2002年12月14日、伐り旬を迎えた南足柄の山に入った。
建て主と一緒に杉林を歩き、すまいのシンボルツリーを探し、伐り倒すのである。
神奈川の山に入るようになって今シーズンで3年目を迎えた。
秋田、福島の山も含めると、7年目になる。
この地道な活動は、いずれ陽の目を見る時期がやってくると信じている。
15年ほど前に、屋上緑化に関心を持ち、様々な開発計画に屋上庭園を提案した。
都市のヒートアイランド現象緩和策として、都市で緑とのふれあいを目的として。
当時、ドイツの環境政策から学んだ提案者の私は変わり者扱いだった。
ところが今では、行政も認めるまでに浸透してきている。
(しかし、屋上庭園の概念は70年ほど前にフランスの建築家ル・コルビジェが提案済みなのである。)
いずれ、近くの山の木で、家を建てるということが当たり前になる時期もくるだろう。
ほんの40年ほど前は、日本の各地でそうだったように。
そう信じて、今シーズンも山に入った。
<何故、近くの山の木なのか?>
それは、単純明快である。建築費用をできるだけ近隣にとどめておきたいからである。地域が潤えば、そこに住む人間も潤うから。できるだけ近隣の工務店で、近隣の職人で、近隣の材料で。いえ一軒分のお金はそうとう地域を潤すことができるはずである。
<何故、建て主と一緒に山に入るのか?>
すまいは、人間が寄ってたかって造るものである。木を育てる人、木を伐る人、製材する人、加工する人、組み上げる人、等々。様々な人の手を経て、創造されるかけがえのない貴重な産物である。そこに携わる人々の顔があり、汗と努力が充満している。できるかぎり、建て主にそのプロセスを公開したいと考えている。顔が見えることで、できあがったすまいへの愛着が増し、職人さんへの感謝もリアルにわきあがるだろうと思うから。山に入るのは、そのための第一歩なのである。
<何故、シンボルツリーなのか?>
答えは、悲しいことにすべてを近くの山の木で造るとコストがかさむからである。現時点では、神奈川県産材だけですまいを造ると価格が上がってしまう。こころざしは高くとも、全体予算をバランスよく組み立てることは必至である。しかし、いずれ近くの山の木を使うことが当たり前になった時には、使いやすくなるだろう。そんな状況のなか、ご神木を神奈川の山から使うことで突破口を開いていきたいと考えている。
主催者側として様々な思いが錯綜しながらも、一歩山に入ると自然と頬がゆるんでくる。山の木々も、エンドユーザーである建て主を見ることは滅多にないのであろう。とてもさわやかに、気持ちよく我々を迎えてくれる。杉林を方々歩き回り、多くの条件をクリアして一本の木が選ばれる。その木は、とても喜んでいて、「選んでくれてありがとう」と言っているようだ。「第二の人生は建て主のためにしっかりと頑張りますよ。」とも言っているだろう。伐り倒した後は、何故か皆一同、さわやかにほほえんでいる。こんな想いを感じる限り、私たちは毎年山に入ることだろう。
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