▼ -1.街・建築。デザイン の記事一覧

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毎日がぱつんぱつんな生き方はいやだった。大学生の時から。それから、はや30年。もはや30年だ。

大学卒業して新卒新一年生。会社の先輩たちが夕方家に帰らない。夕方かえって家で家族とごはんを食べない。それがカルチャーショックだった。そんな生き方はいやだと思った。そんな仕事環境も長くは続かないと思った。

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今週はじめ、電話が鳴った。所員がとる。なにげにきく。丁寧な受け答え。もう少し聞き耳を立てる。047...で終了。KNSさんからのオファーだという。すぐにぴんとこなかった。が。今日訪問してきた。旧知のKNSさんだった。
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汚染採石 被害者への補償も焦点 東電「因果関係あれば」
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私の原風景は北海道山奥の炭坑町である。小学4年生まで育った。炭住のまわりにはズリ山(ぼた山)が点在し、見上げれば遠くに山のスカイライン。いまだに頭の中で東西南北を思い浮かべるときは、当時の山々が去来し確認する。一昨夜、久しぶりに「幸せの黄色いハンカチ」を観た。4回目ぐらいだろうか。観るたびに今は無き故郷を思い出す。羽幌炭坑には10年住んだ。閉山と同時に北海道深川市に移り8年、大学進学で東京に出て周辺部に転々と約13年、独立と同時に葉山に定住し14年。今までの人生で一番長く住んでいる場所になっている。私は葉山が好きだ。今のところ移り住みたいとは思わない。今のところという条件付きなのは、激変しなければということ。葉山の好きなところが無くならなければということ。

好きな点は、まず山と海のエッジであること。これは健康的にすこぶる良いようだ。夕方になると昼間の海風から山からそよぐ山風に変わる。海と山が接近しているせいで、瀬戸内海のようなべた凪も一切無い。海風山風が瞬時にして切り替わる。これは湘南地域でもめずらしいだろう。私の事務所兼自宅は海に開けた山肌に張り付いているのでいっそう顕著に感じる。昨日も所用で横浜まで出向いた。エアコンのないサンダルがわりの軽トラで行ったので窓は全開。行きは用事を足しながら一般道を汗だくで走った。帰りは横浜横須賀道路を窓もアクセルも全開で走ってきた。横浜で高速に乗った時点では熱さを感じていたのだが、逗子ICを過ぎるあたりからぐっと冷気が増してきた。葉山近郊に近づいたとたんに温度が下がった。緑が多いのはもちろんなのだが、山と海のエッジに存在しているために地域の温度が周辺地域と違うようだ。これはとても過ごしやすい。夜も1階と3階の窓を少し開けておくだけで煙突効果抜群で熱気がぬけてゆく。室内温度よりも外気温度が低いので、全く風が無くても気流が発生する。本当にやせ我慢することなくエアコンのない生活がおくれるのは葉山特有の地域気候にあるのかもしれない。

次に好きな点は、新旧の混在。Traditional & Modern 。古くから暮らしている人々と新しく住み始める人の混在。この歴史は古い。1次産業を中心に暮らしてきた地域に別荘文化が根付く。御用邸もそのひとつだろう。新しい文化を受け入れつつも大きく町が変わらなかった。鉄道が入り込まなかったことも大きい。しかし、昨今は町の多くの面積を占めていた企業の保養所がマンションや宅地に替わり様相が変わりつつある。それらの多くが、葉山の現代住宅というよりは、日本全国でどこでも見られるような地域性のないもの。古い家屋だけが良いのではないが、せっかくだ。かろうじていまだ残っている葉山の空気感がなくならないようにしたい。有形無形において新旧混在するところに葉山の可能性を感じるからだ。

しかし、激変の兆しは見え始めている。道路拡張がすすむ。道が狭かったために車と歩行者の共存が危険と背中合わせながらも成立していた。車線が広がると、速度が上がる。商店は益々さびれる。人が歩きにくくなる。悪いことばかりにならなければよいが。老人ホーム建設があいつぐ。葉山に限ったことではないが益々老人が増える。そのことで、希薄だった世代間交流が増え、凶悪犯罪を地域で無くせるように成熟していくと良いのだが。見ていないようで見ている。気にしていないようで気にしている。田舎でもない都会でもない。葉山は独特の距離感をもっている。

昨夜、いったん寝床に入るも「お別れと鎮魂の空間」が気になって起き出す。テーマが与えられてから2週間弱。頭の片隅から離れなかった。締め切りは今日。このまま出さずじまいか。えいやとまとめるか。日々の仕事と格闘しながら悶絶していた。コンペに採用されるかどうかよりも今の時点で考え方を整理しておくことが大切だとまとめにかかる。以下、まとめた内容。

●死についてどのように考えますか?

 「死ぬ」ということは、ステップアップのための通過点だと思います。肉体は死とともに終わりますが、魂は次に引き継がれる(輪廻する)と考えます。生前、苦楽をともにした人々との別れは共につらいもの。しかし、故人の更なるステップアップと考え、葬儀は残された皆で生前の故人を祝福する機会と考えたいと思います。

●一般的な葬儀場に対する考え
 
 今月はじめ(2006.07.04)仕事でお世話になった方が亡くなりました。企業のシンクタンクとして活躍されていた方なので多くの方々が通夜にいらっしゃいました。私は企業人としてよりも、起業家の先輩としてお付き合いしていましたので心底悔やみました。親族の方を前に焼香をしたあと、食事の席に通されました。それは先輩の遺体が安置されている場所から離れたホテルのラウンジのようなところでした。そばに遺体もなく、線香の臭いもせず、それは先輩の死を感じさせないようにしつらえられた味気ないオフィスの片隅のような場所でもありました。
 私としてはもっと生前の先輩を皆で偲び、ステップアップのお祝いをしてあげられるような空間のあり方はないものなのかと思いました。
 5年前に叔父を亡くしたときも、さっぱりとして線香臭さがなく事務的に思えました。そのような経験から、一般的な葬儀場は故人を想い祝うというよりも、早く忘れるための事務的な空間と手続きのように感じました。

●大切な人と最後を過ごしたい空間はどのような空間ですか?

 まずは、縁があって神奈川県で死ぬのならば、神奈川県らしい空間で最後を過ごしたいと思います。また、日本人として死んだのであれば畳の上で最後のお別れをしたいとも思います。それはいろんな想いが重なった畳は特別のものであり、室内では靴をぬぐというしっとりとした日本の固有空間の象徴でもあるからです。お産婆さんが来て子供が生まれる。おひな様を飾って節句を祝う。大広間で結婚式をする。葬式には皆が集まり、故人をしのぶ。すべての節目を知っているのは畳だったのではないでしょうか。

 また、日本の民家は暗いもの。しかし、暗さと光は一対でもあります。この世に生を受けるとき光の中に出てきます。死ぬときは暗い中に戻っていくのでしょうか。私にはわかりません。が、死ぬという特別の節目を祝う空間は「唯一の光と影」にあふれたものとすることで、残された皆は故人に集中して想いに浸ることができるのではないでしょうか。

 私が大切な人と最後を過ごすのは、故人に集中できるような光と影のあふれる畳の空間でありたいと思います。そこには、故人が生前大切にしていた「もの」「こと」をしつらえ、真の故人の姿を偲ぶ方々に伝えられるようにさりげなく工夫を凝らせたいと思います。

 私が死んだら、大好きだったジャズを真空管でBGMに、自慢げに黒鯛の魚拓を掲げ、芋焼酎と神奈川三浦産の魚で皆さんをもてなし、真の私という人間を皆様に知ってもらいたいと思いますが。自宅で死んでゆくことができなくなった今、少なくともまるで私宅の畳の上にいるかのようななかで、皆さんと最後の時を過ごしたいと思うのであります。

先日ブログに書いた先輩Tさんのお通夜に参列した。59歳。道半ばの不慮だ。ここのところ4年くらいご無沙汰していた。1年にわたる闘病の末旅立たれたらしい。ストレスからか、もともと胃弱だったのかわからないが胃薬をいつも飲んでいたように記憶している。昨年、食事がのどを通らなくなり病院に行くと、いきなり宣告されたらしい。胃ガン。事務所の仕事はもと同僚が元請けとして請負、病床でTさんが仕事をやっていたという。本当に最後まで「えんぴつ」を持って逝ってしまったようだ。合掌。

今日のお通夜は私がサラリーマン時代の先輩、Hさんご夫妻と一緒だった。Tさんと同じ、企画マンのHさん。Tさんと私を結びつけてくれた先輩でもある。とても残念がっていた。企画マンらしいHさん曰く、Tさんはまだ人生の20:00手前だったのだと。どういうことかというと、ざっくり年齢÷3が一日の時刻にみあうのだそうだ。59歳だとすると3で割って19.66時。夕食も終わり、ゆっくりと一日の疲れを癒す時刻。一日の余韻を楽しむこともなく、まだまだ寝るには早い時刻。だそうだ。ちなみに私は45歳。15:00。仕事真っ最中で、夕飯と夜の時間が待っている年齢らしい。なるほど。そうだとするとTさんはゆっくりとした夜の時間を楽しむこと無しに終わったということか。早いな。少し。(いや、かなり…)

今日は葬祭場でのお通夜だった。場所は世田谷。住宅街のどまんなか。まるで大きなホテルのような会場の敷地に入ると大きな駐車場があり、そこからお通夜を行う各ブース(という表現が似合うほどこぢんまりとしている)がすべて見渡せる。今日は6組くらいだっただろうか。大きく名前が書かれたブースに進み、記帳を済ませる。その後は、いる場所もなく入り口付近にたたずむ。仕事関係のかたが大勢やってきた。となりのブースでは親族だけかひっそり。30分ほど知り合いに挨拶などをしていると焼香。親族に挨拶し終わるとそこから離れた2階の席に案内される。ホテルのようなドライな空気の中で会食。ホテルと違うのはざわついていないことくらい。Tさんの話を中心に別れを惜しむが、本当に別れを惜しむのにふさわしい空間だったかというと疑問だ。Tさんが横たわる棺は入り口付近のブース。会食場所は2階のホテル奥。さっぱりとしていて線香臭さは全くない。しかし、別れを惜しむ空気感もない。別れを惜しむ建築としてはまるで考慮されていないと感じた。せめて棺が見える場所で会食したほうが良いだろう。そして、敷地入り口の玄関前のブースではなく、しっとりと奥まった場所でお別れをする方が良いだろう。淡々とスムースにことを進めていくには良いのだろうが、お別れと鎮魂の空間ではなかった。もっと建築空間でお別れを大切に扱うやり方があったはずだ。

葉山に戻り、メールチェック。当事務所が登録しているOZONEからメール。「お別れと鎮魂の空間」の設計デザインコンペの案内。その募集要項に次の質問が。

●死についてどのように考えますか。
●あなたが持つ「一般的な葬祭場」に対する考え方を教えてください。
●もし、大切な人を失って最後を過ごした時、その時のお別れの空間に対してどう考えられましたか。
●大切な人と最期を過ごしたい空間とはどのような空間ですか。

