と進行するNHKの番組が心地よく感じられるようになってしまった。

う〜ん。。。
歳を重ねるということはそういうことなのだろうか。
じじくさくなってきたのだろうか。

おとといの夕方、渋滞の横浜駅周辺でNHKのラジオ番組で湯川れい子が90年代のロックシーンで一番才能を感じるミュージシャンは「ベック」だといっていた。
「ほう〜、またジェフ・ベックが復活してきたのか。最近はジェフを取って名乗っているのか」と感心していたら、今年彼は30才になるのだとれい子おばさんが言っていた。
「ん?ん?ん?」と思いつつ、「なかなか、いいよこれ」と数曲聞き入っていた。
「今、渋滞の中で聞いている方も多いと思うけど、最近ロックから少し遠ざかってしまった40才から50才くらいの人は、ベックを聞いてなかなかいいぞって思っているんじゃないかしら。昔は、ビートルズから始まってクリムゾン、ツェッペリン、T・レックスあたりまで聞いていた人はとても懐かしい感じがするかもしれませんね。全ての要素がつまった感じですもの。」
ずぼしだった。すこし、照れくさくなってしまった。
でも、いいものは、いいのだ。
30才であんないい感じの音楽を創れるなんて、やはり才能があるのだろう。

「最近のロックは、邦楽、洋楽を問わず、キンキンする音づくりがおおいけれど、ベックはそういう一群からすこし違うところで音を造っているんですね。」とれい子おばさん。
30才にしてベックはNHK的な音楽造りをしているのか。
よ〜し!クマも30代最後の年から、NHK的な仕事を始めよう。

NHK的なとは?
温故知新。
キンキンしない。
聞くものに媚びずに淡々と。
自己を他と比較するのではなく、独自に自立すること。

なんだか、今年の目標のようだ。

クマコラム
20000103

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

今年はたつどし。
みなさんは、ナニをたつのでしょうか。
私は、煙をたつ。(これはなかなかむずかしい。)
お酒をたつ。(これもぜったいむずかしい。)
浪費をたつ。(資金がなければ浪費もできない。)
つりをたつ。(いつも買った方が安いといわれている。)
・・・・・・・。(´…`ヾ)

目標をしっかりとたてて、今年もはじめよう。

クマコラム
19991231

雪におおわれた北山杉の里は静かであった。
谷底の家々をおおうようにして、除夜の鐘が響いてくる。
炉端では、当主が正月のお節料理を煮しめていた。
その妻は、お節料理ができるまで、わらじやぞうりを作って待っている。

「何でかしらんが正月のお節料理は、当主がおおみそかの晩に作るしきたりになってまんな。それにやな、中川では雑煮を祝いまへんにゃ。これくらいもある納豆餅を、炉端で祝いますにゃ。そらぁ、まめに暮らせるよう納豆が、はいっとるんどすわ。食べきれまへんやろ、それを毎日、残り福やゆうてあぶっては祝いまんにゃ。納豆の味がしゅんで、おいしゅうなるころには、正月もいんでしまうもんどすわ。」

外では、雪が降っているらしい。
炉の火がはね、遠くの方で犬が吠えた。

「こん、わらじどすか。ゴンズワラジゆうて、ほれ学校で習いましたやろな。楠公さんときの宮さん。その宮さんどすがな、その大塔ノ宮さんゆう人が追われてきてな、この村を通んなはったときに、村のもんが宮さんの歩いた足跡がさかさまにつくよう、作ってさしあげはったんやゆうとりまんどっせ。」

鍋の中には、鯛が入っている。
鍋の下の金輪(かなご)や、おろしてある茶釜(てんどり)は、利休の茶の湯の、原型を思わせるようなひなびたものだった。
鍋の蓋をずらすと、湯気が上がった。

「おとうさん、モモクリアガルほど焚いて、だいじおへんか。あむのおすえ。」

隣の座敷には、都会で銘木商を営むという次男と、その子供達とが、安らかに眠っている。
もうすぐに、「元旦早々、神前を祭る。右合同前。庄屋、裃を着て参詣すべし。」という祈りの朝がやってくる。

「京都。民家のこころ」〜年越しの炉端から〜(文・相馬 大)

1999年、3月18日から始まった、当HPご愛好ありがとうございました。
2000年も、アメニモマケズ、カゼニモマケズ、更新していきますのでよろしくごひいきのほどをお願いいたします。

このコラムの写真と文は、とってもクマが好きなヒトコマです。
日本の文化と伝統は、日々の生活の中で残していきたいと思っています。

クマコラム
19991216

おめ〜らっ!これ以上近づくとただじゃおかね〜ぜっ!死人がふえてしまぅあ〜!(椿三十郎)
じゃあな!あばよっ!(用心棒)
どですかでんでん!どですかでん!
BS2の黒沢映画にはまっている。毎日、たのしみなのだ。
人間の弱いところ、強いところ、人間愛が描かれているのだ。
強いものだけが、生きているのではないことがよく伝わる。
それと、ビジュアルがとても新鮮だ。
こびることなく、独創性があって、引き込まれていってしまう。

