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今日は朝一番でガレージシャッターの実物をチェックしに行く。港北ニュータウン。ハウスクェア横浜。バブル終末期のサラリーマン時代、横浜市と第3セクターの開発会議に参加したことがある。場所柄、東急の商業施設担当と助っ人で参戦した。それからかれこれ15年は経ったか。建物はくたびれ、中のテナントも総入れ替わり。なんとか維持しているようだがウラさびれた空気が漂っていた。

めざすガレージシャッターはアルミ製のオーバースラーダー。アルミが基本のシャッターなのだが木製風塗装や石風塗装があるのでそのイミテーション具合をチェックしに行く。サンプルがあってそれぞれそれはそれでとてもそれらしい。しかも、本物以上のそれらしさだ。しかし、シャッターで石風はないだろう。木目調ならわかるが。開閉早さを優先して目をつけていた。それは間違っていなかったようだ。

次に、ついでに玄関ドアのデザインも確認するためにランドマークタワーに向かう。その中間地点で屋根材の実物見本や保証の話も聞けるかと思い松下電工のショールームに立ち寄る。屋根材の10年保証について質問するが、担当したおねえちゃんが要領を得ず、確認して連絡を待つことにする。
「10年保証と書いてありますが、10年経過する前に色あせしたら吹き替え工事をしてくれるんですか?」ということ。カタログにも書いていないので、何を保証するのかを聞きたかった。

ランドマークタワーにつく。ちょうど昼時だったので腹が減った。高いテナント料を払っているのでたいしたものは食べられないだろうと思っていたが。やはり。食べるのをあきらめ、さっさとショールームに行く。目的はガレージドアと同じイミテーション具合の玄関ドアがあるかどうか。アルミ色であれば統一出来るであろうが、アルミに印刷あるいは焼き付け塗装したものであればその風合いの違いがいやらしくなるだろうと思ったからだ。さすが、そこはアルミサッシュメーカー兼住宅建材オールマイティーメーカー。様々なものがたくさんそろっていた。おおおおっ!こんなものまであるのかと感嘆した。そんなメンテナンスフリーのものばかりで住宅を造ったらさぞかし狂いも腐れもなく造った方とすれば大変のちのち楽だろうなあと思わずにはいられなかった。そこには住む人よりも造る人に優しい商品であふれていた。

ハウスクエア横浜で見たイベントパンフレットのコピーが頭から離れなかった。
「今の日本の住宅で当たり前であることが、世界の中で当たり前でないことがいかに多いことか。」
アルミベースで木目調の塗装をしてあること。メンテナンスフリーを追求するあまりニセ者でも楽な方が支持されていること。なんでもかんでも工業製品でできていること。世界の標準ではないだろう。ウォシュレットは外人が見たら『まるでコックピットのようだ』とたまげるらしい。
やはり工業製品で楽だけど偽りもので住まいを造るよりは、地域固有かつ本物の素材で人の住みかを造る方が誠実なのかと再認識させられた。ハウスクエア横浜もランドマークも熟してはいなかった。

今日は朝から『OZONE家づくりサポート・建築家登録』の最終整理。写真を貼付しなければならない。私はハンディデジカメを使いセルフタイマーで。さるこは昨年パスポートを作成したときのを流用。そういえば、昨年仕事量が少なそうだったので思い切って『コルビジェ巡りオートキャンプツアーin France』を企んだ。しかし、ずるずると所用に押し流されてしまいパスポートは使わずじまいだった。結局、北海道の生まれ故郷キャンプツアーもずるずると流れてしまった。今年こそは、是非北海道羽幌町墓参りキャンプツアーぐらいは敢行したい。


ところで、登録書類に書き込むデータを整理していて思わぬ成果があった。過去の完成物件の平均坪単価をはじき出した。延べ床面積と工事費をエクセルにせっせと入れ込んで、平均値を出す。それぞれの平均値は、延べ床面積〜43.47坪、工事費〜2848万円、坪単価66万円。この延べ床面積には、小屋裏収納いわゆるロフトや屋上テラスが入っていないのでそれらを入れると坪単価は52万円ほどになろうか。この工事費にはカーテンとエアコン以外はほとんど入っている。引き渡しを受けた日から家財道具を持ち込めば生活出来るところまで仕上げての坪単価。まあまあいい線だろう。材料はほとんど無垢材しか使わず、ビニールクロスも一切使わない。外構工事や地盤補強工事が必要な物件はその工事費も入っている。