実にタイムリーな質問だ。おそらくTさんが私にメッセージを送ってくれたのかもしれない。やってみろよ佐山!と。じっくりと考えてデザインしてみようと思う。

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所用で都内へ。大嵐の一夜をあけてJR各線がもたついている模様。車のボディカバーもめくれあがるほどの強風だった。街には、切り刻まれた葉っぱが散乱。横浜横須賀道路に出ると強風が残っていて時よりハンドルを取られる。横横道路中間で湾岸線へ。大黒埠頭経由で都内に向かう。横浜までは順調。しかし、ベイブリッジ手前で急に減速。弓なりに路面が天に向かう橋の上には動かない車でびっしりだった。平日にはなかなか遭遇しない渋滞だ。いそぐ所用でもないのでやれやれと観念し、ナックファイブの小林克也を聞く。金曜日、このへんなおじさんをみょうに気に入っている。とにかくヘンなのだ。投書を読みながらツボにはまると下品に「げへげへ」笑う。はがきを読みとちる。中でもボイスチェンジャーを通した小林克也の声で「ミッキーだよ〜」と電話で視聴者と話す。何故か電話の向こうで老若男女が「わ〜!ミッキ〜!」とはしゃぐ。とにかくヘンなのだ。とってもヘンなので毎週聞いてしまう。しばらくするとパトカーが路肩を追い越してゆく。事故のようだ。ベイブリッジの頂点にさしかかると2台の車の前にパトカー。お巡りさんが風に飛ばされそうになりながら橋の欄干に捕まっている。見下ろすと白い三角波で水面もごった返していた。車の温度計を見ると20℃。確実に春が近づいてきている。

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デスク・ハードワークが続いている。朝マックに向かいひととおりメールチェック、ネット巡回。頭がハードワーク中なのでコメントもせず仕事に突入。何をやっているかというと、描いても描いても終わらない一軒の実施設計をやっているのだ。以前、一軒の家の設計は20坪の住宅でも70坪の住宅でも同じだろ?だから70坪の設計料をまけてよといわれたことがある。ところがどっこい実施図面段階では20坪の住宅と70坪のそれではやはり3.5倍以上の時間がかかる。思い入れがなければ機械的に済ませてしまえばよいが、「まてよ。それよりもこっちが良いだろう」と数ミリ単位で考えはじめるときりがなくなるのだ。でも、これが楽しい。まるでランニングハイだ。

このデザインの仕事には何回かの山場がある。デザインを依頼されてから始まるアイディアフラッシュ期間。依頼者が考えていることこちらがそれに対して考える期間だ。この期間に適正期間はない。数週間でまとめなければならないこともあれば、数年かかってまとめる場合もある。長ければよいというものではないがある程度アイディアを絞り出す期間は必要。この時期はあまりデスクワークはない。思いついた時に紙切れにアイディアを描きとめたり、居酒屋で思いついたり、音楽を浴びているときにひらめいたりと様々。しかし、このアイディアを頭の中で転がす時期が最も大切。普段の何気ない遊びや生活からヒントがにじみ出てくる。

次はそれを具体的に描き出す時期。依頼者に伝えるためにわかるようにアイディアを形にしていく。この段階では最終形はまだ見えてこない。自分でもどう転んでいくのかさっぱりわからない。かなり不安な想いが交錯する時期。でも、経験上最終的に形にならず困り果てたことはないので暗中模索を楽しんでゆく。光が見えないトンネルをもがきながら進んでいく。依頼者に提案した後も、落ち着くまで暗中模索を繰り返す。依頼者の希望、私の方針、予算が合致するまで暗中模索。ばらばらだった3要素が少しずつ歩み寄り交わり出すと光が見えてくる。かすかな光が見えてくるとあとはぐりぐりその光に向かって突き進むだけ。突き進んだ先は明るい世界が待っている。

トンネルを抜けると一気にその3要素を実際に工事ができるようなレベルまで図面化してゆく。1月末から始まったここ3週間ほど、あるプロジェクトがその時期に来ているのでハード・デスクワークな日々が続いている。同時進行しているプロジェクトはたまたま第一段階のアイディアフラッシュ時期。それらのアイディアフラッシュも楽しみながら、マックに情報を落とし込む作業が続いている。一段落したら、表参道ヒルズを体感してきたい。東京駅の前川国男建築展も。今週末には行けるだろうか。

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今朝、枕元に歌声が流れた。うつろな世界がしだいにはっきりとしていく。目が覚めてしまった。


恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で

君をさらってゆく 風になりたいな

秘密 ちいちゃな胸の ポケットの中 こぼれちゃいそうなの

心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー

ウォンチュー 俺の肩を抱きしめてくれ

午前3時の東京ベイは 港の店のライトで揺れる
誘うあなたは奥のカウンター 
まるで人生飲みほすようにブランデーあけた

男って奴は港を出て行く船だね
悲しければ悲しいほど 黙り込むもんだね


ラジオ深夜便で「松本隆作品集」。聞き込むうちに目がさえた。ごそごそ起きだしMacを起動させる。まだあけない早朝、検索した。彼のサイトに出逢う。
年齢にして還暦前ぐらいだろうか。はっぴいえんどのメンバーとして、大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂といっしょにやっていたこと。筒美京平とヒット曲を連発していたこと。建築家妹島和世に自邸を設計してもらったこと。は、知っていた。それ以外は知らなかった。
サイトを斜め読みする。歌の世界で3Dを構築しているとあった。たしかに、松本隆さんの歌の世界はイメージが広がる。し、ある独特の世界を感じる。

都会のビル陰に身を潜ませながら、故郷を想う素朴な男。
さめているように見せているが、実はもっとガラスのように冷めている。
クールを装うがため、窓辺の灯りの恋しさが露呈している。
木枯らしの中コートの襟を立て背中を丸めて街を歩く幸せな男の背中。

のような立体映像を感じてしまう。
「強く光を当てれば影もくっきりあらわれる。そのどちらも取り上げることでよりいっそうインパクトの強いものになる。ものを創るときは時代とキャッチボールする方が良い」と。ものづくりに携わる人間として多いに刺激を受けるサイトに出逢ってしまった。もっとしりたい。


http://www.kazemachi.com/


ポケットいっぱいの秘密

東京ララバイ

今週は実施設計の真っ最中。毎日、1mm,2mm,3mm。一分二分三分、一寸…。爪の厚さから手の平くらいの寸法と格闘中。外気温も寒くなったり暖かくなったり忙しい。三寒四温はまだ先だろうと思うのだが。

昼に気分転換を兼ねて車を洗車しに。セルフ布洗車機に車を入れ、脇にあった注意書きの看板をぼーっと見る。と、そこは突っ込み満載のおもしろ看板なのであった。日本語ってむずかしい。
私は「ボリュームを消す」と「自己負担」に突っ込みを入れたくなりました。

「よし!家を建てよう」と思うきっかけは人それぞれである。私の場合10年ほど前にさかのぼるが、いずれ老いる両親の面倒を見なければならず、故郷を捨てた私を頼りに上京してきているので、近い将来住むところくらいは確保しなければというのがきっかけのひとつだった。それと、家賃を払い続けるよりはいずれ資産になる方がお金の使い方としては良いのではないか。前者は目的を果たしているが、後者はどうなるかわからない。

ごくごく一般的なきっかけで最も多いのは、子育て期にある御家族の場合は集合住宅での上下隣人との音の問題。気兼ねしないで子どもをのびのび育てたいということ。集合住宅(マンションやアパート)の場合、分譲ではそこそこ考慮されているが、賃貸では経済効率優先なので音の問題は解決されていない場合が多い。回転率が高くなるので大家に有利という設計か。
次には、子育てが終わり家族構成の変化に対応して生活をプログラムしなおす際、住まいもそれに合わせて建て替えようというケース。その後の生活を積極的にとらえていくケースだ。

私のところに設計相談あるいは設計依頼いただける方々のお話しを聞いているとそれらに加えて特徴的なことがいくつかある。私の指向性なので当然といえば当然だが。
ひとつは、「木をつかった住まいにしたい」ということ。最近では木に見えるイミテーション『木(もく)』が多い。狂わない・手入れが簡単・安いということなし。のようにみえる。が、生きている木の持つ本来の姿はそこにない。本来の姿とは育った年月以上に建材になっても生き続ける姿である。年月と共に色を変え味を変え家族のプロセスを刻み込む生き物としての姿だ。ニセ者はキズをつければベニアが出てくるか、見にくく正体がばれるだけである。建材になってからも人間の一生よりももっと長生きする木が大好きではあるが、デザイン的には「演歌くさく」ならないようにしなければならない。こびるようなくねった銘木は気持ち悪いだけだ。
次に、「エネルギーを最小限に夏涼しく、冬あたたかい家にしたい」ということ。それが直接的な家を建てるきっかけになることは少ないが、どうせ建てるのならそうしたいという方が多い。この先、化石エネルギーがどんどんなくなり、自然エネルギーあるいは再生可能なエネルギーに頼らざるをえない時代に向けて最小単位の『家』でできることを模索していく必要があろう。大切なテーマだ。

昨日、昨年一昨年お引き渡しした2件の住まいを見学させてもらった。これから住まいを計画される二組の御家族と一緒におじゃまさせてもらったのだ。葉山でも朝の気温は氷点下となった寒い日だったが、計画通り陽が差すと太陽光のダイレクトゲイン(直接熱取得)が効いていた。午後遅くおじゃました横浜の住まいでは1階の室内気温が22℃になっており、2階ではさらに温度が上がり暑いくらいだった。設備による温度操作は簡単だがコストがかかる。太陽光のありがたみを再認識した。その住まいは建て替える前、冬の朝は室内気温は一桁だったという。それに比べて今はずいぶん楽になったと大正生まれのお父さんも喜んでくれている。以前、まだ独立して設計実績数も少なかった頃、『おおおばあちゃんが目の黒いうちはこのままで良いと言っているんだけど・・』という相談があって寒い冬にそのお宅におじゃました。寒いが見るとすぐに建て替えしなくてはならないこともないと思った。見る限りハードとしての形態は保っていたように見えた。OMソーラーに興味を持っていた熟年夫婦。もう少し私のカンがはたらいていれば、おおおばあちゃんを説得してもらいたかったのかもしれない。今は建て替える労力よりもそれを上まわる冬の暖かさを手に入れてもらえる自信と実績があるので説得出来たかもしれない。年老いてから寒い冬は応えるだろうに。そんなことを思いながら横浜をあとにした。

ここのところデザインに集中している。もっかの課題は屋根をいかにきれいにみせるかということ。結果として世の中に具体的な形として現れてしばらくの間、羞恥にさらされるのであれば関わったものとして最高の形にしておきたいと思うのである。様々な制約があり、あえていうとコストだったり、建て主とのセンスの違いだったり、下世話なハードルはたくさんあるのだが、どんな試練を乗り越えても、『えっ?』よりも『へえ!』という形を残したいと思って日々格闘している。

何かで読んだのだが、建築家吉村順三と清家清が決定的に違うところがある。住宅作家として建築教育者として日本を代表する建築家だ。吉村順三は「ここではこうして住まなければいけない」と設計する。清家清は「自由にたたずまいなさい」と設計する。らしい。そう感じたという建築家の感想だ。どちらも建築家のあり方としてあり得ることだし、どっちでもいい。その設計作法の違いを理解して設計依頼するかどうかだ。私は「違いがわかる男の味…」というコマーシャルの記憶がおおきい。確か、小学生の時だったような中学生だったか。インスタントコーヒーを飲みながら、住宅規模の模型を片手に、にんまりとTV に出てくる。私の進路上のあこがれだったかもしれない。清家清である。

実は私に実務上のというか、大学系列上のというか、デザイン上決定的に方針を決めてしまっている事実上の恩師はいない。生き方だったりものの考え方だったりする恩師はいるが、屋根の形はこうでなければいけないと頭ごなしに決定的な方向付けする恩師はいない。それがたぶんいいのだろうと思っている。自分で決めていけばいいのだから。屋根はこうあるべき、住宅はこうあるべきと色を付けられてしまったらそれから逃れるのにずいぶん時間を費やすことになるだろうから。そんな、なんやかんやを乗り越えて50才を過ぎる頃に、大きく一皮むけるのであるのなら、色がついていないなかでもがく方がいいのではないか。