ひとりの人間の苦悩の末に完成された芸術性、いや監督のわがままさがよく伝わってくる。

20世紀、ビートルズの次は黒沢明なのかもしれない。
人間愛なのだ。

共通視点は。

21世紀は、愛が地球を救うのだ。
未来を引き継ぐための子供達への愛が。
屋根に土をのせることをためらってはいけない、恥ずかしがってはいけないのだ。
ひとつの家の屋根に緑がのることが地球を救うのだという思いを新たにして苦悩し続けたい。

クマコラム
19991208

「No.1になるよりもOnly1になろうじゃないか!」松山千春ライブでのことば。
ますます、話し言葉が汚くなっていき、身なりも常人から離れていく彼。
同じ道産子として目に余るところが目立ってきているのだが、久しぶりに感心した。
他との比較で相対評価1番を目指すより、誰にもまねできない絶対的な自己を確立しようと言っているのだ。
なるほど、最近は、彼と同じような性格の歌い手はいないようだ。
しゃべれば汚く、身なりはプロレスラーかその筋の人、おまけに毛が薄い、しかし、歌えばきれいな歌声と説得力ある歌詞。
やはり、Only1なのかもしれない。

No.1とOnly1の考察をもう少し。
No.1 って、どういうことだろう。
学校社会ではわかる。成績の上位のもの。ある集団においてその中のあるルール上一番のもの。
社会生活でのそれって何なのだろう。
会社であれば、営業成績が一番のもの?営業社員以外は順列付けられない?社長が一番?
はたまた、総理大臣が一番か?
ある競争社会の中での順位でしかないのだろう。
実社会生活の中では、No.1はふさわしくないのかもしれない。
社会生活は、競争生活ではないからだ。
仮に競争生活という場面があったとしても、それは本来求める人間的生活ではないといえるのではないか。

では、Only1 になるって簡単か?
それは、No.1より難しいと思う。No.50であれば49人追い越せばNo.1になれる。
目標が明快だ。それに達成感もあるだろう。
しかし、Only1は、目指す道と到達地点を自分で決めなければならない。
自分以外だれも決められない。
到達したかどうかも自分で決めるしかない。
到達したからって、誰もそれはわからない。

20世紀で一番印象的かつ影響を与えたアーティストにビートルズをあげる人が圧倒的に多いらしい。
彼らは、リバプールの小さなライブハウスでやっていたときから20世紀の1番を目指しただろうか。
絶対そうではないと思う。
世に出てから、グループ解散まで一貫して「人間愛」を歌い続けてきた。
音楽活動をベースにライフスタイルまで独自性を貫き続けてきた。
その独自性を貫きとおしたプロセスが彼らを20世紀の一番にしているのだろう。

Only1を目指した結果、No.1になることが、とてつもなく理想的なのだと思う。

クマコラム
19991206


あっと気がついたら、もう12月6日。
このHPの更新もずいぶんと遅れてしまった。
いよいよ、犬も猫も走り回る月にとっくに突入していたのだった。
ことしもいよいよあと一ヶ月で終わりなのだ。
ほんとうにめまぐるしく毎日が過ぎ去っていく。

今日の新聞に貧乏をなんとも思わない若者が増えているとあった。
彼らは一定の職にもつかず、ただただ時間を過ごしているらしい。
しかし、そこには、資本主義社会の発展ある未来のために今日に精を出すという構図が壊れていることが読みとれるとあった。
学校と会社の崩壊。
このままの状態で発展し続けることの環境的衰退そして崩壊。

あまりにも今と未来の人間的生活を見失っているのかもしれない。
ふと忙しくしているこの頃、このままでいいのだろうかと立ち止まることがある。
なんのために忙しいのか、人間性を見失ってまで、忙しくすることの意味。
根本を見据えることで、あらためて前に走ることができるのだが、その根本が自分の為や人のためでないとわかったときには、足がなかなか動かない。

あともう少しで、Y2Kがやってくる。
たいへんだ!たいへんだ!と準備に追われている。
いまひとつ、実感がない人も多いと思う。
具体的な不利益がはっきりと目の前に見えないからだ。
悲観的に考えるととんでもないことだが、楽観的に考えるとそうでもない。

社会や環境、人間性の崩壊とY2K、問題の根底にあるものは著しく等しいように感じる。
それは、人間の発展のためだけに、人間によってつくり出された機構、機械によって、人間がおびえ衰退、崩壊していく。
人間性を失ったために。

今月は、人間性を失わないように走り続けなければなるまい。

クマコラム
19991129

ヘッド・オン・タックル。ラグビーの体力技。
危険な技だそうだ。誰に危険かって?、あったり前だろう!タックルするほうに危険なんだ。
へたにタックルすると走り込んでくる相手のひざ蹴りを食う。
ひざ蹴りを食うと星がちかちかして、意識を失いながら試合をすることになる。

クマも高校生の時、試合で何度も気を失った。
気を失う自分の自覚はない。試合が終わった後、風呂に入って意識が回復した。
あのとき、こうしていればと思うが、ラグビーの試合はそうはいかない。
敵も真剣なのだ。こちらも真剣なのだ。体の大きいもの同志が真剣にぶつかるのだ、カラダで。
試合はおもしろい。ただただ、前に前にと、ひしゃげた楕円形のボールを追って走るだけなのだ。