最後に『リビング・デザインセンター・OZONE』に来た方へ我々からのメッセージを書いた。今年の3月以降、新宿OZONEに行かれた方は是非我々のファイルを手にとって見ていただければと思う。以下はそのメッセージ。


▼【住宅設計にあたっての考え方】

住まいは家人の個性が強く表れる建築であるはずです。自然界にはそれぞれその種に見合った個性あふれる「巣・スミカ」が存在します。それらには無駄がありません。また、必要最低限、種の保存のために自作します。人間も同じで身の丈にあった無駄のない住まいを自作していくのがふさわしいのではないでしょうか。その「住まいの自作」をサポートするのが設計事務所の役割です。

家族の数だけ住まいの姿があります。決まった型はありません。建て主が望んでいること、それに加えて将来の可能性を形にしていきます。住宅設計はどのジャンルの建築よりも建て主とのコミュニケーションが大切であり、内在する課題が多岐にわたる建築であると考えています。けっして、建築家の思いこみやわがままで住まいを造るのではなく、あくまでも建築家は建て主のサポートであると自覚することが住宅設計では特に大切なことであると思っています。


▼【建て主へのメッセージ】

我々は夫婦で設計を行います。住まいは家族のシェルターですので男女それぞれの視点でデザインされるのが望ましいと考えます。特に建て主がご夫婦である場合、設計段階でコミュニケーションを重ねていく際、聞き手である設計者も夫婦であると自由な意見交換が可能になります。男女の視点で住まいを造り上げていくことはとても重要なのではないでしょうか。

また、設計者は住まいづくりの用心棒であるとお考え下さい。裁判では弁護士が必要なように、建て主サイドで思考実行していく代理人が必要です。我々は海千山千のプロ集団に向かって建て主の用心棒として機能します。


▼【自己紹介(自身のこと、家族のこと、趣味その他)】

佐山は雪深い北海道で育ちました。大学進学のため上京したのですが関東の家は寒くて冬のライフスタイルが貧しいと痛感しました。なんせ北海道ではストーブの前にTシャツでアイスクリーム。それに比べて東京では、どてらにこたつでみかんですから。その思いが根底を流れているため、「夏をもって旨とすべし」ではなく「冬も豊かな住まいづくり」が基本となります。そのような理由から、薪ストーブを設置するケースがとても多いのが特徴です。

また、「くうねるあそぶを快適に」が住まいづくりの大きなポイントです。特に「あそぶ」はとても大切です。私は火遊び、音楽、野遊びが生活のエネルギー源になっています。ですので、自邸には薪ストーブ・囲炉裏・真空管・屋上菜園があり、どこでもお酒が美味しく飲める怪しい居酒屋に仕立ててあるのです。事例紹介の筆頭『葉山。木・風・猫の家』はそんな思いを形にした私の自邸です。

我々建築家が住宅を設計する際に頭の片隅に常に気にしていなければならない、あるいは気にしていることのひとつに社会の問題点に対する一般解になり得ているだろうかという視点がある。たったこの世にひとつの家族のためにオンリーワンのすまいを設計するときに具体的に希望事項として表面化していないが、社会潮流としてとらえておかなければならない深いテーマが潜んでいると考える。

それは、やがて来る化石エネルギーの枯渇であったり、都会的隣人不在がもたらす犯罪、家族像の未来などなど多岐にわたる。そんな多彩な通奏テーマの中でも、やはり家族像のあり方には注力している。増え続ける離婚やひきこもりといった事象に対して最小単位の住空間の扱い方でそれらをいくらかでも回避することができるのか。注意深くアンテナをはっている。

今読んでいる本の中に『解離性家族』というキーワードがある。『宮崎勤精神鑑定書』(講談社)に出てくる言葉だ。

『解離性家族』一般に馴染みのない言葉であるが、他の精神科医たちが『機能不全家族』などと呼ぶ言葉と同質の用語であろうか。拒食症や過食症、その他引きこもりなどの心の病理に悩む子どもたちに話を聞くと家族が本来の機能を放棄している場合がある。その際に使われるのが『機能不全家族』という用語なのだが、『解離性家族』というのは、さらに新しい意味を付加しているように見える。もちろん、多重人格が『解離性同一性障害』といわれることを念頭に置いてのことだと思う。