今日、葉山で計画予定があるYさんご夫婦と初めてお会いした。とてもうれしいことに私のブログとたまたま出会いそれを大切にして頂き今日お会いすることになったらしい。奥様は私と同じ道産子。なぜか道産子の場合、ただそれだけで垣根が取り払われてしまう傾向がある。「どんな住まい方をされたいのですか?」とお聞きしたところ「普通の普通の住まい方です!」とっさに「普通の住まい方が一番、むずかしいんですよねえ」と私。私にとっての普通の住まい方とYさんの普通の住まい方はおそらく言うまでもなく大きく違うのだろう。救われるのは、私が常日頃、ここで書いていることに少なからずも共感を持って頂きアクセス頂いたこと。ますます、日々精進を重ねて生活者として住まいと格闘し突き抜けていきたいと思うのである。


芸術は長い。人生は短い。
建築家。清家清展(2005年夏)

昨日の設計打ち合わせ。
「焼き肉を家でやったときの臭いは何とかならないかしら」と建て主の奥さん。
「良いのがありますよ。フジコーで出してます。照明付です!」と工務店の社長。
フジコーといえば、キッチンの換気扇で実力のあるメーカー。
いろんなシステムキッチンメーカーのOEMで縁の下の力持ちをしている。
やや?下克上が始まったか?的な興味がわいた。

以前、整流板を駆使して換気性能も良く、日頃のお手入れも簡単な換気扇をあるメーカー(T◎T◎)がシステムに組み込んでいた。
製造元を調べるとフジコー。
直接問い合わせるも、それは単体で販売出来ないという。
やれやれという記憶があった。
なので早速検索してみた。
http://www.innoinno.jp/product/lightflyer.html
宣伝するつもりはないが、目の付け所がいい。
ダイニングテーブルの上に吊す照明と一体になった換気扇とは思えないデザイン。
そのページの動画を見ると焼き肉の煙が確かに吸い込まれていく。
いわゆる換気扇フードはないが、整流板的な機能をする照明板のエッジからも吸い込みよく考えられている。
さすが。

これで1階ダイニングで焼き肉をやっても2階の個室には臭いはいかないのか。
「焼き肉をやると家中が臭くなって」
そんな声がフジコーに届いたのだろう。
照明器具と一体というのはなかなかにくい。
それもヤマギワとやるところが本格的でさらに肉い。

この様な住まいの中で「これが嫌なのよ!」ということがあればどしどしこちらに言ってくだされ!
生活空間研究所の研究材料にしていきたい。
私はいつもお店でチャーハンを食べるときに最後のひとレンゲをすくうときに「なんとかならないか!この米粒達!」と思ってしまうのだ。

昨日は久しぶりに小田原方面へ。昨年あるいは一昨年に引き渡しをしたお客様のところへ行く。1件目は大井町。薪ストーブの調子が気になっていたのでお聞きする。「杉ヒノキを燃やしているお客様が2シーズン目の今年、急に煙が逆流するようになりましたのでそのようなことはありませんか?」と。その方は自分でくぬぎ山を持っているので大丈夫ですよねと笑うと「いや。杉ヒノキを燃やしている」と苦笑い。そういえば、杉ヒノキの山も持っているのだった。針葉樹系の薪を燃やすと煙突トップの鳥よけネットにススがつまって煙が抜けなくなることもありますからと伝える。他は問題なく、毎朝どんなに寒くても17℃を下回ったことはないという。安心して別れる。

2件目は二宮町。小さなお子さんが二人もいるにもかかわらずきれいな状態。思いもかけずご主人が家のメンテナンスに積極的とのこと。1年目で外部の木部を再塗装されていた。1年目で再塗装すると次は3年目で大丈夫ですよと引き渡しの時にお話ししてもその通り再塗装をする方はほとんどいない。もっと見栄えが悪くなってから塗装するのが普通。住まいに対する愛着があるようだ。いろいろお話しを聞きながら家中を歩き回ると奥様はなんと裸足。冷たくないパインの床が心地よいらしい。ここも大きな問題が無く無事お別れする。

今日は湘南台で基本設計最終の打ち合わせ。予算がほぼ確定し、来週から実施設計をスタートする。確認申請も今週には提出。このプロジェクトは建築条件付で設計者だけ当社という変則スタイルで昨年初秋にスタート。基本計画が終わり建築予定の工務店と予算の話を進めるが建て売り主体の工務店とは話がかみ合わず遅々としていた。そんな時に工務店の担当者と腹を割って話した。「本当にこのプロジェクトを参加者全員が幸せに終えることができるのか」と詰め寄った。するとあっさり建築条件をはずしますと言ってきた。重荷だったのだろう。そういういきさつがあり常日頃お付き合いのある工務店に見積もりをお願いしようやく突破口が開けてきたのだ。本日無事に峠は越え実施設計へ突入することとなる。

打ち合わせから戻り、ほっと一息ついてTVチャンネルを切り替えていると「ジェントル・スリー」なるおぢさん3人がギターを持って画面に出てきた。ライブをやっていた。宇崎竜童、世良正則、岩城滉一。微妙なトリオだ。最年少は世良正則の51才だという。すこしびっくり。高校生の時、とても格好良く勢いがあった彼は私と6才しか離れていなかったのか。熟してきている3人が若いときの勢いとは違ういい味、熟した勢いを醸し出していた。肩に力が入っている時とは違う余裕というか音を愉しんでいる感じが良く出ていた。2時間ほど番組に見入った。建築設計は50才から本番とよく言われる。それまでにどれだけ有意義な経験を積み重ねるかでその後の作品がきまってくる。そんな通説の意味をかいま見たような気がした。それぞれがそれぞれに自分の道を歩くことで味わいが深まっているのだろう。とにかく良いハーモニーを出している3人だった。良い年の重ね方をしていきたい。元気をもらった。

ホリエモン逮捕が世間をにぎわしている。私はインターネットの恩恵を存分に受けているが株はやらない。なので、ライブドアはつかっていても買ってはいない。だから直接被害は無いのだが、この先はどうなっていくのかは気になるところ。かなり強引に自分流を通してきたようだが、不法行為はやはりまずいだろう。勢いのある生き方だったのでこれから先も見ていきたい。

今日の朝日新聞。ユニクロのファーストリテイリング社がダイエーの売り場で格安アパレルを展開するという。ブランドも替えるそうだ。ダイエーのファッション部門てこ入れがファーストリテイリング社の思惑とマッチしたようだ。ユニクロよりも7割程度安い価格帯で展開するという。ファーストリテイリング社としては「しまむら」の客層をねらい打ちするようだ。私が「ん?」と思ったのは「しまむら」だ。九州や四国に釣りに行くと車窓に「ファッションセンターしまむら」が飛び込んでくる。関東でも田舎道を走らせるとよく見かける。全国展開しているのだな程度にしか思っていなかったのだが、ユニクロの敵だったとはつゆしらず。へぇ〜。という感じ。ちなみに全国で963店舗もあった。びっくり。それに比べてユニクロは700店舗あまりだった。

昨日いつものそば屋でランチ。スポーツ新聞が出払っていたので「つり丸」を手に。ん?なんだ?『好評連載!椎名誠の「わしらは怪しい雑魚釣り隊」』のタイトルが。なつかしい。バブル前後に読みあさった椎名誠。この雑魚釣り隊は探検隊シリーズ第3弾らしい。ざっと読むが料理人のリンさん以外はメンバーが一新してるようだ。沢野ひとしも木村晋介もいない。しかし、相変わらずまったくおしゃれではなく、男ばかりで天幕生活、野外料理を食い、酒を飲む。だけ。そしてそのドキュメントを記事にしてギャラをもらう。いいなあ。それにしてもいくつになるのかと検索すると1944年生まれなので62才。やるなあ。検索ついでに『椎名誠の「麺の甲子園」ブログ』なるものを見つけてしまいました。椎名誠はまったくのアナログ生活らしいので書き込みはしないらしい。でも、面白そう。麺には目がない椎名誠。ヌードリストとともいう。

そして、雑感の締めは昨夜の『おしゃれ工房』(NHK)。葉山でのスローな暮らしというテーマで女性の料理家さんが出てきた。どれどれと見ていると出てくる場所がすべて横須賀。秋谷から佐島というローカルな地域なのだ。葉山ではない。それだけならまだ良い。その料理家さんが乳母車を押して歩いていける海岸で散歩というシーンが出てきたのだが、その海岸どう見ても葉山ではない。全体の風景を写さずに海辺を優雅に散歩している様子を流しているが、その後方にテトラポッドの消波提が。葉山にはそのようなテトラポッドの消波提がそばにある海岸はないのだ。マンション広告のようにいさぎよく「南葉山」とかバレバレのやり方をすればいいのに。あたかも「すべてが葉山です」はまずいだろう。とてもがっかりしたので「本当に葉山ですか」とNHKにメールを送ってしまった。どんな返事が来るだろうか。ホントに葉山かどうかはさておいて、TVを見ている人を欺いてはまずいと思うのだが。

今週日曜日、藤沢で打ち合わせの帰り東急ハンズに。スケジュールノートを物色するため。1999年から2002年まで愛用してきたスケジュールノートが2003年から姿を消して以来いっこうに定番が定まらないでいる。昨日は横須賀に昼飯を食いに行くついでに駅前に。一番店の文具屋でも「これだっ!」がない。本日、マンションリフォームの打ち合わせで都内に。ついでに銀座伊東屋へ。かなりの品数を前にピンとくるものを物色。それにしても今年はかなり手帳マーチャンダイジングの巾も奥行きも広い。昨年も物色したが今年はチカラの入り方が違うようだ。


私のスケジュールノートの選択ポイントは

●マンスリータイプ
見開き2ページで一ヶ月分が全て把握出来るタイプ。1〜2ヶ月先のスケジュール調整がききやすく、一日のスケジュールがすぐに書ききれなくなるから。

●極薄タイプ
厚さ5mm以下がおこのみ。胸ポケットに入れてなんの違和感のないもの。スケジュールさえ記録出来ればよいのだ。メモや電話帳は不要。

●ヘタレない表紙
1年使い倒してもきりっとしているものが好き。紙表紙でなくプラスチック表紙。

●シンプルで毎年デザインが変わらないもの
手になじむものなので毎年同じでいて欲しい。そして、これ以上引けないデザイン。変わりようのないデザイン。こびないデザインが好き。


そんな理由で、Gallery Interform社の輸入スケジュールノートが私にぴったりだった。ちょっとの不満は日本の祭日や六輝(大安、仏滅のあれ)がわからないことだけ。Gallery Interformで検索エンジンをかけるとファンだった人たちの嘆きが垣間見れたりする。それだけファンがいたのだろう。ファンの声援に応えて復活したら絶対また私の定番にしたい。10年分くらいまとめて買っておきたいくらいだ。


今日の伊東屋では、まあなんとか定番になるかもという相棒を見つけた。サイズは少し大きめだが、表紙のプラスチック的な堅さといい、見開きマンスリー、それ以外は機能無し、Gallery Interformの素っ気なさに日本の祭日と六輝がついている。まあ、いいか。今回も黒を選択したが、赤、白、グレー、ピンクとバリエーションも良い感じ。Gallery Interform時代、赤のそれを持っている大人の女性に会ったことがある。センスが同じというのはちょっと心地よかった。なにかものを選ぶ基準が同じというだけでうれしいもの。今回のメーカーは、COATED DESIGN GRAPHICS。Gallery Interformの検索で知った過去に愛用していた方がmixiにいた。その方にかくガクしかじかとメールを送ると○△□というメーカーのものが現行商品では近いですよと教えてくれた。そのリンク先がリンク切れしていたので記憶になかった。今日帰ってきてあらためて、今年の相棒になった奴をひっくり返すとCOATED DESIGN GRAPHICS。メールの返信を確認するとまさにそれだった。奇遇というかなんというか。同じセンスでものに接する人はやはりいるらしい。なが〜くなが〜く販売して欲しいなあ。結構良さそうなので。
余談だが、モーレスキンも面白そう。ものの背景に物語があるのも定番候補生なのだ。