危険な技こそ、相手を一発でしとめることができるらしい。
クマは、中央突破が得意技だった。そうそう決まる技ではないが。
相手がいようと、タックルしてこようと、えいや!っと、ど真ん中を走り抜けていく技なのである。
それは、不器用であり、体力と脚力があるクマには打ってつけの技で誰にでもできる技ではなかった。
高校生のときのことだが、それは。

しかし、今でも、そんな生き方をしている。
進行しているプロジェクトで盛んに文句を言う、足を引っぱるだけのやつがいる。
なんでそんなに足を引っ張るのかがわからない。こちらは、わからないから、プロジェクトの全員がいる前でわからないと言う。するとわからないクマが、悪者になるようだ。
悪ものになって、プロジェクトのほんとうの目的をみんなで共有し、その目的に向かって行こうじゃないかと言い続けるしかクマにはなすすべがない。
壁は多い。タックルしても、タックルされても、起き上がってくる、足を引っ張るやつが。
やはり、あたまから腹をねらい打ちする「ヘッドオンタックル」しかないようだ。
危険を承知で中央突破とヘッドオンタックルのあわせ技で、気持ちを入れてやってみっか!
今日も生きていくぞ〜!
でした。

クマコラム
19991124

今年ももう残すところ1ヶ月と少し。
それにしても不気味に暖かい。
なんだかすごく嫌な予感がする。
地球が変わってしまうのだろうか。
不景気で四苦八苦している世の中に追い打ちをかけるように何かとんでもないことが起こりそうな感じがする。

今日の新聞でカード偽造による被害が多発しているとあった。
東南アジア、中国の組織が絡んでいるようだ。
記事によると、レストランやガソリンスタンドのカード読みとり機にカード内容を盗み取る機械を設置し、それで偽造カードをつくり、買ったものを東南アジアで売り飛ばすのだそうだ。
嫌な世の中になってきた。

薄気味悪いのは、日本人がやっているのではなく、外人がやっているところにある。
同じような顔つきをした外人が家の中に分け入ってきて「∪∩∪∩∪∩*☆£¥!」って言ってお金を取られてしまい、そのあげく家にまで火を付けられたら、なんて考えたら薄気味悪くなってしまう。
外人だから特別だということはないのだが、言葉がわからないから、考えていることもわからないのだ。
ただ、犯人を追って手にピストルを持った刑事は、犯人の人相より恐いと聞いたことがある。
ここのところ、神奈川犬警は、もっとたちが悪いようなのだが。

そんなことより、今年も暖冬とニュースで聞き、朝起きて今日も暖かいと思うたびに、どんよりと不吉な予感がするのは、クマだけだろうか。
何か、天変地異が起こるような気がしてならない。

クマコラム
19991122

先日、地方に行ったときに自在鈎を手に入れた。
自在鈎ってなに?とおもうかたもいると思うので簡単に説明する。
囲炉裏の火どこの上になべかま鉄瓶などを吊すための長さ調整が簡単自在にできる棒状のもの。
ってところだろうか。

形は地方によっていろいろあるが、仕組みと機能は同じである。
おそらく人間が火を使いだしてからまもなく考案されたのではないだろうか。
ヨーロッパでも使われていて、よくみると「アルプスの少女、ハイジ」のアニメにも出てくる。

クマの家に囲炉裏を仕込んだときからいい自在鈎がないか地方に出るたびに気にしていた。
浅草の合羽橋に探しに行ったこともある。
普通よく見るものは、魚がついていたりしてごてごてしていてぱっとしない。
クマにとって「いい自在鈎」とは、シンプルであきのこないもの。
囲炉裏居酒屋にあるような演歌っぽいものではなくて、機能優先の単純なものがいいと思っていた。
ハイジに出てくるような。

福島にある「古木屋」に立ち寄ったときに期待をせずに自在鈎なんてありますかねと聞いた。
あるかもね、と言って倉庫を案内してくれた。
それはそれは、お店なんだか、倉庫なんだか、漬け物小屋なんだかわからない古物であふれた空間だった。
雑然とした空間に置かれているものをよく見ると値札がついているものもあるのでお店なのかもしれない。
そのなかにすすとタールでガチガチになった一本の棒を見つけた。
「おおっ、これは!」っと手にすると、すかさず主人が「こっちのほうは筒が竹じゃなくって箱形なんだよ」と弁解じみたやる気のない説明をはじめた。
箱形で魚なんかついていない、ごくごくシンプルなものだった。
やっと探していたものに出会えたのだ。

迷わず「これください。」というとそれまで風邪気味なんだと言って愛想のない態度がうって変わってにこにこし出したのだった。
古材、古道具なんて興味のない人にしか価値がないものなのだ。
いろんな人がやってきては、けちを付けて、去っていく人のほうが多いのだろうと思ってしまった。

クマコラム
19991111

先日、京都南インター近くのラーメン屋で遅い昼食をとり、一路東京を目指して名神高速を走りはじめた。
覆面パトカーに気を付けながら、オートクルーズを120km/hに設定していた。
前を走る車が迫ってくるとたいがい進路を譲ってくれる。
そのたびに後ろをチェックして覆面に気を使っていた。