(中略)

もともと、宮崎家の板の間には、大きな卓袱台があった。まん中には漬け物や煮物が置かれ、食事の時は皆が座布団を敷いてそのまわりに座った。また、板の間は工場に向かっても開かれていて、呼べば皆が集まってこれた。いわば、戦後日本の原風景ともいえる卓袱台が、宮崎家では1985年まであった。夫婦関係が悪化し、家族がばらばらになっていく中で、卓袱台だけがかろうじて家族をつなぎ止める役割を果たしていたのかもしれない。

『宮崎勤精神鑑定書』(瀧野隆浩著・講談社)より引用

宮崎勤の家はもともと親の夫婦仲が悪く、家庭事情でリフォームを繰り返し、ついには家族を繋ぎ止めていた食堂も無くなり卓袱台はゴミ置き場に捨てられたようだ。その卓袱台を宮崎は自分の部屋に持ち込み皆で卓袱台を囲んでいたときのことを懐かしんでいたらしい。
このことは最小限の食事という家族行為が、形骸化はしていてもハードの事情で行えなくなり、決定的に家族のつながりが切れてしまったことを意味している。


すまいを設計するとき、図面の中に『リビング』と書くことが当たり前にしてある。しかし、そこで行われる家族行為があまりよく見えないことが多いのも事実だ。ソファが置かれていたとしたら、そのソファには座らずにソファを背もたれがわりにして床に座る。そこでは子どもがテレビゲームをやっている。あるいは、奥さんが昼間ソファに寝ころんでテレビを見ている。夜はご主人がテレビを見ながら風呂上がりにビールを飲んでいる。間違っても、ソファに家族全員がゆったりと座り、めいめい思い思いに何かをやっていて平和で優しい空気が流れているなんて想像出来ない。家族全員で何かをやっているとすればやはり食事なのだ。

宮崎勤の卓袱台と家族関係を知るまでもなく、食事する場所の持つ意味が大きいと思う。団地といわれた公団住宅やマンションが脚光を浴びると同時にnLDKという広さと部屋数を簡易にあらわす呼称が一般化していったが、その中の「L」すなわちリビングという表記は本当に必要だったのだろうか。リビングなんて何をするところかわからない中途半端なスペースを造るくらいだったら、DDあるいはSDとした方がよかったのではないか。(DD〜デラックスダイニング、SD〜スペシャルダイニング)まあ、床面積もいっぱいとれて、家の中で「テレビ場」とか「テレビゲーム場」なんかが造ることができるような場合はそれはそれで良いとは思う。しかし、スペースが限られ家族の絆をしっかりとしておきたいと考えるならば卓袱台スペース、あるいはダイニングスペースの充実を狙う方がマトを得ているのではないだろうか。

ちなみに我が家にはリビングはない。今日の天気を知り、食事をして、テレビを見て、寝転がって、たまには火をいじることができる囲炉裏の間(4.5畳)は一等席にある。それで充分鋭気を養える。不自由も感じない。食事という家族が集まる良い口実の場所を充実させることが、引きこもりを無くしたり、解離性家族あるいは機能不全家族を少なくすることに繋がるように思えてならない。


今日、薪ストーブがご縁で若いご夫婦にお会いした。ハウスメーカーあるいは工務店にすまいを造ってもらう場合と設計事務所に依頼する場合の違いを質問された。かくがくしかじか、設計事務所は建て主の用心棒とお考え下さいと説明。建て主は設計事務所に設計料という用心棒代を払うかわりに海千山千の建築プロ集団から守ってもらうことができ、自分の求めるオンリーワンを探すことができますとも。正しくご理解頂けたかはわからないが、すまいの設計を本業としている設計者は「離婚」「犯罪」「引きこもり」なんかについても真剣に解決方法を考えているということもお伝えすればよかったなあとちょっと反省している。

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「新月の木は腐りにくく狂わず長持ちする!」という神秘的な話題です。
先日、私が設計したある建て主から、とても興味深いある新聞記事がFAXされてきました。
それは、今年の9月8日北海道新聞に掲載された記事でした。