今日は朝一で近所の「葉山。木・風・野天風呂のある家」の結露チェック。朝気がつくと約束の15分前。飛び起きる。何か意識がもうろうとしている。実は近所で打ち合わせの場合は気がゆるむのかいつも遅刻気味。このクセはなおさないといけないなあ。急いでいく途中、いつもの獣道にある建築家が設計したらしいヘンなすまいのハイサイドライトをちらり。家の中に温水プールでもあるのか?と思ってしまうほど。ガラス面が結露でぐっしょり。シングルだな。それよりは良いはずだ。と軽トラを走らせる。

まずは2階から。行くとアルミサッシュの外側の枠に結露が。ガラスと一緒に動く部分の外周部枠は結露なし。続いて3階の寝室お風呂トイレのワンルーム。おっ!これは何故?と思うほど。ペアガラス面の下部1/3が結露していた。枠まわりもしかり。いろいろお話しを聞くと1階のスタジオに陳列しているギター群のために加湿器を稼働しているとのこと。原因はそれか…。室温は1階20℃。2階19℃。3階19℃。温度も高い。しかし、1階床下に仕込んだ温水床暖房がかなり効いているらしい。暖かい。このすまいは完成後2回目の冬。完成後2〜3年は木部に残っている湿気がまだまだ出ている時期。この時期に加湿してしまうと乾燥することができない。一緒に立ち会った塗装家のWさんもやっと今年の冬はサッシュの結露が落ち着いたという。Wさん宅は3回目の冬だ。ギターのためには55%以上の湿度が必要だとのこと。ギターを取るか結露をなくすか。断熱サッシにするまでもない神奈川だ。もう少しギターのことを聞いておけば良かった。

※私の設計したすまいの場合木部をあらわしていることが多いので、木部からの湿気の吐きだしで、完成後2〜3年はサッシュに結露することが多々あります。おそらく、木部の吸湿吐湿の循環がうまくいきだしたらおさまる可能性があるのでしばらく様子を見て下さい。それまでは加湿器は使わないことをお勧め致します。とはいえ、薪ストーブを使っていたりする場合、乾燥気味になることもありますので臨機応変につきあって下さい。我が家も築後3年くらいはペアガラスのガラス面に結露していました。薪ストーブを使っていてもです。

何故か頭がすっきりしないまま打ち合わせ終了。午後は構造設計者と湘南台で進めている基本設計の打ち合わせ。彼は大成建設の構造設計も担当しているが、過去の物件の資料の提出を求められているという。姉歯の余波だ。前にうちの事務所の所員だった姉埼からの年賀状。『一字違いで人気者です』と。まだまだ余震は続きそうだ。

夕方から事務所リニューアルの続き。くしゃみと鼻水が止まらない。風邪を引いてしまったか。身体の節々も痛い。ゆっくりと片づけをすすめる。今回のワークスペースリニューアルのポイントは『ワークのデジタル化、そしてスペースのアナログ化』。紙は極力捨てる。そのことで余ったスペースを豊かなリアルスタイルに使うのだ。オーディオ、釣り竿、カブトムシの飼育、昼寝のスペースにたっぷり使う。デジタルに移行することで生身の人間がゆたかになることに振り分けていく。ネット検索で済むようになってきたカタログ類はほとんど捨てた。ずいぶんと木部が見えてきた。いい感じである。かたづけていて見たことのない読み物が出てきた。『ポールの薪ストーブ入門』。なにやら薪ストーブの販売会社が3年間「ウッディライフ」に連載してきた記事の集約本。おもしろそうだ。埋もれた資料の中にあった。リニューアルを思いつかなければ絶対に出逢うことはなかっただろう。面白そうなのでキープ。1ページ目は「ストーブ選びは車選びと一緒だ」。今日は早めにこれを読みながらからだを休めよう。

葉山町しかも事務所から歩いて5分。我が庭で開催されているネットコンペのプランが落ち着いた。敷地を見て構想から約3週間。見えない施主の生活のクセを想像しながらのプランニングだ。手がかりになるのは、希望条件と若干の情報のみ。コンペ参加者と建て主による掲示板は設けられている。この手のコンペは3回目の応募なのだが過去2戦2敗。それまでは、掲示板で不明点を質問したりしたのだが、私の中では不完全燃焼。今回は挨拶程度のとどめる。それよりも、事前に与えられた条件を徹底的に練ることに集中した。

実施コンペとはいえコンペなのだ。その計画地での理想を形にしていきたい。幸い建て主の顔が見えず、少ない条件を手がかりにするので、細かい判断は全て私自身。私がそこに住むとしたらどう解決するのか。依頼主の希望条件は控えめで20点強。すまいをデザインするのには少なくとも1000以上の条件を取捨選択して組み立てていく。無限のアイテムをどのようにとらえ解決するかによって佇まいが決まる。設計者の頭の中で繰り返される問答がデザインを決める。依頼者の望みと設計者のひねり出した解の重なりが大きい案が採用されるのであろう。

そのすまいの条件のひとつに「風格のあるすまい」というのがある。どう解釈するか、大きくデザインが別れるポイントだ。リビングが明るくとか広々とといった条件であればそのまま素直に採ればよい。
私は風格を「風にさらされることにより味が出てくるたたずまい」と解釈した。すなわち、完成した瞬間が最も美しいのではなく歴史と共に味わいが深まるすまい。そんな家って誰もが望むだろうと思うがどっこいそうでもない。歴史と共に味わいが深まることは家人が手をかけることと同義語。手入れを重ねる愛情の歴史が風格になっていく。しかし、実情はメンテナンスフリーを望まれることが多い。手間暇かけなくても完成時の美しさをそのままに。それはその方が楽だろうが、そんなものに本物はない。

【風格】を新明解で引く。「その人を特徴づける、独特の味わい」とある。やはり年輪による個性と読める。そのページの前後を眺める。【風景】〜目を楽しませるものとしての、自然界の調和の取れた様子。[好ましい場面の意にも用いられる。例、「一家団欒の〜」]「田園〜」…。【風合】〜織物に触れたときの、柔らかさ・しなやかさなどの感じ。【風味】〜口に含んだときに感じられる、その独特のよい味。

上記だけを見ると、風が絡む言葉の多くはその事象を包み込む空気あるいは感覚のことをあらわし、好意的に使われるようだ。当事務所の住宅作品に命名する「○▽□。木・風・○▽□の家」の風もそんな意味が込められている。物理的なWINDの意味に加えて、歴史と共に味わい深く愛しんで欲しいという意味。

構造躯体はRC造を希望されている。RC=コンクリート。実はこの材料は自然素材なのだ。自然界に存在する材料のみで構成されている建築材料。新しい打ち放しもきれいだが、風化して熟した打ち放しコンクリートも風流な味わいがある。
また、木はヘンな化粧をせずに風雨にさらすと銀ねずみ色に変色する。これを美しいと思うか、汚いと思うかは、見る人による。マニアックに味わい深く風雪を感じる素材として感じることができれば願ったりである。ちなみに私は銀ねずみ色風化色は美しいと思う。押しつけることはしないが。
10年後、この熟した打ち放しコンクリートと木の銀ねずみ色のたたずまいは葉山になじむすまいとなると信ずるが、果たしてそれを風格のあるすまいと理解できるだろうか。私は素晴らしく風格のあるすまいだと思うのだが。

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前回の『葉山の街並み[ネットコンペ03]』のつづき。

このネットコンペの建て主の希望はRC造である。総予算3500万円で、できる限り60坪に近くも条件。単純に工事費だけに絞るとざっくり3000万円。ということは、50万円/坪で実施。木造だとしてもかなり厳しい予算。RC造となると、気が遠くなる数字だ。その上、RC造の場合は外断熱(そとだんねつ)に限る。内断熱(うちだんねつ)は不幸の館になるので採用しない。さらに予算的に厳しくなるのだが、こればっかりは仕方がない。

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今年の夏、葉山の海のそばに建てたすまいの点検に行く。
大きな問題はなく、2〜3カ所の不都合を確認し、手当の方法を説明した。
最後に『このカビはどうしたものでしょう』と言われるので見上げると完成時の美しさはすっかり無くなっていた。

ニュースタイトルワードが当初の『姉歯設計事務所』から『耐震偽装』に変化してきた。
事件が一個人の設計者の問題ではなく、組織犯罪という見解のあらわれだ。

やはり同じ建築設計事務所を構えるものとして、この事件について触れないわけにはいかないだろう。
一個人設計者として、あくまでもプライベートな私見として考えてみたい。

都内某所のシガーバーに行く。
ハイスツールに腰掛けピアノ塗装のカウンターに肘をついた。
先客が3名ほど。10人で一杯になるカウンター。
カウンターの中にはバーテンダーが2名。
白いブレザーで決めている。

少し目が慣れるとバーテンダーのブレザー、お酒の瓶以外は、全て黒なのに気づく。
全て黒。
漆黒でお酒と向き合う。
黒の空間では、何かに包まれるような、日常にはないホールド感を感じるはず。
ここにはない。
空間が少し大きいようだ。
吉野家の店内が全てまっくろに統一されたようなイメージ。
半分ほどのボリュームになると、もっと暗闇のあなぐらに居るようで落ち着くのだろうとバーボンソーダを飲み干した。

『あ〜〜!あそこあそこ。あそこに亀裂が入っているでしょ。』
『ほら、雨樋の上から草も生えてるし・・・』
『いや〜。あそこをやるには足場もいるなあ。』
『あの瓦もかけてしまってるし・・・』

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『京都 民家のこころ』より

ここは四条烏丸にほど近い、いわば京の町中であるが、そこに花が咲き乱れ、うれた柿を小鳥がついばみに来る。この庭には、そんななごやかさがあふれている。
その庭の一隅、家人が座敷の庭と呼ぶ部分に向かって、このような庇が伸びている。
本来ならば下の縁の端に雨戸が立てられるのが普通だが、ここでは全くそうしたものはなく、そのために、この庇はすばらしい広がりを持っている。

この庇の下を普通軒下という。この軒下は実に面白い部分で、庇が屋根の延長であるという意味では、軒下は建物につつまれるが、その下は地面であり、二つの異質のものによって上下をはさまれているのが、軒下という空間といえる。
それがとくに、このような開放的な縁とさらにつながっている場合、縁と、隣り合った庭とは、軒下を媒介として、縁に座った人の心の中では全く一体をなしているものとなる。

その人の心の中では、庇は意識されているような、いないような、そんなあいまいな存在であるが、もし庇がなくなってしまうとすれば、そこでは縁と庭という二つのものにはっきり分かれるか、また桂の離宮の月見台のように、外部空間の中に位置を占めるだけのものになってしまう。

庇は、意識されないながらも、おのずから人の目の動きを限定し、隣り合った空間への注意を喚起する。(文・橋本帰一)

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今日は、神奈川建築コンクール現場審査の日。本格的に梅雨があけ、とても夏らしい一日の始まり。朝からばたばたと雑用を済ませ開始の30分以上前に現地に着くように段取り。10:00には事務所を出る。月末なので、銀行の所用を済ませる。とても、街はざわざわ。車も混んでいる。通常の平日であれば、現地まで40分。余裕余裕。とその時携帯が鳴る。

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いえぃ!