ふと、気がつくとフォグランプを点灯させた一台の車がぴたっと後ろについた。
ようく注意してみると覆面ではなさそうだ。
覆面でない車がこちらのスピードに合わせて後続してくれるのはありがたい。
うしろから隙を狙ってパカパカやってくるパトカーにこちらが捕まる確立がひくくなるからだ。

しばらく、その状態が続いた。
後続車は隙を狙って、追い越すつもりなのだろうがそのチャンスはなかなか無かった。
右車線がつながっていて、一瞬、左車線がとぎれた。
その瞬間、後続車はさっと車線を変え、こちら横浜ナンバーの前に躍り出た。
その車は京都ナンバーの黒だった。

ふと気を許すと黒京都と横浜の間にトラックが2台入ってきてしまった。
トラック達は重そうな体をうんうんうならせて横浜の前を走っていく。
しかし、遅いのだ。
しばらくして2台とも左車線に進路を変えたときトラックたちの前に車は1台もなかった。
やれやれと思いながらまたオートクルーズをセットした。
その一群を抜け出し、前を走る一群をとらえたとき、最終車は黒京都だった。

20分ほど、トラックの後に付いていたのだが、そのロス分を取り戻したらしい。よしよし。
しかし、なかなか追いついた一群はばらけることが無いようで、仕方なく後続していた。
とその時、何を思ったのか黒京都は左車線にひらりと車線を変え、横浜を前に出してくれた。
不思議だなとおもいつつ、追い越した。
それから、横浜の前走車へのプレッシャーがはじまった。
すると黒京都はこちらにぴたっと後続してきた。
しばらくして、前が空くと京都は「おおきに!」とでも言いたげに追い越して走り抜けていくのだった。

こんな事が、4度ほど続き、静岡を抜け裾野あたりに来る頃には、お互いに息があっていた。
箱根の峠をすぎると車は群をつくらなくなった。
右車線をこちらは一定速度で走っていたので、それ以上の速度の車はこちらを簡単に追い抜いていった。
しかし、京都は追い抜くこともせず、横浜の後ろや左をうろうろしていた。
なついたのだろうか。まるでランデブーのようだ。
黒京都を意識し始めてから5時間ほどたっていた。
その間、黒京都を意識することで全く退屈じゃなかった。

最後は横浜が秦野中井でおりることでさよならとなった。
それにしてもパカパカに出会わなくてよかったよかった。

クマコラム
19990930

『生きてゆくためのサイエンス』平野勝巳著9/5発売
発売に先立ち「読んで、私を知る手がかりにしてください」と送られてきた。
私はすまいの設計者として一時期平野氏にならなければならないのだ。
「サンタクロースっているのでしょうか」から始まり、平野氏のお父様が亡くなるまでの243ページを一気に読破した。

クマコラム
19990921

犬猫との快適な暮らし。
来月から、知り合いのHPで、冒頭の主旨でエッセイを書くことになった。
一回もので書いてくださいとの依頼だったのだが、一回で長く書くのだったら、短く連載した方がいいかもと思ってしまった。
そんなわけで、不定期連載とあいなった。
今日その一回目を書こうと思っている。
何を書こうか?実は犬猫との暮らしに関しては、私はビギナーに近い。犬歴はまだ1年半しかない。そんな私が偉そうなことは書けない。
犬の視点で今の暮らしを考察してみようか。
そして犬猫にとって暮らしやすいすまいとはと考えてみよう。
4年ほど前、シアトルにいる友人を訪ねたことがある。
その友人も犬を飼っていた。
シアトルでは、「ドック・パーク」なるものがあり、広大な公園で犬を放し飼いにして遊ばせるところがあった。
日本では聞いたことがないが、アメリカにはそういうところがあるのである。
その境界線なんか見えないぐらいの広い場所で犬は自由に走り回っていた。
その時は、私は犬を飼っていなかった-葉山でも犬を自由に走らせられるところは少ない。
せめて、家の中ぐらいは自由に走らせてやりたいが、犬の本心はどうなのだろうか?

クマコラム
19990919
どたばた、ドタバタ。
なかなか更新できなかった。
その間にいろいろなことがあった。
中日VS巨人戦。三たてかと思われた最終戦、旧エースの斉藤雅樹が打ち込まれ後退する場面、悲しいのかうれしいのか昔のプライドがそういう顔をさせたのか「えへへ〜」と何とも言えない恥ずかしそうな人相だった。
その試合は負けてしまった。
熱狂巨人ファンではないが、巨人の試合は力が入るのである。

広角レンズのデジカメが必要になった。
建築物や内部空間を撮るために我々は 24mmとか21mmといった広角レンズをよく使う。
秋葉原に行き捜索する。ニコンのクールピクスとかいうものがいいらしい。
ただ、有名店ではどこも品切れ。相当な人気らしい。路地裏を探しやっと本体を見つけた。
すかさず、手に入れたものの、別売の広角レンズはしばらく入荷の見込みがないという。
ぐったり。ネット上で探してみようと帰路についた。
木曜日のある打ち合わせが終わる。
では次は、明日の3時からよろしくお願いしますとなった。?....
金曜日は、その関係の打ち合わせがないことになっていたので、朝から夜までびっしりと4件スケジュールを入れていた。
仕方なく、すべて調整し、金曜日の朝を迎えた。
電話がなり、その件は、月曜日に変更になりましたとの連絡が入る。
がっくり。4件ともスケジュールを変更し終えたところだったのだ。
「周りに振り回されるくらいなら、振り回す人間になれ!」とは、電通の社訓。
知ってはいるものの、なんだかぐったりとする週末だったのだ。