十二月の新月の直前に伐採した気は腐らず、狂いがなく、強度も高いー。 オーストリアの製材業者が提唱する、月のリズムに合わせた伐採法が日本の建築関係者らの間で話題を呼んでいる。 「新月の木」を使えば防腐剤や接着剤など人体に有害な化学物質無しで、長持ちする家を建てられるという。 月と木の神秘的な関係を日本の木で確かめようとする動きも出てきた。

提唱しているのはオーストリア・チロル地方のエルビン・トーマさん(41才)。
同地方にある「新月の時期に伐った木は良質で長持ちする」という言い伝えが真実であることを経験を通して確信し、子供がシックハウス症になったことをきっかけに、無垢の「新月の木」だけを扱う製材所をはじめた。

//////中略//////

新月〜月は地球の周りを回りながら29.5日の周期で満ち欠けを繰り返す。
新月は月が太陽の方向にあって地球から見た月の面に太陽光があたらないため、直接目で見ることができない状態。
その後、上弦の月、満月、下弦の月となり、新月に戻る。
人間を含めた地球上の生物は月の満ち欠けの影響を受けることが知られている。

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多くのプロセスを経て、建ち上がってくる。
そこには、多くの人たちの思いや技術が詰まっている。
たずさわる人間は皆真剣勝負だ。

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クマコラム
20000719

何故、葉山に住むことになったのか。
考えてみた。
湘南という響きに惹かれたわけではない。
単純に海に惹かれたわけでもない。
ましてや、裕次郎やサザンに惹かれたわけでもない。
いったい何故なのだ。

私は、北海道の山の中で生まれ、毎日の遊びの舞台が山川山だった。
高校まで北海道で過ごしたあと、東京に出てきた。
渋谷の街が肌に合わなかった。
都市的な装置に惹かれる自分を見いだせなかった。
ちょっとした仕事の間隙を縫って出かける自然が心地よかった。
クーラーではなく、海山川にそよぐ涼風が肌にあっていた。

仕事は、都市にあふれている。
都市とつかず離れず暮らせる自然豊富なところは。
心地よさを求めて、休日さまよいたくはない。
日々、心地よい空間で生活を営みたい。
私の場合、すみかを定める第一優先順位はそのへんにあるらしい。
手の届く範囲に「仕事」と「自然」。

次に、文化的な刺激があるところ。
「仕事と自然」のキーワードだけでは、葉山でなくとも他の地域もたくさんある。
ある人が、美味しいケーキ屋さんがたくさんあるところは文化度が高いといった。
ある人は、「それは洋風文化度ね。」といった。
生活必需品ではないお店がしのぎを削って充実しているということ。
住んでいる人が、それを求めているということでもあるのだ。
古くから、別荘文化がはぐくまれ、有名別荘建築も多々現存する。
文化的な刺激を受けるには、最適と感じた。

さらに、3つの住民が自然に共存しているのも魅力だ。
古くから住んでいる地元のかた。
御用邸をはじめとして、別荘利用のかた。
新しく、根を下ろそうとしている外来住民。
20年来葉山に住んでいるかたでも、新参者ですからと明るく笑う。
そんな、外来ものを受け入れてくれる田舎はめずらしい。

友人から「葉山は安くていいんじゃない?」といわれたのがきっかけ。
仮に住み始めると、上記の魅力が私をとらえて離さなかった。
はや、すでに8年ほど。
しっかりと根を下ろす気になったのは、上記のようだ。
このコラムを書いている手元を涼風がいたずらしてゆく。
気が付くと虫の音が耳に飛び込んでくる。
「あっ、夏休みの音」子供の頃の情景が蘇ってくる。

クマコラム
20000518

昨夜、久しぶりにYさんから電話があった。
Yさんは、昨年の今頃、当HPの「五郎の生きざま、セルフビルドプロジェクト」というページの主人公だったのだ。
「資金も足りないし、3人の息子達と力を合わせてみたいし・・・・だから自分たちで家を造ってみたい・・」
そんな意気込みをしっかり感じたので、「では!」とスタートしたプロジェクトだった。