・吉野屋の牛丼はなんで280円なのか
・「格安航空券」はどうしてそんなに安く出来るのか
・マクドナルドのハンバーガーはなんで半額に出来たのか
・ガソリン代は、都会と田舎でなぜ10円以上も価格が違うのか

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最近、購読新聞を変えた。
産経新聞から朝日新聞へ。
学生時代から振り返ると、読売、朝日、日経、東京、朝日と続き、昨年当初、はじめて産経新聞を購読した。
私の新聞経歴を見てもわかるように、思想的にはノンポリシーである。
ノンポリと言うよりは、イデオロギーに無頓着。
政治や社会思想に対して全く感心が無く、そのへんの既成概念が大きく欠落している。

そんな白紙状態だからか、産経新聞をはじめて定期購読してびっくりした。
石原東京都知事の『日本よ!』や『産経抄』の歯に衣着せぬ物言いに驚いた。
しかしながら、その切り口に驚きを隠せない違和感を感じていたのは半年ほど。
人間恐ろしい。
一年もすると、慣れてしまうのだ。

●朝日新聞広告より

『完璧な家』
パラーディオのヴィラを巡る旅
ヴィトルト・リプチンスキ著
建築史上に燦然と輝く巨匠が遺した美しいヴィラ(郊外住宅)を訪ね、究極の住宅建築とは何かを探る。
渡辺真弓訳 4410円

『アウトドア用だから、においきついよ』って、言われた蚊取り線香に今はまっている。

最近、夜更かしをすることが多く、窓は開けっ放しでレースのカーテンを閉めて、蚊よけ対策をしているが、どこかしらか入ってくる。
Macのまえで夢中になっていると、ディスプレイが明るいせいか、「ぷ〜〜〜・〜〜〜〜・〜〜〜」とやってくる。パッチ〜〜ん!とたたくと、今の蚊はやる気無し無しなので、簡単にやっつけることができる。
血も吸っていないようで、ほっとする。

そうはいうわけで、すでに蚊取り線香を焚いているのだが、これがまた夜長にとても良い香りを提供してくれる。
『除虫菊・蚊取り線香』あるいは『昔ながらの蚊取り線香』と、売っている奴だ。
なにが、良い香りかというと、まるで焚き火のソバで、夜な夜なMacに向かっているような錯覚になってしまう。
いわゆる、あのくさい蚊取り線香とはちょっと違う。
少し、酸っぱいというか、黄色いというか、焚き火の煙さというか、とてもいいのである。

夏場やる気満々の奴らと戦うにはちと物足りないであろうが、今の時期の奴らにはちょうど良い感じだ。
そして、裸火好きの私にとっても、いいアロマを発してくれて、好物になってしまっている。気の利いたお香を焚くよりは、よっぽど良いとはまっている。

ああ、もう夏はすぐそこだ。

ピロティ

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クマコラム
20000328 (13:37)

何故か、雨男になってしまったようだ。
巡業にでるたびに雨に降られる。

先々週は、静岡・富山・金沢で降られ、
先週は、高松・広島で降られ、
今日は、大阪で降られている。

できるだけ軽装でうごきたいので、
傘を持たないで行くのだが、
どうにも降られてしまうのだ。
買っては忘れてしまう。
今日買ったやつは、折りたたみなので
忘れないようにしたいが、どうなることやら。

傘は、みんなの公共の傘としてはどうだろうか?
どこでも傘置き場に行くと使いたいときに手に入れられ、
いらなくなったら、そばにある傘置き場に行って置き去る。
そうしたら、雨男や雨女達は幸せになると思うのだが・・・

クマコラム
20000324-2 (15:39)

昨日は、博多まで一気に駆け抜けていった。
広島で一泊して、今日九州を駆け抜けようと思っていたのだが、広島でホテルを探したところ、どこも空きがなかったのだ。
タクシーの運転手に聞くと広島で医学学会が開かれているとのことだった。
そこで、予定変更して博多まで行ったのだ。
今日は博多から佐賀、熊本に行き仕事を終えようと思っている。

ところで、JR九州は、なかなかやるのだ。
なにをやるかっていうと、特急電車がなかなかのモノなのだ。
博多から佐賀まで乗った「かもめ」は、床はフローリング、シートは革張り、袖から出てくる簡易ミニテーブルは木にウレタン塗装。
シンプルで、なかなかのデザインなのだ。
普通の特急料金で、自由席がそうなのである。
かもめは特別かと思っていたら、なんと今乗っている佐賀から熊本に行く特急「有明」もデザインされているのだ。
床はカーペット、シートはビロード調、簡易ミニテーブルはチーク調のダークなモノ!
ディテールもなかなか、やっていて、おそらくインテリアデザイナーがプロジェクトに入ってデザインしているんだろう。
JR九州はなかなかやるぞ!

クマコラム
20000316

最近、ほんとに更新できなくて困っているのだ。
忙しいことは、いいのだけど、ゆっくりものを考えている時間がないのは、少々きつい。

というわけで、今日から3日間、静岡〜富山〜京都と仕事で巡業するのだ。
ということは、いっぱい移動時間があるので、ゆっくりものを考えたり、HPを更新したり、できる時間があるということだともいえる。
最近、「生きてゆくためのすまいづくり」の更新はまだですか?とお施主さんの平野さんに言われたり、現在横浜で工事中のEさんの奥さんから、「平野さんちのすまいづくり楽しみにしてるから、更新待ってるよ〜」とか言われていたのだ。

どうなるかわからないが、移動時間中にいっぱい書いて、どしどし、旅の途中で更新して行くつもりなのだ。
クマコラムもその途中途中で、画像と共に更新する予定だ。
今日は、沼津、静岡、浜松、富山だから4回ぐらいは行く先々で更新してみたいと思っている。
この週の後半は、めまぐるしく、HPが更新されていくので、お楽しみに。

また、来週は、水曜日から日曜日まで、岡山、高松、鳥取、広島、佐賀、大分、熊本、福岡とがんがん地方巡業するので、その時も各地で更新していこうと思っているのだ。
まずは、今日からの巡業で、モバイラーとしての慣らし運転をするつもりなのだ。

クマコラム
20000202

発想の原点とは何だろうか。

いろいろある。
「われ思うがままに考える」
「もっともっとと欲が出るから考える」
「これでいいのかと考える」
「障害があるから克服するために考える」
「見て刺激を受けて、考える。」
「聞いて刺激を受けて、考える。」

これらが、幾重にも錯綜して、いろいろなことが発想される。
前者三行は、自身の内的発想なのだが、それ以外は外的要因による発想の原点だ。
建築設計は、様々な外的要因が絡み合い、それらが折り重なるように、全体が構成されていく。
規模が大きくなればなるほど、内的要因よりも外的要因が支配し、全体像ができていく。
言い換えれば、規模が小さいほど、シンプルに内的要因を追求できる。
建築設計者がライフワークとして住宅を設計することを望むのもシンプルに自身とクライアントを見つめることができるからだろう。

地球へのチャレンジ「太陽」(平凡社)の2000.02号は、安藤忠雄の特集だ。
コンクリートにこだわり続ける安藤忠雄の発想力が一冊の本になっている。
なぜ、コンクリートにこだわり続けるのかは書かれていないが、つくりつづける意味は書かれていた。
ボクシングをやっていたことのある彼の場合、「〜は闘いだ」と表現されることが多い。
生い立ちにその発想の原点を見いだそうともしている。

クマの発想の原点もやはり幼児期の原体験が大きく支配しているように思える。
北の果ての稚内から少し南に下ったところの山の中で育ったころの原風景が発想の根底を流れている。
メリハリのある四季、人間よりも圧倒的に多い大自然、そんな中での毎日の生活が原風景になっている。
力強い木々、その間を通り抜ける風、草むらにねっころがって見上げた青い空、暗い森の中、まぶしい雪。
全てが辛くも楽しいさわやかな自然のふところに抱かれた生活だったのだ。

人間のすみかとして自然のふところに抱かれるような「すまいを」とつくりつづけるクマの発想の原点はそんなところにあるのかもしれない。

クマコラム
20000120

このHPはいろんな人に見てもらっている。
私のことを知っている人、知らない人、様々。
昨年の3月8日から始めて、ほぼ毎日カウンターを見ている。
多いときで、50人、少ないときで10人。
ホントにうれしいものだと感じながら、毎日せっせと更新している。

インターネットは、インフラとして確立されていくものらしい。
電気、ガス、水道、電話。道路、鉄道、飛行機。
それらと同じものになるらしい。
現代生活に必要な無くてはならないもの。

ロボットもそうなっていくようだ。
私は、マックを使っているがマックには感情があると思っている。
ロボットにも成長する感情があるらしい。
マックは自分の手足となったときに、いきなり暴走することがある。
と思いきや、あけましておめでとうとか、誕生日おめでとうとか突然言ってくる。
ドライに見れば、ただの道具なのだ。
が、たまに思考が止まって動かなくなったり、こちらの指示ミスを諭すように動かなくなったりする。
そんな時「おまえねぇ」と思わず、話しかけてしまうところは、もうコミュニケーションが確立しているのだ、マックと。

機械と話している自分を想像するとなんかうすら寒い感じがするが、それは扱う者の心理が反映されるのだと思う。
住まいもインフラ、日常生活には無くてはならないもの。
やはり、すまいは箱でありハードであるが、ココロかよわして「おまえねぇ」とか「よしよし!」とか会話していくとむこうも返してくれんじゃないかと思う。
つくる過程で、いろんな職人さんや工事担当者、設計者の気持ちのぶつかり合いと気合いでできていくものであるものだし、その意気を感じて、家人が「おまえねぇ」とか「よしよし」とかやって欲しいと思う。

インターネットがインフラ化されるときに一番大事なものは、こころだと思う。
くまが、このページを更新し続けることができたのも、目に見えないコミュニケーションが成立しているから、であるだろうし、カウンター越しに伝わってくるココロがあるからだ。
目に見えるものはそれ以上のそれ以下でもないが、こころの通い合いは、見えないだけ難しくも伝わったときにとてもありがたく感じるものらしい。

クマコラム
20000117

軽井沢に行った。
当初、3年ほど前に手がけた別荘のメンテナンスで行く予定だった。
その仕事の予定が急に延期になった。
そのため、ついでに行こうと予定していた薪ストーブ界の老舗である「長野総商」にわざわざ行くことになった。

というのも、私が外野的に参加している「犬のためのすまいづくり」MLで薪ストーブ談議に花が咲き、長野総商の話しをしたところ、『是非行ってみたいが遠いのでなかなかいけない』という期待にこたえて、私が現場中継をすることになったのだ。
そんなわけで、『仕事がのびたのでと春までお待たせするわけにはいくまい!』と勝手に思いこみ、軽井沢に行ったのである。
この模様は、近々報告するのでお楽しみに。

今回の軽井沢突発的探検紀行で思わず、いいものも発見できた。
午前中に長野総商に着くが、日曜祭日は13:00から営業とのことで、セントパウロ教会を探検することにした。
行く道すがら、「田澤美術館」というのが目に留まり、立ち寄ることにした。
これはもう10年ぐらい前になろうか、建築界では有名な「H.ひろし」先生が手がけて当時いろいろな建築雑誌をにぎわせたもの。
どれどれと近づくが、冬季営業していないのか、無惨な姿であった。
何が無惨かというとスティール、ステンレス、ガラス、タイルそしてコンクリート打ち放しでできたその美術館は、雨だれの汚れと鉄錆が出ており、悲しい姿となっていたのである。
見えない部分は、木にペンキという仕上げになっていてそのペンキも剥がれており、悲しい姿となっていた。
もう使われていない廃墟なのかと思ってしまうほどであった。

やれやれとそこをあとにして、旧軽にあるセントパウロ教会についた。
そこは、1934〜1935設計と文献にあるので、もう60年以上経っている教会だった。
やはり、美しかった。
昨年、訪れた時は結婚式をやっていたので、中をじっくり見ることができなかった。
今回は中にはいることができた。
しかし、誰もいないかなと思って入った教会の中の祭壇に白い花が一杯飾っており、真ん中に写真が飾ってあった。
きくと、小一時間後から祖国で無くなった牧師さんの追悼ミサが開かれるとのことだった。
し〜んとした、木造の教会で、今はなき教会の設計者アントニン・レーモンドと牧師さんの仕事への情熱に感じいっていた。