クマコラム
19990909

超私的「題名のない寄り合い」に参加した。
2ヶ月ぐらい前、もと私の上司Tさんとその友人U家の住宅検査を行った。
それがきっかけだった。その友人は一部上場の企業人。
あと十年あまりで退職を迎える。その前にいろいろな業種
の人とネットワークを持ちたいとの話しから今回の寄り合いが企画された。
10名ほどが集まった。池袋のおでん屋にぱらぱらと集まってきた。
ややっ!と思ったのは、異業種交流の予定が、私の元いた企業のOB会のような寄り合いだったからだ。
私が一番下の世代で平均年齢は50才に近かった。いろいろと話しが盛り上がる。
さすがに企業人はU氏だけで、残りは皆デザイン会社経営者かフリーのデザイナー。
会社や仕事の愚痴は、全くでてこない。それに加えて、皆さん顔色が良くいきいきしているように見えた。
ただ、話しの中で盛り上がっていたのが「髪の毛の話し」。
アメリカに飲む毛生え薬「ロゲイン」というのがあるらしく、リゲインとかロゲインとかあーでもないこーでもないと盛り上がっていた。
平均年齢が高齢化してくると話の内容もそれにあったものになるのだと感心していた。
次の寄り合いは、葉山でヨットだとか、水上でラフティングだとか団塊の世代は皆元気だった。
第1回目の今回を10年続けると平均年齢は60才。
その時はどんな話しになるのだろうか。想像がつかない。

クマコラム
19990906

昨日、「生き活き素材フェア」会場にあるネットワーカーがきた。

「我が社の製品は、100年の伝統を持って、いまだに愛され続けています。
使い心地を試していただきたくてやってきました。」珪藻土塗りのイベントも終え、一息ついているときだった。
「あなたの乗ってらっしゃるメルセデスも○△□や◆■▲といった欠陥があるかもしれないけれど、それで車全体を評価することはしないですよね?当社の掃除機も同じなのです。」
ん?こいつ何が言いたいんだ?
掃除機だけを売って生活しているのかと問いただすと「うにゃうにゃ、アムウエイのようなもので。」ときた。
やれやれと思い、私に掃除機を売りたいのか、私に掃除機を売ってほしいのかさらに問いただした。すると私に掃除機を売ってほしいのだという。
男女二人の組み合わせで、私をとろんとした目で見つめて勧誘してきた。
例によって、何を聞いても流暢に答えが返ってくる。何を反論しても、待ってましたとばかりに切り返してくる。
ドイツにある会社の方針はどういうものなのかと聞くと少し考え「主婦の生活をすこしでも〜」、パーツのリサイクル具合は?「本国では〜」ぱっとした答えが返ってこない。
時間がないから今日はこの辺でとこちらから終わろうとすると「化学物質過敏症の人からは支持を得ています。」と切り札的にきた。う〜ん。考えさせられるのだ。
本当によいものであって、化学物質過敏症なんかに効果てきめんであれば、なにもそんなに訪問実演販売で売らなくても爆発的に売れると思うのだが。なんだかくたびれる会話だった。

クマコラム
19990831

我が事務所にウインドウズマシンが侵略してきた。
クマが企業を卒業して、素浪人となった時退職金をはたいてマックを一式揃えた。
今から7年ぐらい前だった。
セントリスという機種で、クロック周波数は確か33Hz程度だったと思う。
ハードディスクは200MBぐらい。それと17インチモニターとプリンター。
たったそれだけなのに50万ぐらいを握りしめ、秋葉原を探して歩いた。
その日は12月28日と暮れも近かったので、購入したら年賀状はそれでつくろうと意気込んだ。
家に帰り、セットアップを始めるが、なかなか思うようにいかない。まぁ、はじめてパソコンに触るのだからしようがないが、全く思うようにいかないのだった。
年が明け、1月2日になってもいっこうにらちがあかないので、結局その年はイモバンで年賀状をつくり年の挨拶にかえた。▼それから、7年近くの年月は、人もパソコンも大きく変えたようだ。
スペックも遙かに進み、400Hz、8GBと2年前に大幅に入れた事務所のマック群よりも遙かに高性能だ。(W:M=400Hz:200Hzではあるらしいのだが)それに加えて、一通り揃えても10万そこそこ。
また、タッチオジサンや高倉健のようなアナログオジサンでも簡単に扱えるようなのだ。ちなみにハードのセットアップはものの2〜3分。ふ〜ん!
7台ぐらいのマックに囲まれて、ウィンドウズ野郎はいとも簡単に立ち上がった。
かたかた、カタカタ。
こいつカタカタいってるぞ!聞き慣れないハードディスクの音。
しばらくの間は、マック先輩達にいじめられそうな気配が漂う。でも、仕事はできそうな感じ。
マックのような人間性はあるのかしばらく試用期間としてみたい。