難航した。
平面図を前に打ち合わせしても、仕事への不満とか、これからの生き方とかそんな方へ話が行ってしまう。
それでも、予算を把握するためには、プランをまとめなければならない。
プランの話になっても、Yさんがぐっと中に入ってこないのが、ひしひしと伝わる。
話は、自分の生き方・・・・・。

今回の家を建てる真の目的は?と聞くと、「あと数年で巣立っていく、息子達に子供部屋をつくってやりたい」ということだった。
当時拝見しに行くと、6畳に3人の息子達がたこ部屋状態で使っていた。
確かに、すごい状況なのだった。
しかし、具体的な話になると、自分の生き方への疑問が吹き出してくるのだった。
現在使っている住宅ローンの切り替え期限内に勝負しなければならなかったのだが、プランが進まない。
息子達へ子供部屋を与えたいは建前で、自分の生き方をリストラしたいのだろうと勝手に悟った。
「自分の生き方、身の振り方を一度整理し直して、お金を貯めてから、もう一度やり直しましょう」と直訴した。
それで、プロジェクトは中断した。

昨夜、「Yですけれど、覚えてらっしゃいますか・・」
「あ〜〜〜、どもども、元気ですか?」
「今日、上棟しまして・・」
「ん?・・・・」
「佐山さんに突き放されたあと、いろいろと考えて、試行錯誤しながら、やっと始めることができました。あのころは、佐山さんに甘えていたのかもしれません。」
「そーですか!それはよかったですね!やりましたか!それで仕事は?」
「いや〜、○△□の件が、今忙しくててんてこ舞いですよ!」(声に張りがある。)
「それはよかったですね!」
「電話したのは、佐山さんからいろいろと教えてもらったことが今の状況までたどり着けた大きな要素になっているので、是非、その報告とまた一緒に飲みたいと思って・・・」
「そうですか、是非是非、Yさんの生きざまを見せてくださいよ!現場で飲みましょうか?」

昨年の今頃の様子と違って、生き活きとして、前向きな姿勢がひしひしと伝わってくる電話だった。
それにしても良かった良かった!めでたし、めでたしなのである。

クマコラム
20000127

先週「横浜。木・風・水槽の家」の上棟式があった。
多くの職人さんの力で一軒の大きな家の棟が無事にあがった。

今日は上棟。

1階の大きな吹き抜け。
6寸角、杉の堂々たる面付き柱がそびえている。
迫力ものだ。
現代建築は、伝統的な材料から解き放たれるべく、材料がより細く、より強くと身軽になることに腐心してきた。
しかし、材料の持つ息吹を感じようとすると太く力強くなるのだ。

みんなで力を合わせてすまいはできあがる。

棟梁により、上棟の日付が刻まれた。

気持ちが引き締まる。
無くしたくない日本の伝統儀式。

無事の上棟を祝い、そして感謝の意を込めて、建物を塩、米、酒で清める。
これから、黙々とすまいと格闘していく、丸山さん(奥)と全体を切り盛りする宮原社長(手前)。

一通りの挨拶のあと、宴が始まった。
施主の奥様手作りのおでんが温かかった。

「お湯割りあるよ〜」
左から、建て主さん(クマではありません)、宮原社長、佐藤常務。

鳶さんによる、「木遣り」が始まった。
みんな「うぉ〜」とだけ声を合わせる。

宮原社長による一本締めのあと無事上棟式が締められた。
とてもとても寒い一日だった。

クマコラム
19991117

炭のはなしのつづき。

今、日本のいろいろなところで炭がつくられている。
バーベキュー用、料理屋さん用から建材用に至るまで使用用途は広範囲にわたる。
焼き物用としては、ガスに比べて中の心まで良く火が通る。
ガスは燃焼時に水を発生させるが、炭にはそれがないのでカリッと焼き上げることができるのだ。
建材用には、くず炭が適するという。
クマは解体された廃材を炭にしている業者からくず炭を安く仕入れて湿度調整材として使うこともある。
畑の土壌改良材にもいいという。