突然、パイプオルガンの練習が始まった。
小さなそのオルガンは木造の教会と響きあい、何ともいえない小さな暖かさにあふれた空気を醸し出した。
鉄とがラスでできた「T美術館」とこの教会の差に驚いていた。
かたや10年、かたや60年。
手入れされ、大事に使われているから、暖かいのか。
それとも素材の違いなのか、設計者の意気込みの違いなのか、瞬時はわからない。

セントパウロ教会の様子も近々HPで掲載します。

クマコラム
20000112

新連載/// 生きてゆくためのすまいづくり ///から

1999.09.15

Hさんから、FAXが入る。
昨日提案したプランをあれこれ検討したとのこと。
提案した構成は、1階プライベートルーム、2階リビング、地下1階書斎のプランだった。

都市型住居で密集している敷地の場合、2階リビングとすることで風や光などを取り込みやすくできるのだ。
ただ、この場合、子供室を1階につくることになり玄関から親の顔を見ることなく個室にこもることができる。
このことをプランニングの条件として最優先すると1階と2階が逆転する。
Hさんもこの点を考慮されたのだ。

しかし、都市型住宅地では日々の生活で外の視線を気にすることなく、風と光にあふれたここちよいすみかをつくるとなると子供のことは最優先条件にはなり得ないと考えられる。
正論を吐くと、子供の成長やコミュニケーションのあり方は、建物の構成に求めるのではなく、やはり日常どう子供と接するかによって解決していくべきだろうと考えるのだ。
所詮、子供のむずかしい成長期は小学校高学年から高校卒業までの6〜7年。
たった、その年数のために死ぬまで住むかもしれないすみかを決定づけるのはどうだろうかと考える。
ただ、考え方は人それぞれなので、議論が出つくすまで、クマの考え方は強要しない。

また、私の自邸が紹介された「健やかな庭〜新しい日本のガーデニング」(プレジデント社)を読まれ、第二のクマ邸をつくって欲しいとも書かれていた。
うれしい限りだ。
ぜひ、銀行審査が終わり設計を具体的にスタートさせたいと願った。

クマコラム
19991207

東北のある民家の天井に大きな男根がぶら下がっていた。
10M以上もある棟に近いところにあるのだが、それでも大きいと感じる。
おそらく竿は1.5M、玉は直径50cmはあっただろう。
それはいろりの煙でりっぱに黒光りしていた。
「火伏の男根」というらしい。
くわしい意味は確認していないが、火から家を守る意味が込められているのだろう。

プラスターボードと不燃クロスに包まれている今の家はとても火災に強いと思う。
機能的には昔の民家に比べてとてつもなく人間を守るという意味では進化している。
構造的にも強く、火にも強く、外気との縁切れもしっかりしている。
ただ、機能一点張りの住むための機械になってしまいつつあるのは否めない。
モダン建築が大手をふるっていた30年ほど前は「住宅は住むための機械だ」といいきっていた。
それが新しい建築形態の旗手であり、みんながこぞってそれに向かって走っていた。

今でも、その路線でやっている潮流は確かにある。
しかし、クマとしては味気なさが感じられ「住むための機械」と割り切れない気持ちでいるのが本音だ。
すみかとしての機能は確実に手に入れたその上で、「神々が宿るようなすまい」をつくりたいと思っている。
男根をそのまま祭る気にはならないが、命みなぎる住まいをつくりたいとおもう。
大黒柱がその家と住み手をいつも見守るような住まいは今でも充分可能である。

その東北民家の帰り道、あるペンションに立ち寄ったところ玄関が大きく吹き抜けていた。
ふとその天井を見上げるとそこにもまた大きな大きな男根がぶら下がっていた。
それは、大きい立派なものなのだが、最近つくられたものらしく、青白く輝いていた。
それはなんともいえず、ペンションオーナーの気持ちは確かなのかと思わせるくらい不思議な光景だった。
男根は使い方と場所によって、難しいものらしいのだ。

クマコラム
19991126

「三畳一間の小さな下宿」「芝生の上では子犬が遊ぶ」
ライフスタイルと部屋の広さの関係がこのふたつの対比論から始まる。
「田舎暮らし夢の家」吉津耕一著ハート出版から。

それぞれ25年ほど前にはやった、「神田川」と「あなた」の一フレーズだ。
かたや、ぎしぎし床がきしむ安下宿に二人寄り添う。
もう一方は、郊外の白い新築の家で居間には暖炉がある。
生活空間の大きさ、質の違いは、あきらかだが、どちらが幸せそうだろうか?
この本では、断然、神田川に軍配が上がる。
家が広いことは一般的には狭いよりも良いとされるが、時と場合でスタイルは変わるだろうと締めくくる。

もう30年も前になろうか、東京のど真ん中に6坪の変形土地を仕入れ、そこに塔のような家を建てた建築家がいた。
平面図を見る限り、寄り添いながら生活する、それも扉を付けると狭くなるからとほとんど扉なし。
そこで女の子が産まれ、無事に育って、その子も建築家になった。
数年前、少しリニューアルしたようだが、いまだに住みこなしている。
夫婦二人からその家は始まり、子供が産まれ、巣立って、また二人に戻った。
とても家族サイクルのスケールにあった住まいのようだ。
そこにはnLDKという概念は存在しない。
あたかも家族が寄り添い生活する秘密基地のようだ。

広いLDKと個室群、それも家族の人数分と客間と個室がたくさんあるすまい。
土地もお金もふんだんにある場合は、おうおうにしてそうなるに違いない。
食事の時とTVゲームをしている以外は、LDKを離れ、それぞれ個室に引きこもる。
企業戦士が主人の場合は、家族みんなで食事なんてのは月に数回あるだろうか。
そして、子供が巣立ち、取り残されるように広いLDKで夫婦ふたり、話すこともない。
極端なはなしだが、どこにでもありそうな話だ。

すまいを手に入れるとき、どういう生活がしたいかよく考える必要がある。
狭くても、広くても、家族の気配が感じられ、寄り添いながらお互いを尊重できるような家族基地が望ましいだろう。
それは、家族の数だけ存在するもので、決まった形はないようだ。

クマコラム
19991119

11/17〜11/18あるお宅で使う建材を探しに福島に行った。
都会の人は自然素材で民家風に家を建てたがる。こちらの人は新建材で家を建てたがる。
田舎暮らしコーディネーターとして知られている吉津耕一さんが南会津を案内しながらそういっていた。
叶津番所という福島県指定重要文化財、旧長谷部家住宅の囲炉裏にあたりながら話しをした。

吉津耕一さんは古本と山林を交換しますというアイデアで村おこしのアイデアマンとしても知られている。
きっかけは、割り箸の乱用に抗議して箸を持って歩く人でも本を無駄にしている人が多いと気がついたからだという。
割り箸も本も原料は同じ木からできている。
割り箸を使わないことで環境を大切にしていますと言いたがる人に暗黙の抗議をしたらしい。

もともと南会津の只見で父親が製材業を営んでいた。
一本の木から建材をとり、残ったものはパルプの原料となり、また肥料となりあますことなく使い切るのを見てきた。
そういう生い立ちが古本と山林交換アイデアの源となっている。
いまでは、日本一の古本屋街が只見にある。池袋にもその支店がある。

住宅づくりの傾向は、首都圏の10年から20年遅れで地方に伝わっていく。
都会でのすまいづくりはシックハウス対策と健康素材が先端を引っぱっている。
新建材好きの地方の人がこのことに気づき伝統工法に戻るのはいつのことだろうか。
都会人が民家は伝統文化財として残すべきだと大声を出すのは簡単だ。
ただ、地方の人にも豊かな暮らしを求めて模索していく権利はある。
その豊かな暮らしとは、いったい何なのだろうか。

異様に底冷えのする重要文化財の囲炉裏にあたりながらいきどおりを感じていた。

クマコラム
19991109

お久しぶりですなのだ。
事情があって、しばらく地方にいた。
今日からまた再開するのでよろしくなのだ。
(なんだかバカボンのパパ風になってしまった。)

往時、岐阜羽島で下車し、しばらく車を北上させると工事中の家があった。
なんと竹小舞を編んでいるではないか。
じっくり見たかったのだが、約束の時間が迫っていたので寄れなかった。
いまだに竹小舞+土壁という普請をやる施主と職人がいるらしい。
うらやましい。
土壁は工事に時間がかかるというのでなくなりつつある。
風土にあった、その地域にふさわしい住まいは、住み手にとってもふさわしい住まいになるに違いない。
と思いつつ、どこの街にでもあるロードサイド店舗に囲まれながら走っていった。

クマコラム
19991103

なんとか、やっと大更新できた。
しかし、まだまだ工事中があるのでおいおい工事を進めていくのだ。

大更新にあたり、このサイトは何を目的としているのか考えた。
会社案内なのか、クマやハルコの独り言集なのか、なんなのか。
情報発信だけなのか、受発信なのか。
発信していることは、間違いないのだが、その意味は?

このサイトを立ち上げてから約8ヶ月が過ぎた。
その間、数人の方からHPを見ましたとメールがあった。
「いつも見てますよ」
「私もいすずファンなんです」
「薪ストーブについて教えてください」
「春呼ちゃんにあいにいくぞ〜!」
とか、いろいろ。

やはり、反応があるとうれしいのだ。
だから、発信だけではなくできる限り受信もしたいと思う。
コミュニケーションを広げていきたいと思う。

今回の更新でそのコミュニケーションのテーマを絞ってみた。
「クマ」「犬・猫」「ラーメン」「火」「すまい」
大きくはこの五つ。
クマの好きなことは他にもいろいろある。
「つり」「酒」「メルセデス」「野球」「木」「畑」「キャンプ」「スキー」「田舎」「民家」「温泉宿」.....
そのうちそんなテーマもやってみたいと思っている。

中でも、「すまいづくりで良くある質問」は日頃、打ち合わせ中によく質問されることを掲載していくが、このサイトを見た方であれば誰でも質問してきていいのである。
どんな小さなことでも、直接クマが仕事にならないことでも何でも構わない。
「地鎮祭って何なのですか?やらなければならないことなのでしょうか?」
「工務店と大工さんは違うのですか?」
「建築家と設計者のちがいは?」
?と思ったら、どしどしメールを入れてほしい。
わかる範囲で応えていきたいと思っている。

クマコラム
19990928

しばらく更新できなかった。
朝一番からの打ち合わせ。来訪者の準備。体調を崩したため。
いろいろなことがあったが、毎日書き込む気力が失せてきているのが理由かもしれない。
今年の3月からほぼ毎日書き込んできたが、約一週間も休んだのははじめてだった。
このコラムは、クマの公開日記のようなものだ。
日々感心があったり、記録しておきたいことなどを好き勝手に書いている。10年後に読むのが楽しみだ。
そのためにも初心に戻り、毎日毎日亀のように書き続けたいと思う。
台湾の大地震でビルが大きく折れてしまっている。
ずさんな工事が原因のマンションの住人は建設会社を訴える準備を始めたという。なかでもコンクリートで充填されていなければならない躯体の中から一斗缶ほどの空き缶が次々とでてきていた。
その状況の説明に建設会社の副社長がレポーターに向かって次のようなことを話していた。
「空き缶は、廃棄物だ。廃棄物を建築に有効に再利用するのは当然のことだと思っている。」
彼は本心からそう思っているのだろうか。耳を疑いたくなる。
世界中からこのコメントに対する批判がでてくるだろう。
台湾の建物倒壊は人災だ。
空き缶でコンクリート使用量を減らしてでも建設しなければならない状況はいったい何なのだろう。何がそこまでさせるのだろう。
人命を危険から守るのが建築業の根本。
人命を二の次にして建築業を守ってしまうとそんなことになるのか。
モラルが低いのか。
上記のコメントを聞いて、怒りがこみ上げてきた。