クマコラム
19990819

メルセデスにものづくりの原点を感じる。
ビートル、ステップバン(昔の)、カリーナ、シティ、ゴルフ、ライトエース、ランクル40、チェロキー。
学生の頃からいろいろ乗り継いだ。
4年前、9台目でメルセデスに替えた。
12歳のディーゼルだった。
この年令と9万5千キロ走行では、まだまだ中年らしかった。
欧米では20万、30万走っているメルセデスはたくさんいるという。
燃費の良さを嗅ぎつけ、リッター4kmも走らない新車チェロキーからさっさと乗り替えてしまった。
さすが、世界ではじめて車を作ったメーカーだけあって、乗ってみるといろいろとおもしろい発見があった。
キーをポケットにしまってから窓が開いていることに気がついても運転席のドアを開けるとパワーウインドーが操作できる。
オートマのシフトレバーがジグザグしているのも走行中何かのはずみでギアがチェンジしないためにもの。春呼を助手席に載せているときなど大いに役に立つ。
先日、親ばか丸出しで春呼のこともあり、歴代10台目になるメルセデスのワゴンに替えた。
7歳。8万2千キロである。
まだまだ、若者だ。
驚いたことにエアコン周りの操作スイッチ関係が、9台目16歳のメルセデスと同じだった。
サンバイザーに隠された照明付きミラーも同じディテール。
9年間同じディテール。
そういえば、16歳の細かい部品もいつでも手に入った。
たまたま、来年発表のメルセデスの新車のディテールを見た。
脱帽もの。やはりエアコン周りのスイッチは16歳のそれと同じだ。
古さを感じない。
目先のはやりにとらわれない信念あるものづくりの姿勢が感じられる。
永く丈夫に安全に乗ってほしいというのがメーカーの理念だそうだ。
社名がメルセデス・ベンツ〜ダイムラー・ベンツ〜ダイムラー・クライスラーと変わっても車づくりの理念は変わっていないようだ。
ものづくりを職能とするクマとしては大いに見習いたい。

クマコラム
19990804

ずいぶん更新していなかった。
夏休みでもさぼりでも何でもなかったのだが、朝一番で出かけることが多くて更新できなかったのだ。
そんなことをしているうちにもうとっくに8月になってしまったのだ。
はやいなぁ。
八月一日は葉山の森戸海岸で花火大会があった。
茅ヶ崎の花火大会も同じ日で森戸海岸からもよく見えた
。茅ヶ崎の方は、さすがに規模が違って大玉を連発で盛大にやっていた。
始まる時間も早くて、砂浜に椅子を出してのんびりそちらを見ていた。
30分遅れて20:00〜葉山の方も始まった。
「う〜んやっぱりなぁ。もったいなくて連発なんてできないのかなぁ。」とぶつぶつ。
少し規模の小ささに醒めた目で見ていた。
するといきなり「どど〜ん、ばっちゃ〜ん!」と海から花火が飛び出てきたのである。
不意をつかれたのと海が突然爆発したのでびっくりしてしまった。
よく見ると一艘の漁船がすぐそばの海辺を行ったり来たりしながら花火を海に投げ込んでいるのである。
これでもか、これでもかと次々に投げ込んで漁師の心意気を感じてしまった。
ちんけだなぁと思いながら見ていたのだったが、海の町のそれにふさわしい男気あふれた花火大会だった。
よかった。よかった。
これがかの有名な「水中花火」だったのである。

クマコラム
19990720

今日は海の日。
品川、練馬、習志野、他県ナンバーで朝の9:00には駐車場は満車だった。

クマコラム
19990707

たなばた 【{七夕}・棚機】
<1>「たなばた祭り」の略。五節句の一つ。

クマコラム
19990529

『ヒトは何をしたのか。よりも、ヒトは何のためにそれをしたのかが大切な時代だ。』
『ヒトのためになることを体系づけて研究開発していくのが、工学だ。』
今日目に、昨日耳にした言葉。

クマコラム
19990527

今日はすごい風だ!
クマもさすがに山道を転げそうになった。枝やゴミや何もかもそらに舞っている。
全てを蹴散らしてどこかへいってしまう風。
心地よい風。さわやかな風。いたずらな風。

クマコラム
19990526
私の先祖は、アフリカ人です。あなたの先祖もアフリカ人です。
テレビでそう言っていました。
縄文人か弥生人かではなくアフリカ人なんですって。

