●1999.12.5
ふたつのプランを前に大いに悩んでいるらしかった。
第4案は、割とオーソドックスな縦構成となっている。
第5案は、プランを見ただけでは理解しがたい、不思議なプランとなっていた。
それに薪ストーブもしっかりと納まっている。
薪ストーブの話しがでてくるまでは、絶対2階リビングを押していた私だったが、薪ストーブがでてきたおかげで、何とか1階リビングで、かつ有機的につながるすまいができないかと悩んでいた。
その悩みが、未解決ではあるが、第5案に見え隠れしていた。
ひとしきり、悩み相談会が終わった頃、第5案のプランで解決しなければならない収納スペースの確保と和室の独立性を再度解決し、プランを詰めることとした。
大いに悩んだ建て主と設計者であったが、両者、第5案をベースにさらに前に進むことにした。
すこし、平野さんに近づいた日だった。
●1999.12.11
先日の打ち合わせ後、他の仕事に追われていて、プランは手つかずだった。
しかし、手は動いていないものの、頭は動いていた。
第5案をベースに各機能が、有機的につながっていくすまい、頭の中では熟成していった。
次の打ち合わせ日は、12/14、だった。
前日まで、どんどん熟成させ、一気に手を動かすことにしていた。
1999.12.13
頭の中で熟成していたモノをひとつひとつ丁寧に取り出しはじめた。
頭の中では、しっかりとできあがっていたのだが、実際にミリ単位で図面に落とし始めるとこれがうまくいかなかった。
平面プランだけでは、理解しがたいので、断面図、立面図と試行錯誤しながら組み立てていった。
そうなのである、すまいづくりは、組み立てては壊し、組み立てては壊しの連続なのだ。
頭の中だけでそれをやる場合もあるし、実際に図面にしてから壊す場合もある。
建て主共々、つくっては壊し、つくっては壊しと二人三脚でやっていくのである。
基本計画の段階では、設計者との二人三脚であるが、実際工事が始まると監督、職人なども入り交じり、それはもう大変な合同作業へとなだれ込んでいくのである。
工事段階でつくっては壊しというわけにもいかないので、基本計画、基本設計の時点で、どんどんそれをやり尽くしておくのである。
この作業は、つらく悩ましいモノであるが、さけて通ってはいけない、急がば回れなのである。
シンプルに考えれば、たかが家を建てるための試行錯誤なのだが、建て主にとって自分探しの旅でもある。
建て売りに自分らしさを見つける人、住宅メーカーと二人三脚する人、設計者と二人三脚する人、それぞれに
生き方がでてくるものだ。
設計者をわざわざ探し、家をつくってもらう人はまだまだ多くない。
「だって、工事費の1割も余分(?)に予算を組まなくてはならないのだから.....」と考える人がほとんどだろう。
「予算も少ないし、そんな設計者に頼むほどのことではない。」大方の意見だ。
生き方は、人それぞれ、それでいいのである。
しかし、すまいづくりはせっかくの人生一大イベントなのだ、しっかりと楽しまない手はない。
建て売りであろうが、何であろうが、一生かけてローンを払っていくのは、変わらない。
あらゆるプロセスを楽しむかどうか、それも生き方、すまいづくりには、日々の生き方がでてくるものなのだ。
私は、すまいづくりを楽しむための道先案内人として、工事費の1割を無駄にしないようにと私もしっかり楽しむことにしている。
この日は、少し楽しみすぎて、図面として整理できたのが、夜中の1時をまわっていた。
迷惑かもしれないと思いつつ、平野さんにファックスを入れておいた。
翌朝、私が到着するまでに、少し目を通しておいてほしかったからだ。
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