クマコラム
19991126

「三畳一間の小さな下宿」「芝生の上では子犬が遊ぶ」
ライフスタイルと部屋の広さの関係がこのふたつの対比論から始まる。
「田舎暮らし夢の家」吉津耕一著ハート出版から。

それぞれ25年ほど前にはやった、「神田川」と「あなた」の一フレーズだ。
かたや、ぎしぎし床がきしむ安下宿に二人寄り添う。
もう一方は、郊外の白い新築の家で居間には暖炉がある。
生活空間の大きさ、質の違いは、あきらかだが、どちらが幸せそうだろうか?
この本では、断然、神田川に軍配が上がる。
家が広いことは一般的には狭いよりも良いとされるが、時と場合でスタイルは変わるだろうと締めくくる。

もう30年も前になろうか、東京のど真ん中に6坪の変形土地を仕入れ、そこに塔のような家を建てた建築家がいた。
平面図を見る限り、寄り添いながら生活する、それも扉を付けると狭くなるからとほとんど扉なし。
そこで女の子が産まれ、無事に育って、その子も建築家になった。
数年前、少しリニューアルしたようだが、いまだに住みこなしている。
夫婦二人からその家は始まり、子供が産まれ、巣立って、また二人に戻った。
とても家族サイクルのスケールにあった住まいのようだ。
そこにはnLDKという概念は存在しない。
あたかも家族が寄り添い生活する秘密基地のようだ。

広いLDKと個室群、それも家族の人数分と客間と個室がたくさんあるすまい。
土地もお金もふんだんにある場合は、おうおうにしてそうなるに違いない。
食事の時とTVゲームをしている以外は、LDKを離れ、それぞれ個室に引きこもる。
企業戦士が主人の場合は、家族みんなで食事なんてのは月に数回あるだろうか。
そして、子供が巣立ち、取り残されるように広いLDKで夫婦ふたり、話すこともない。
極端なはなしだが、どこにでもありそうな話だ。

すまいを手に入れるとき、どういう生活がしたいかよく考える必要がある。
狭くても、広くても、家族の気配が感じられ、寄り添いながらお互いを尊重できるような家族基地が望ましいだろう。
それは、家族の数だけ存在するもので、決まった形はないようだ。

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