クマコラム
19990521

最近、観光目的の旅はしていない。
あまり観光したいとも思わない。
観光って何だろう。

クマコラム
19990520

高額納税者、百選。ではなく百人。
クマも高額納税者になりたい!と正直思った。なれるさとも思った。
今まで、苦しくて冬眠できなかったことは38年間一度もないのだ。
現役高校生時分の大学受験前夜、私立を受けたいとの私の希望を黙って聞いてくれた両親に向かって、『もし、浪人するようなことがあったら必ず、国立のT大へ行く自信はあります!』と合掌した。
幸か、不幸か、現役で旧物理学校に入学してしまった。
先々まで論理的な見通しがきかない分だけやる気で押し通そうとする部分と、理屈が合わないと前に進もうとしない頑固な自分を知っているだけに、T大へのみちはそう遠くないと自分では思っていた。
高額納税者への道。近道は、やる気か、理論か。
わからない。ただ、予測できることは、生活者の求めるモノとそれに応えるだけの行動が一致したときに道が開けるということ。
課題はそれに対してリーダーシップをとって継続していけるかどうかということと、生活者の求めていることが、皮膚感覚で理解できるかということ。
挑戦してみる価値はありそうである。

 ■ 電気自動車

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クマコラム
19990519

でました。電気自動車。
タケオカ自動車工芸と北陸電力の共同開発
一人乗りの小型車である。

クマコラム
19990511

おはようございます!
おおっ?びっくりした。
建て売りを購入して約一年経つので施工業者の一年点検を受ける前に専門家に家の具合を見てもらいたい。
という前向きな施主に頼まれて約120戸が整然と街を形成する大型住宅団地に出向いた。
ここは、ヨーロッパかアメリカか?とびっくりしながら写真を撮っていた外来ものの私にいきなり子供達が3人ほど近寄ってきて冒頭の挨拶を私に浴びせた。
田舎に行くと見知らぬもの同士でも、すれ違うときに挨拶を交わす。
葉山でも努めて私はそうしている。
気持ちがいいからだ。
知る知らない問わず、人間同士挨拶を交わすことは、一期一会かもしれないが心が通う。
突如出現した新しい街の中で、子供が知らないオジサンに挨拶する。
いいことだと思う。
心にやましいものがある街来ものを街ぐるみで排除するにはいい習慣だ。
開発業者や住民組織が仕掛けているとすれば、生きた街としての成熟はかなり早期に期待できるとみた

クマコラム
19990511

おはようございます!
おおっ?びっくりした。
建て売りを購入して約一年経つので施工業者の一年点検を受ける前に専門家に家の具合を見てもらいたい。

クマコラム
19990510

OK! ,YES!,NO! だけ!
これが電子メールの最高の返事らしい。

クマコラム
19990506

電話線。ライフラインであることを実感した。
祭日の昨日、所用があって出勤した。
いつものようにメールを確認しようとするが、電話が話し中。
かろうじてFAXだけがつながる。
インターネットが使えない!大いにあわてた。

クマコラム
19990504

黄金週間。

大きな荷物を担いでホームに立つ。
電車を待つ間、荷物を乗り口において少し席をはずした。

クマコラム
19990430

早い、安い、うまい。このキャッチコピーは牛丼の吉野屋だ。
学生の時は行かなかった。
時間がいっぱいあったから早い必要はない。

クマコラム
19990428

家の中の空気の流れ。情報と現実は違った。
換気扇から一番遠いところの窓を少し開けると一番良く空気が抜ける。
テレビ朝日のディレクターが言う。
情報を仕入れてきたらしい。

クマコラム
19990426

早くて便利はいいことなのだろうか。
木の話になるが、冬の伐り旬に伐採し、春まで葉枯らしをし、それから里に下ろし玉切り。
里で出番を待ちながら天日にさらさられる。
注文があるまでじっと待つ。
そんな林業は昔のこと。

クマコラム
19990422

やっと一斉に春がやってきた感じだ。
事務所の第一の小屋の前を通りかかるとなにやら聞こえてきた。
かりかり、ガサガサ、カリカリ、ぶ〜ん。

 ■ ふな口の酒

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クマコラム
19990414

ふな口の酒。小田原のFさんにいただいた。
はじめてお目にかかり口にした。
「このお酒は、酒蔵のふな口から垂れおちた酒を、そのまま壜詰めしたもので、蔵元でしか飲めない薄にごりの酒です。」
吟醸造り純米『丹沢山』仕込み7号ふな口の酒。と壜裏に手製コピー用紙が貼ってある。
読むだけで舌の裏がじわっときてしまう。
アルコール度は17.4%と少々高く、あらばしりの別名なのかと思いは巡る。
はたと気づく。
住宅設計の仕事では「海外になんかお金を払うより日本でしかも建てる近所で建材を調達しましょう。それが豊かな地域循環型社会を形成するのです。」
なんて言っていながら、安くてうまい伊・仏・チリのワインを常飲していた。
神奈川の山にもこんなうまい酒があったのだ。
これからは建材だけでなくアルコホールも地元でなければとほろ酔いながら理念が地道な生活に結びついていないことを反省した。
毎日が発見なのだ。

クマコラム
19990413

歌集第二。観音。兒玉弓。『四方よりひかる波にて洗われた さくらばかりの道 踏み惑う』
ひかりを感じるいいセンテンス。
桜ふぶきのまぶしさに乳母車を押すことさえ忘れてしまうのか。
幸せな日々に我を忘れることもあるのか。
外野のありがたい親切がお節介に感じることもあるのか。
深く深く味わえる。
言葉に託す意味は受け取る側で変わってしまう。
それはそれでいいのだ。
正しく伝えようとすると文章いっぱいになってしまう。
しかも言ってる方がまちがってることもあるのだ。
誰がどう受けとめようが、言っている本人は気にしなくていいのだ。
真摯でさえあれば。
私も今を歌ってみた『目にしみる 闇は磯気をさらはこぶ ひかりなくとも すり足でいく』
浸月時、懐中電灯なしでは事務所をでられない。
不況も続く
でも五感を研ぎ澄ませ気配を頼りにグイグイいくのだ。