薪ストーブの燃える様子をよく観察していると投入した薪がいっとき炭になっていることがわかる。
薪に火がつき、燃えさかり、いったん炭に近い状態になって、おきになり灰に至る。
よく薪ストーブってカラダの芯まで暖まるっていいますよねと聞かれる。
クマはその理由は次のように考える。
炭火は遠赤外線を発していて、温度ではなく、人の体の中に進入してくるのだ。
そして、体の中の分子をふるわせるのだ。
だから皮膚の表面は、それほど熱くなくても、体の中があったかくなるのだ。
薪でわかしたお風呂の水は柔らかいという理由もそうだろう。
炭火状態の時に水の分子を遠赤外線が分解して小さくしてしまうからだと思う。

いずれにしても、炭はなんだか良さそうなのだ。
カンで人に勧めるわけにはいかないので、研究資料を探してみた。
どこかの大学で研究していないかとネットワークをたどってみた。
東京農業大学出身の知り合いに研究しているところはないかと聞いたがないらしい。
みな、林業関係の研究は、造林が主体なのだそうだ。
けっこう炭って古くからあり、研究されていそうなものだがそうでもないのだ。
炭の仕組みとその効用でノーベル賞が取れるかもしれないのだ。

クマコラム
19991116

ダウジングってご存じだろうか。
針金を直角に曲げたようなものを両手に持ち、肩幅ぐらいに拳をそろえ、肘も直角にして立つ。
そのまま歩くと、あるところで針金が閉じたり、開いたりする。
建物を建てる前、更地の状態の時にそれをやると土地の持つエネルギーの流れがわかるのだという。

針金が両方とも外に向かって開くところはいい部分。
反対に針金が閉じるところはエネルギーが滞っていて悪い部分なのだそうだ。
信じるか信じないかは別にして、たしかに針金が動くのだ。
こっくりさんのように。
むかし、水脈を探る時にもやっていたということを聞いたことがある。

これは、針金が本来人間が持っていた触覚を引き出しているのだという。
なんだか、ぱっとしない見せ物小屋をのぞいたような気分になるが、そうらしい。
そして、閉じてしまう土地の部分に炭を埋めると気が流れ出すのだそうだ。
う〜ん、ほんとかどうかわからないが、そうだという人がいた。

炭にはいろいろな力があるらしい。
パソコンのモニターからでる電磁波も吸収してしまうらしいのだ。
クマの21インチモニターの前には炭がでんと置かれている。
これは、本来人間の持っている機能を電磁波にやられてしまわないようになのだ。

クマコラム
19990913

土地探し。なかなか難しい。
最近よく土地探しの片棒を担ぐことが多い。
建て主様とのつきあいが長い場合は善し悪しの判断が付きやすいが、短い場合はなかなか総合判断が付きにくい。
土地に欠陥があるかないかの視覚的な判断はできるものの、その土地が建て主にとってふさわしいのかどうかは判断がむずかしい。
人それぞれ価値基準が違うからだ。
この事務所がある「葉山。木・風・犬猫の家」の土地は、当時葉山で土地探しをしている人ならみんなが知っていて、みんなが見向きもしなかった土地だったらしい。
でも何故か、3年以上も土地を探していたのもかかわらず、私は一目惚れで決めてしまった。土地との出会いは縁だろう。
葉山で土地を探しているある建て主から気に入った物件が出たので見てほしいと電話があった。
この事務所のすぐそばだった。
その方とはここ3ヶ月ほどのつきあいだったが、何となく自然派の波長があっていた。
我がことのようにそそくさと見に行った。なかなかである。私は気に入った。
90坪弱で42万/坪、車は何とかはいる。
眺望開けて気持ちの良さそうな暮らしができそうだ。
ただ、その土地と建て主が赤い糸で結ばれているかどうかは私にもわからない。

