クマコラム
19991208

「No.1になるよりもOnly1になろうじゃないか!」松山千春ライブでのことば。
ますます、話し言葉が汚くなっていき、身なりも常人から離れていく彼。
同じ道産子として目に余るところが目立ってきているのだが、久しぶりに感心した。
他との比較で相対評価1番を目指すより、誰にもまねできない絶対的な自己を確立しようと言っているのだ。
なるほど、最近は、彼と同じような性格の歌い手はいないようだ。
しゃべれば汚く、身なりはプロレスラーかその筋の人、おまけに毛が薄い、しかし、歌えばきれいな歌声と説得力ある歌詞。
やはり、Only1なのかもしれない。

No.1とOnly1の考察をもう少し。
No.1 って、どういうことだろう。
学校社会ではわかる。成績の上位のもの。ある集団においてその中のあるルール上一番のもの。
社会生活でのそれって何なのだろう。
会社であれば、営業成績が一番のもの?営業社員以外は順列付けられない?社長が一番?
はたまた、総理大臣が一番か?
ある競争社会の中での順位でしかないのだろう。
実社会生活の中では、No.1はふさわしくないのかもしれない。
社会生活は、競争生活ではないからだ。
仮に競争生活という場面があったとしても、それは本来求める人間的生活ではないといえるのではないか。

では、Only1 になるって簡単か?
それは、No.1より難しいと思う。No.50であれば49人追い越せばNo.1になれる。
目標が明快だ。それに達成感もあるだろう。
しかし、Only1は、目指す道と到達地点を自分で決めなければならない。
自分以外だれも決められない。
到達したかどうかも自分で決めるしかない。
到達したからって、誰もそれはわからない。

20世紀で一番印象的かつ影響を与えたアーティストにビートルズをあげる人が圧倒的に多いらしい。
彼らは、リバプールの小さなライブハウスでやっていたときから20世紀の1番を目指しただろうか。
絶対そうではないと思う。
世に出てから、グループ解散まで一貫して「人間愛」を歌い続けてきた。
音楽活動をベースにライフスタイルまで独自性を貫き続けてきた。
その独自性を貫きとおしたプロセスが彼らを20世紀の一番にしているのだろう。

Only1を目指した結果、No.1になることが、とてつもなく理想的なのだと思う。

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