クマコラム
19990406

私を育ててくれたある企業の創始者の奥様が近所に健在だ。御歳90。
こちらに越してきた7年前、起業することの大変さを彼女がしみじみ教えてくれた。
その時創始者は健在だった。
招かれて談笑したこともつい昨日のよう。
先日、不義理していたのでお線香をあげに妻と機を見はからって訪問した。
今年三周忌になるという。
「人生いろいろよ。人それぞれ。」
つい聴き惚れて気がついたら夕飯時をとっくに過ぎていた。
あり合わせのものでカレーやフルーツサラダを作った。
一緒に作って三人で食べた。
おいしい、おいしいとみんなで食べた。
いつもは一人。
いつもは二人。
三人で食べる食事は特別だった。
たまには、三人で食事をしましょうと約束して別れた。
次回はお線香を口実に90年の生き様を聞きたくて釣りたての魚持参で行くつもり。

クマコラム
19990331

神々のすむ家。
昔の民家にはいろいろな神様が住んでいた。
その神々は家庭教育の基盤になっていたようだ。
遠足から帰った子供達は家の門にすむお乞食の神様に水筒の残り水をそこにすててから家に入った。
成長してからは、腐敗しているかもしれない水を捨てて、なかを乾かすことだと知る。
私の育った家には神棚があった。
毎朝必ず水を換え手をあわせる父を見て育った。
親戚の家にいくと暗くてこわい場所があり、悪戯がすぎるとそこに入れるよと脅された。
私の家にも神棚を祭った。
困ったときにしか手をあわさないが、手を合わすと神に嘘がつけない。
父の背中の無言の教育のせいだろう。
今風の最新住宅に神がすむだろうか。
日々の雑用に神を呼ぶ秘訣があると思う。
無垢の板張りの床を雑巾で拭くたびに節が私を見ているからだ。

クマコラム
19990320

お彼岸。はっきりといつかわからなかったので調べた。(知性がばれてしまう。)
秋分、春分を中日として前後三日間の計七日間。そうか今は、お彼岸なのだ。

今、本ホームページ今月末更新予定の「木風犬猫の家」の『土地を買う』の原稿を書いている。
なぜその土地を買うことにしたのかを自分なりに追求していくとやはり生い立ちまでさかのぼってしまう。
何故、道産子の自分が今葉山に住んでいるのか。
その秘密は、私の祖父にあるのかもしれない。
書き進めていくうちに、私が書いているのか、祖父に書かされているのかわからなくなってしまった。

私が幼稚園の時に死んだ祖父とは、数回しか会ったことがなかった。
お墓参りは、一度も行ったことがない。
それでも、何故か私の心の中では好きな爺さんとして生き続けている。
今日は、お彼岸。北海道まで行って墓参りはできないが、心の中で「爺さんありがとう」と手を合わせることにしよう。

クマコラム
19990315

「そういう時代なんですよ!」

ガツンときた。時代とは、また新明解国語辞典から。
移り変わる時の流れの中で、ある特徴を持つものとして、前後から区切られた、まとまった長い年月。

昨日、気持ちよく晴れ上がった中で、「神奈川県の木を見に行こう。山を見に行こう。」が、無事開催された。
一度、雨で順延になったために参加者が、1/3と減ってしまったが、充実した一日が過ごせた。

それでも17名ほどのウッディサファリとなり、わいわいがやがやと山を登っていった。
山頂で、美味しいおにぎりを食べ、パーコレーターでコーヒーを沸かし、フッと一服を付けた。
持参した灰皿に灰を落とし、周囲を見渡した。煙を吐いているのは、私一人だった。
年々肩身が狭くなる煙吐きを自覚していたが、17名の中でたった一人だけとは驚いた。
素直に驚くと「そういう時代なんですよ!」ときた。

Formaldehydのことは、極力口にしないようにしている。
煙吐きがそんなこと言えないからである。
とは、いっていられなくなってきた。
う〜ん、時代に巻かれるか、煙に巻くか、思案中なのである。

クマコラム
19990313

誠意とは?

新明解国語辞典から。
「自分の良心の命じるままに動き、相手の気持ち・希望・立場などをくみ取ってまじめに事に当たる気持ち。まごころ。」
ずっと前、「こちらの誠意が伝わらないんです。だから、もう付き合い切れません。」とある仕事を放棄してしまった人がいました。

その人は、寡黙でよく働く人。
独りよがりなところもあるけどとにかくまじめな人。
あいだに入って調整したけれど修復つかず。

誠(まこと)の字をよく見ると、「言葉で成立」とも読めてくる。
まごころは、口に出して言うモノではないけれど、誠意は、やはり、良好なコミュニケーションの上に成立するモノらしい。
よく話を聞き、こちらの意志も伝えることが前提ということか。

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