クマコラム
19990826

内断熱か外断熱か。
最近、建て主であるお客さんから良く聞かれる。
何故、そんなプロでも良く理解していない人が多いことを素人が聞いてくるのかわからなかった。
聞いてみた。
すると『いい家に住みたい』松井修三著に原因があった。
早速本屋に行くが、品切れで注文してきた。
帰りがけ新聞の広告でタイトルが気になっていた『史上最大のミステーク』赤池学他著があったので購入してきた。
読み始めてびっくり、この本も内外無断熱に関する情報満載の本だった。
「内断熱・無断熱のマンションはシックハウスを引き起こすカビの製造器と化している。
 この状況を黙ってみてきた日本の行政や建築関係者は30年間ほど史上最大の大失敗を犯しているのだ。
 そして今でもそれをやり続けている。」とあった。
北海道出身であるクマは、東京の家が寒くてどうも過ごしにくいと学生の時から切に感じていた。
10年以上も前に千葉県船橋で設計した住宅でも外断熱二重壁を採用している。
ローエネルギーで、夏涼しくて、冬暖かい家にしたかったからだ。
20年以上も前から北海道の建築家達はブロック造の内断熱の欠陥を嫌というほど見てきているので外断熱二重壁の工法を採用している。
クマも熱環境という意味でその工法を多く学び船橋の家で採用した。
長野のスキーロッジでも採用している。
この工法は実は、熱環境もさることながら結露対策に大きな意味があったのである。
内断熱や無断熱によるコンクリート造はカビの製造器になっているのだ。
今でも本州のマンションはほとんどこの工法で造られている。
この状況が続く限り、あとぴっこは増え続けるだろう。
しばらく、この話しは続けるのだ。

クマコラム
19990809

みなさん、暑い中ご来場いただきましてありがとうございました。
多くの方に「湘南台。木・風・犬の家」を見ていただくことができました。

クマコラム
19990806

くまごろうさんはまたまたラジオに出るため出かけていったのさ!たまには春呼も連れて行ってよぅ。

「湘南台。木・風・犬の家」ってどんな家のこと?

以下は、「シックハウスを考える会」のMLに報告した内容です。

MLのみなさんこんにちは。
佐山@葉山と申します。
下記学会に出席しましたので概要を報告します。
全貌を明らかにすると膨大になりますので各研究内容、研究者と簡単な概要を報告します。
詳しく知りたい方や報告資料の入手に関しては問い合わせ先をお知らせいたしますのでDMにて私まで問い合わせ願います。

クマコラム
19990721

建築関係者の中で地鎮祭の意味を正しく理解している人はどれくらいいるだろうか。
有鹿神社(海老名)の式次第から。
「人間は自然のめぐみを受けいのちを維持しています。
 山・川・草・木をはじめ、すべてのものはいのちの源泉です。
 私達は、これらを神の現れと信じ、崇拝しています。
 私達は、生かされていることを喜び、感謝の祭りを行います。
 ところでこの敷地は、皆様の所有する土地です。
 しかし、心の世界では異なります。
 この敷地には、もともと、その持ち主である「大地主神」(オオトコヌシノカミ)様がいらっしゃいます。
 私達は、昔から土地に建物を建てようとするとき「地鎮祭」を行ってまいりました。
 この土地に関わる神様をお招きし、御挨拶をします。
 「こういう理由で建物を建てますので宜しくお願い申し上げます。」
 「お許しをいただきましてありがとうございます。」
 このような祭りを行うことによって、神様のご加護を受けることになります。」

神の現れとか心の世界とかでてくると、ん?ややぁ?と思ってしまうが、見聞きするものだけが全てではなく、目に見えないものの存在やありがたみを真面目に感じたいとも思わされる。
姿形があってもそこに心がないと伝わらない。
やはり、終の棲家にするのであれば、神々の棲む家になってもらいたいのだ。
ヘビや蜘蛛と一緒に。
今日の神主は「うまいな」とか「へただな」なんてつぶやいていないでしっかりと目に見えないオオトコヌシノカミに祈ることにしよう。これからは。

クマコラム
19990705

住宅メーカーは商品をつくる。
建築家は作品をつくる。
宮大工は家をつくる。

クマコラム
19990522

設計事務所活用法2。
本HPに「すまいづくりは自己実現だ」ということがかかれている。
そのためには、自分に忠実になり自分や家族に耳を傾けよう。とある。
そして、自己実現のためには、設計事務所がその代理人として任務をまっとうしましょうともある。

クマコラム
19990515

設計事務所って土地も探してくれるんですか?良く聞かれる。
土地の仲介はやらない。
ただ、その土地が建て主の望んでいるものなのか、ふさわしい物件なのかという判断材料は、提示する。

すまいに自分らしさを求めるかたが増えてまいりました。
何故なのかを考えているうちにあるひとつの目安を発見しました。
仮説にしかすぎませんが、私なりの見解を示してみます。
ここでは、マズローの欲求5段階説をかりて、「すまいをつくる」ことについて考察し、自然主義生活を考えてみます。

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