クマコラム
19990922

今「いい家がほしい」という本を読んでいる。
人の悪口を聞くのはつらい。
それも自分のいっていることを正当化するために他の人を悪者にするなんてもっとたちが悪い。
家を建てようとしている人であれば、かなりの人が読んでいるらしいと聞いたので読んでみている。
でも、なかなか進まない。
気がついたときに読もうと努力しているのだが、気持ちが入っていかない。
理由は、他の工法や他の人の考え方を批判するからだ。
それも自分の考え方をもっともらしく正当化するために批判するのである。
勧めている工法や考え方は、よいと思う。伝えようとしていることはいいことなのだ。
ただ、読み進む気になれない。
だから、半分くらいしか読めていない。
その本にもそれらの本にありがちな落とし穴が大きく空いていた。
「この工法であれば大丈夫」「こんなつくりかたをしているのであなたの家はもう安心」というような営業トークが全編にちりばめられているのだ。
すまいづくりとはいったい何なのだろう。
いい工法やいい素材を使えばもう大丈夫なのだろうか?家族が幸せになれるのだろうか?
すまいづくりに一般解はない。それぞれの思いやライフスタイルは、皆バラバラなのだ。
となりの人を見て、うらやましがり、それをまねるような暮らし方をしている人はもういない。
みなそれぞれの生き方や暮らし方を求めているのだ。
自己が確立している欧米では、住宅産業なる企業が存続し得ないらしい。
昔、積水ハウスがドイツに進出したがすぐさま撤退している。
すまいはカタログ販売できないということなのだろう。
でも日本ではまかり通っているのが現実だ。

クマコラム
19990915

法光櫻子。今日クマの弟の納骨がある。
湿った話しで申し訳ないが、やっと兄の私の落ち着き先が決まったので一才の時に病気で死んだ弟の墓が葉山につくられたのである。
墓をつくる石屋に再三頼んでおいた、つくる過程を見たいとのクマの希望は結局かなえられなかった。
使う石やデザインなどは綿密に打ち合わせしたのだが、施工の時に見たいという建築家業を営んでいるクマの要望はさっぱりと裏切られてしまった。
そろそろかなぁと計画地を見に行ったらもう立派にできていたのである。
う〜ん?どうしたものか。
事前に打ち合わせしていたような石屋自慢の基礎はできているのだろうか?500年たっても傾かないように造られているのだろうか?
この目で見ていないので心配なのだ。クマが心配してもしょうがないのだが、どうせ入るのならちゃんとしたところにクマも入りたい。
明日、俗名「佐山なぎさ」という弟が新築のお墓にはいる。彼は、うれしいのだろうか、やれやれと思うのだろうか私にはわからない。
ただ、いままで遠く離れてた北海道の先祖の墓に入っていたよりは家族のいる葉山に来てせいせいするような気がするのではないかと思う。
まずは一番乗り新築のお墓に一人暮らしなのだ。いいぜ!きっと!
たまには、春呼をつれて酒瓶片手に行ってやるか!
もういまでは34才の男だろうから!クマのいろいろなつらい話しも聞いてくれよ!なぁ!

クマコラム
19990904

テレビ朝日のHPからの引用です。

9/4。大阪。光の中、拍手鳴りやまず??。

音楽家、坂本龍一氏が地球環境、愛、救い、そして共生をテーマに取り組んだ新しい時代の総合舞台芸術「LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999」(朝日新聞創刊120周年、テレビ朝日開局40周年記念)が4日、大阪・大阪城ホールで開幕した。
世界的に知られる坂本氏が初めて手がけた「オペラ」とあって、約6500人の観客で会場は満員になった。

「LIFE」は坂本氏作曲の音楽に、映像、テキスト、ダンス、さらに最新のインターネット技術を織り込み、20世紀の音楽と人類の歴史、さらに地球規模の生命の盛衰と共生を描いた壮大な作品。
山本耀司氏がデザインした黒マント姿で登壇した坂本氏はピアノを弾きつつ、自身でオーケストラを指揮。後ろに据えられたスクリーンには、今世紀初頭の映画「月世界旅行」に始まり、歴史映像、コンピューター・グラフィックスなどがテーマに沿って次々と映し出された。
第1部、第2部とも、テノール歌手ホセ・カレーラス氏が、村上龍氏によるオリジナルのテキストを読み上げる印象的な場面で始まった。

ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世や女性パフォーマー、ローリー・アンダーソン氏らへのインタビュー映像が、アントニー・リッツィ氏らによるダンスや世界各国の民族音楽歌手らの歌と呼応しながら、歴史や共生についてのメッセージを訴えかけた。

約2時間の公演が終わり、会場内は感動に包まれた。
公演は5日まで同所で開かれた後、9日から12日まで東京・日本武道館で開かれる。

クマコラム
19990902

今週、NHKのひるどき日本列島で紀州の林業関係の特集をやっている。
見ていると若い人が山に戻っている様子が感じられれた。
一回目は、30歳代の木こりが、山から木を伐りだしている様子を紹介していた。
大先輩の熟練木こりが山を紹介するのではなく、若輩者が先輩達を紹介するという放送のしかただった。
昨日は、びんちょうたんをつくっている様子をやっていた。
そこでももうその道何十年という大先輩が一人と彼を取り囲むように20代から30代の若者が5人ほど炭を焼いていた。
みな、自然の懐に深く抱かれ、生き生きとした暮らしをしているようだった。
都会の交差点をあくせく歩きながらハンカチで拭いている汗よりは、腰にぶら下げた手ぬぐいで拭っている汗に、なぜか本物らしさ、充実感を感じてしまった。
そう見ているのは、私だけかもしれない。
いいしれぬ充実感。体を張って生きることの楽しさが伝わってきた。
NHKはライフスタイルとして自然と共生する若者が増えていると伝えたかったのか。
ただ、残念なのは、この真夏に建築資材として杉やヒノキを伐りだしていると実演混じりで放送していたことだ。
建材として使う杉やヒノキは、幹の中の水分を落とす冬に切るのが定石なのだ。
そして、春まで山にそのまま寝かしておき、葉ガラシ乾燥させる。
人工乾燥が進んだ現在でもそれがよい木材乾燥法とされている。
ライフスタイルを紹介するのは結構だが、一番水分を含んでいる真夏に伐り出す様子を放送するとは、いかがなものかと考えさせられるのだ。

クマコラム
19990901

今日から9月。
知り合いののHPで「(仮称)いぬ・ネコと暮らすすまい」というページを担当することになった。
「葉山。木・風・犬猫の家」
「葉山。木・大風・猫の家」
「湘南台。木・風・犬の家」
と当社で設計した住宅のタイトルに動物がでてくることが多い。
たまたま、今の自邸を設計するとき猫ドアをつけようと決まったことから、ペットとの暮らしを意識して設計の与件に入れるようになった。
ペットと共に暮らしている方のすまいを設計する場合、ペットも家族の一員として位置づけペットの気持ちでプラン考えるようになった。
といっても勝手な人間の都合にあうように工夫することが多いのだが。
ペット中でも特に猫の場合は、リードにつながれていない暮らしをしているせいか、家の中でもっとも居心地のいい場所を探すのがうまい。
夏であれば、日影で風通しのいい場所。冬であれば、ぽかぽかした陽だまり。一番の場所を求めて、さまよう。
設計者の思いも寄らない場所にねっころがっていることがある。そうか、あの場所が今一番心地よいのかと発見させられる。
我が家のたけしの行動は、居心地バロメーターになっている。

クマコラム
19990828

外断熱の有効性はコンクリート造や補強コンクリートブロック造で発揮される。
比重の重いものほど蓄熱性が大きくなり、外断熱することによる省エネルギー効果が期待できるからである。
この前のクマコラムで書いた内断熱の大きな「史上最大のミステーク」は、コンクリート関係の構造体では良く理解できる。
木造の建物ではどうだろうか。EVパネルという外断熱もどき断熱パネルをつくっているE工業さんは、木造での外断熱をどう捉えているのだろうか。
「史上最大のミステーク」の著者の江本央さんの関係会社であろうが、木造での外断熱についていつか聞いてみたい
。EVパネルを見る限り、私がいつもやっている、壁体内通気工法と同じような仕組みにしか見えないのだ。
上記の本は、赤池学さんという方も著者になっている。
彼は前に「世界で一番住みたい家」という本を書いている。
そこでは、北海道のホームビルダー「木の城たいせつ」のことをほめちぎっているらしい。
私は、その企業の社長歴伝なる企業資料館を手がけたのでよく実状は知っていて、造っている家はとてもすばらしいと思う。
ただ、古くからよく知っている人たちの中には、随分お金をもらったのだろうという冷ややかな目で見ている人たちもいるのだ。
何がいいたいかというと「史上最大のミステーク」の内容は確かに事実であり、RC造における外断熱以外の工法は即刻やめなければならない。
ただ、この外断熱という言葉の一人歩きはよくないと思う。
木造にも同じことを期待する人がでてくるからだ。
たしかに木造での外断熱は無用ではないけれど、大きな声を出して、これしかない!といいきるのはどうかと思う。
これに関する書籍が、ベストセラーになっていると聞いたので早速読んでみたい。

クマコラム
19990805

田舎の商売ってそんなもの?
素材や工法を吟味して弟のお墓の発注をした。

クマコラム
19990714

風情とは自然に帰っていく過程の美しさをいうとも思う。
モダンな土壁風の外壁に杉皮葺きの玄関庇を提案した。

クマコラム
19990713

アメリカの建築家Frank Lloyd Wright のすまいは、ナチュラルな建物のより十分な環境対応的原則を具象化しました。

クマコラム
19990708

日本人の一番落ち着くカラーコーディネートは?
和室であるといわれています。

クマコラム
19990706

お墓の図面と見積が送られてきた。
クマ家の父は次男なので父から新しい代を築くことのなる。

クマコラム
19990518

やりすぎたかなぁ。気づく。修正する。
登米町森林組合の「百年の森」のコンセプト。
長年、山の仕事をしてきて、そばを流れる沢筋が細くなってきたことに気づく。
このままでは山の将来はないと危機を感じた。
打つ手はないか考えた。

クマコラム
19990513

昨日に続いて家点検の話。
最近、家を設計した建築家にでもなく、施工した施工業者でもない第三者にすまいの状況を判断してもらいたいというケースに遭遇する。

クマコラム
19990508

商業施設でよく使う言葉。売れ筋商品、見せ筋商品。

クマコラム
19990424

記憶の中の木場の風景。水の中で丸太が浮かんでいる。
職人が丸太の上でころころ丸太を転がしている。

クマコラム
19990423

失敗した。知り合いの方からある人のすまいの基本プランを頼まれた。
必要な基本条件とある人の希望をつづったメモがFAXで届いた。なぜか急いでいるらしい。

クマコラム
19990421

最近、建築専門紙上では木造建築が大手をふるっている。
住宅建築専門誌では、一時のコンクリート打ち放しから、木造クギ打ちっ放しへと潮流がシフトしている。
それも銘木や銘木風のつきいた合板のような一見きれいで上品なものは少なく、よく言えばヒューマン・テック・ワイルド、悪く言えば安普請、藤森教授風に言えば野蛮ギャルド。
様々に板モノ、木モノ、が咲き乱れている。
コンクリートものも型枠に昔ながらの木の板を使い、つるつるの打ち放しではなく板板しい打ち放しコンクリートが目立つ。
専門誌上では、生活者のスタイルが見えない写真が多い。
生活風情よりは、設計思想を紹介することが専門誌の命題なのだが、美しく熟成していく将来像までは読みとれない。
木はやがてほっとくと土に帰ってしまうデリケートな素材だ。
じょうずに使わないと風情ではなく風化してしまう。
そんなきづかいがディテールをきめるキーになる。

