薪作って、割って、一年間乾かして、そして自分の家を暖めて、9つ目の冬を数えて、私ははじめて男になったような気がする。 薪ストーブが私の人生を変えたのがわかる。 自分の筋肉に訴えてみたことのない知識など、何の力もないことだと思うようになった。 考えてみれば当たり前のことなのだが、スキーの技術書を読んで、スキーが滑れないわけがわかった。 情報化社会というのは、みんな何も本当にはわからないくせして、みんなで知ったかぶりをしている社会のことだってことがわかった。 本当に必要なのは、自分の眼と心と筋肉で学んだ知識だ。 映像や文字は全てただの記号にしかすぎない。 世界は神秘に満ちている。
▲『薪ストーブの本』田渕義雄 著・訳より

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私は、何故薪ストーブを使うのだろうか。
あなたは、何故薪ストーブに惹かれるのですか?
薪ストーブは、私たちに何を与えてくれますか?

私は、自分の力で生きていきたいと心の底で思っている。
生活に必要な電気、水、食べ物、心通い合う人間関係、自分の家、などなどすべて自分の力で。
しかし、今の世の中、お金を出さなければ手に入らないことになっている。
身の回りをぐるっと見渡して、自分の力だけでなんとか確保できる物を探す。
何もないのである。

その中で、わずかに自分の努力と体力で手に入れられる「こと」がある。
そのひとつが、暖かい冬である。
伐採されて最終処分場で焼却されるしかない木々をその現場まで出向き、もらい受ける。
あえて大げさに言うのなら、未利用資源の有効利用である。
そして、化石燃料代替エネルギー、持続可能なエネルギーの活用なのだ。

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しかし、実体は暖かい冬を手に入れるためのモノモライなのである。
さりとて、この死に場を待っている木々の情報はの多くは、ありがたい友人のお陰でもあったりするので、薪ストーブとて全て自分の力でやりくりしているとも言えないのだが。
薪ストーブを使う理由を「自給自足」と意味づけてみた。

本当のところは裸火が好きだからだ。
これは、何を隠そう一番大切なことでもあるのだ。
薪ストーブは大変なやっかいもの。
薪を作らなければならないし、薪をストーブまで持っていかなければならないし、上手に点火しなければならないし、焚いている間火の管理をしなければならないし、灰を捨てなければならないし、煙突掃除をしなければならない・・・。
欠点は書き出せばきりがない。本当である。
エアコンなら、床暖房なら、ファンヒーターなら、すべて「スイッチひとつ」で事足りる。
そんな、やっかいで、めんどくさくて、時代遅れな日常道具が、薪ストーブなのだ。
仕事柄、薪ストーブを使いたいという相談がある。
その時、わたしはそのヒトを見ることにしている。
本当に「裸火が好きなヒトかどうか」。
あこがれやイメージだけでは、薪ストーブとつきあっていけない。
努力と体力と生活の知恵が要求されるのである。

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これほど「努力と体力と生活の知恵」を必要とする生活道具は他にない。
ゆるんだ精神となまったカラダと便利な日々にカツを入れてくれる。
薪ストーブに、理想と現実のギャップを教えられ、地道に生きる精神をたたきこまれ、自分一人の力だけでは生きていけない社会のルールを再認識させられるのだ。
たかが、薪ストーブ。されど、薪ストーブ。
薪ストーブのある暮らしをしてみませんか?
厳しいですよ。そして、楽しいですよ。

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