クマコラム
19990419

heritage/ヘリティジ。
世襲財産。先祖伝来のもの。親ゆずりのもの。
語源はhereにあるようだ。
勝手に想像するには、here to age 「時代をくぐっていまここに」ってなかんじなのか。
時代に埋没することなく伝わってきたこと、あるいは時代に淘汰されずに受け継がれてきたもの。
有形、無形、問わない。
形あるものはいつかは消滅する。
一世紀以上も存在し続ける木造建築の法隆寺は、その保存修復に一生を捧げる職人達を何百人と飲み込んでいる。
技術・財力、ワザとチカラによるものだ。
無形のものはどうか。
気質、道徳、魂。無形なだけに存亡が確認できない。
しかも何を何故、伝承するのか。
時代を直視することは重要だが、流されず見えないものを心で感じ伝えることが肝心らしい
闇夜の時代をくぐり抜ける秘訣はそこら辺にありそうだ。

クマコラム
19990416

忙しい場所に情報が集まるという。
さぞかしインターネットのサーバーは忙しかろう。
情報はお金だ。
情報を制するものが世の中を制すると歴史は語る。
制するものは、いつの世も情報やお金の性質種類を見極めた上で利用している。
その見極める目が今問われている。
バブルの時はお金が氾濫した。
今は情報が氾濫している。
情報は知識でしかない。
現実感はない。
知っている知識と体験に基づく知恵は次元が違う。
知識におぼれた人間は知恵を持つものに勝つことができない。
今、宇宙船地球号が壊れたら誰がどのように修復するのだろう。
知識を知恵に変換している地道な生活者が地球号を修復する情報を個々に集めていると考えたい。

クマコラム
19990412

神々のすむ家2
果たして今の家々に神がすむのか。
神とは、御先祖様のことなのか。
今の私の家を見渡しても神や御先祖様など住んでいそうにもない。
かろうじて神棚と犬猫の小屋があるくらいだ。
築20年から30年ぐらいで建て替えられている昨今の住宅事情では神が宿っている暇がないのかもしれない。
高度成長期では当たり前の「暇がない」状況は既に終わっている。
バブルなんて無くてもよかった喧騒たる虚構だ。
まだ地道に発展していた高度成長期の方がよい。

さて、神のすむ家は必要か否か。
「暇がある」今はじっくりと神のすむ家をつくることができる。
自分を見つめてみたり、先祖のことを思ったり、家族に耳を傾けたりと。
不景気だが人間として真っ当な状態を保てる今の時間が必要条件であり、神のすむ家は十分条件だと思う。

クマコラム
19990409

移ろいゆくものを、いたずらに郷愁じみた感覚で見ることは正しくない。
今日の民家の構えの美は目に見える美しさとともにそこに住む人の日々の暮らしの中に発見しなければならない。
ん?と感じた方は正解である。
今日?民家?それって何?である。
新築したての家に美しさが宿ったり、風情のある美しい民家は少ないからである。
そもそも民家は昔風で一般住宅というのが今風だ。
今、美しい民家を新築することはむつかしい。
民家は移築されるが新築は聞かない。
住宅は新築で民家は移築なのだ。
冒頭の文脈で「今日=京」で「民家=生活のある家」と読み替えるとうううんと納得がいく。
民家移築は心臓移植あるいは脳移植という先人のいとなみパワーをもらうということに近い。
住み手の生活意識が現代の美しい民家を創ると考えている。

クマコラム
19990405

半月前近所で解体が始まった。
一部上場企業の所有物。
ひと気もなく最後は息絶え絶えだった。
作者はわからない。
ただ気持ちの入った風情ある洋風建物だった。
一年前、隣に住宅を設計した。
街並みと建築家の心意気を残したく軒裏のデザインをそろえた。
古参の洋館と新米がお揃いで並び私は密かに気に入っていた。
雨の中解体が終わった。
昨日久しぶりに晴れ、ネクタイ正装した人たちが裸にされた敷地に群がっていた。
お客様と建築業者。
それぞれ嬉々として縄を張っていた。
半世紀以上葉山の海を見続けてきた建物の存在を知っているのだろうか。
その息吹が隣の軒裏に息づいていることも。
浮き世の景気が悪い中、葉山の企業所有地が次々と裸にされ粉々にされていく。
建築家の心意気も同時に粉砕されていくのは見るに忍びない......

クマコラム
19990402

私の事務所は山の中腹にある。
今日は風が強いのでギシギシ揺れている。
初めて訪れる方は思い思い感想を話してくれる。
車の入れない細い道を上がってきて、ハアハア言いながら「ディズニーランドより本物っぽい!」「いい環境ですね。」目の前に広がる海と御用邸を下に見ながら一息つく。
ここのログハウス群(4棟)はアメリカ人の大家さんが自分で建てたものだ。
昭和34年から自分でここの山を開墾して以来約40年。
夏はアメリカで農業、冬にここに帰ってくる。
75歳。まだまだ現役だ。
今も母屋に3年掛かりでジャクジーをコツコツやって楽しんでいる。
年に数回顔を合わす度に「商売どお?」と活きる極意を教えてくれる。
私は勝手に見習うことが多い人生のおっしょさんと思っている。
ただ、今日のように大風が吹くと、屋根が吹き飛んでしまうのではないかと留守を任されている店子としては心配が尽きない。

クマコラム
19990328

昨日秋田からわざわざ花立さんと山脇さんが葉山に私を訪ねてきた。
花立さんは秋田湯沢の製材所の社長。
山脇さんは同郷の工務店の若社長だ。
ちなみに私の家の杉材はすべて花立さんから直接仕入れた。
山脇さんは若干32歳。
最近長年工務店を経営してきたお父さんとお母さんを相次いで看取ったらしい。
東京のゼネコンで修行していた山脇さんは秋田の湯沢で生きる決心をした。
秋田は今過渡期とのこと。住宅メーカー、輸入住宅、2×4。
その中で生き抜くために花立さんは彼を葉山まで連れてきたのだとか。
二人ともとっても建築少年だ。
私の家に魂を感じたらしい。
顔の見えるつきあいは駆け引きなしに心が通うからやめられない。
花立さんが彼を想うように私も彼のことを応援したい。
なぜなら同じ建築少年の心を持つからだ。純粋である。

クマコラム
19990326

猫と犬では大きくちがう。
何が違うかというと建築用語に出てくる数である。猫の方が圧倒的に多い。

よく聞く犬走り。古くは、城の堀の内側を武者走り、堀の外側を犬走りといっていた。
今では、言葉だけが残り、建物のまわりのコンクリ部分を指すのに残っている。

犬矢来。京都の町屋で塀や建物の足元に割り竹を並べて弧を描くようにして打ちつけたもの。
これは、元来建物の土台を雨露から保護するためのもの。

犬釘。一度獲物をくわえたら離さない犬の習性を拝借した掴む釘のこと。

英語圏では、ドックレッグ。犬脚。
鉄砲階段に対して、いってこいの階段のこと。
折り返し階段のことを犬がお座りした格好に見立ててつけられたらしい。
今度から犬脚階段と図面に書こう。

図面に犬が走っていたり、猫が座っていたり、なかなか楽しく、味わい深い図面になりそうだ。

クマコラム
19990325

私が設計する住宅のサブタイトルに犬や猫が出てくることが多い。
建築用語にも動物が多く出てくる。
筆頭は、猫である。
ネコとは手押し車の一輪車のこと。
コンクリ打つ際にネコからこぼれたものをクソという。
猫糞(ねこばば)は、残しておくとあと打ちのコンクリと一体とならずたちが悪い。

猫板。猫の額ほどの長火鉢のふたのこと。きんかくしの蓋も猫板。

猫間障子。障子の中段が上下し、猫の目のように光の量が変化するからついたとか。

猫モルタル。基礎と土台の間に入れ、充分な床下通気を確保する。

猫足。家具に多いが、お膳の足も猫足なのでお膳を猫という。

コンクリやモルタルを打つと必ず猫がやってきて足跡を付ける。
新聞紙を読んでいると必ずそこに座る。
猫は人間のパワーを感じるという。
私が設計した現場に猫が来なくなるとやばいと言うことか。
現場に猫が来なくなったら赤信号である。
一部、矢田洋著の「建築用語漫歩」から引用した。次は、犬である。

クマコラム
19990324

京の民家。初版発行、昭和37年8月16日。私は昭和36年生まれだ。
なぜか私の手元にその当時の本がある。
葉山に越してきた時、夏の別荘に使っていた民家を借りた。
そこには、おびただしい建築・美術関係の本があった。
本は、捨ててもいいという大家さんの言葉に甘え、吟味しながらほとんどフリーマーケットに出してしまった。
京の民家は、なぜか手元に残った一冊だ。
古きを訪ねて、新しきを知る。
今の自分を予期していたのかはわからない。
知りたいことがいっぱい詰まっている。
私一人では出会わなかった本が今でもたくさん残っている。
最近、縁を感じている。葉山。木、風、犬猫の我が家に一番最初に訪問してくださったのは、その夏の家を私に貸してくれた大家さん家族なのだ。
医者のご主人は戦時中建築家になりたかったのだそうだ。
そのご主人の蔵書を私が今蔵書にしようとしている。やはり縁なのかもしれない。ありがたい。

クマコラム
19990323

お彼岸ついでにお墓の話。
小さいときに病死した弟のお墓をつくることになった。
いずれは、私も入ることになる。
すまいづくりは自分探しと日々主張する私がお墓をデザインすることになった。

石屋さんと打ち合わせをした。今は外柵(すまいづくりの場合は外構にあたる部分)は、御影石でやるのが一般的らしい。私は赤煉瓦でデザインしたいと申し入れた。
失敗事例を多く経験している老舗の石屋さんは、経験談をいろいろ話してくれた。
50年石屋さんをやっているが、赤煉瓦は初めてだという。
北海道で組積造を数多く手がける建築家がやはり赤煉瓦でお墓の外柵をデザインした事例を知っていた。良識ある大学教授でもあった。
家族に赤煉瓦の話をすると反対意見の方が多かった。
風化が早いのではないか、周囲の品位に合わないのではないか。
一坪ちょっとのお墓のデザインでも意見がいっぱいでる。
整理しなければならないことも数多い。
隣のお墓に見習って同じデザインでやるのが一番簡単だ。それでいいのか。
家族や自分も入ることになる大事なお墓だ。
時代や既成概念に合わせることが一番良い方法なのか、家族とともに大いに悩んでいる。

クマコラム
19990316

ろじ。路地、露地、路次。少しずつ意味が違う。

路地は、表通りから奥まった何軒かの家に通じる細い道。
露地は、お茶の方の言葉で形式的に整えられた茶庭の通路のこと。
路次は、一定の場所に通ずる路のこと。

これらの使い方は、絶対的なものでなく、混乱を防ぐために便宜的にそういうすみ分けをしているらしい。
共通の意味は、狭い道ということか。
なかでも、露地は、外部に位置していることが前提となり、大自然とふれあう場面を意図する場合に使われる。

都市部の住宅事情では、道路からいきなり玄関だったり、道路に面した掃き出し窓はレースのカーテンが閉めきりだったり。いたしかたないのか。
せめて今に生きる知恵は絞りたい。
小さなイングリッシュガーデンを横目にアウトドアデッキで一息。
はたまた、物好きは、屋根に土をのっけて路地裏栽培ならぬ、屋根上栽培。
自然界に通ずる路は、多岐にわたる。

知恵を働かせ、狭い路から大いなる自然界へそっとこちらから近づいていきたい。

クマコラム
19990312

科学とは自然のなぞを解くことであり、技術とは物を作ることだ。
つまり科学は哲学なのだ。
日本は技術では一流だけれど、科学はずっと軽視されてきた。
科学はもともと、その時代の常識に挑戦して発展してきた。

これは、亡くなられた糸川英夫さんのことば。2/22の天声人語で知った。
建築家と設計者の違いを大学の恩師と酒の肴にしたことがあった。
そのときの結論。
まじめに建築に取り組んでいる建築作家のことを建築家ということにしよう。
なんだか、わかったようなわからないような。
もやもやしていた。

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