070422_header.jpg

『火を眺めていると人はなぜロマンチストになっちまうんだろう』

タイトルに惹かれた。読むと椎名誠の新しいDVDが出たようだ。思わずほしいと思ってしまう。それにしても裸火は人の心を魅了する。火は人間だけが手にした文明で、記事にあるように古代人にとってはもっとも生活の上で大切なものだったのだろうと簡単に想像できる。それからかれこれ1万年。現在の住宅事情はオール電化が普及しつつあり、『家』から裸火が無くなろうとしている。疲れ切っている現代人にとって裸火以外にくつろぎ、明日への鋭気を養うアイテムはあるのだろうか。


私にとっての『焚き火』の原点は、スタインベックの『朝食』。高校生の時

///////空がぼんやりと紫色にあけてきた。男たちはそれぞれ焚き火を見つめながらコーヒーを飲んでいた。女たちはベーコンと豆を炒めその何気ないいつもの朝食が始まり、やがて空は紫色からブルーへと色を変えていった///////

強烈だった。それ以来、裸火の虜になったのだろう。生まれたときから、家の中に石炭ストーブがあり、そのうち石油ストーブになり、今は薪ストーブ。人生の中で裸火から離れたのは、上京してきた大学生時代の4年間とサラリーマン時代の借家時代。都合8年ほど。47年間の人生のうち、40年近くは傍らに裸火がある。やめられない。一生つきあいたい。


せっかくの自分の『家』なのだ、せめて蛍光灯はやめて白熱灯いわゆる電球で暮らしたい。それは太古の焚き火と同じことなのだ。夜は夜らしく。昼は昼らしく。昼間オフィスで働くのなら、蛍光灯の昼光色で十分。変にくつろぐ必要はない。しかしだ。夜くらいは家の中で夜らしく過ごしたいと思うのは、すり込まれたDNAが欲しているのだ。電気代がかさむのが気になるなら、ろうそくでもいい。すまいの中は白熱灯がふさわしいと思う。家の中から火を絶やしては人間らしくなれないと勝手に思う。以前、真空管オーディオの仲間と飲んでいるとき、真空管の灯りは焚き火に通じるものがありますねと話したら皆ポカンとしていた。私にとって、傍らにある真空管アンプの灯りは裸火のそれである。近くにいるとあついし、見てると灯りがともっていて見ていて飽きない。音もさることながらトランジスタアンプでは味わえない味がそこにある。全く焚き火に通じるものがそこにあるのだ。

冒頭の写真は、2000年8月の旅の途中。屋久島での明け方。ランタンの灯り、朝焼け。スタインベックの朝食を思い出しながら、コーヒーを片手に一人。時間を楽しんでいた。気がつくとすっかり朝を迎えていた。夜のしじまが明けるとき裸火が傍らにあると幸せな気持ちで一日が始まる。人間だから。


●2007.04.15(日)

前の日から、まったくもって新人のMacBookがいうことを聞かない。起動させると「?」やフォルダマークがでて起動しない。最近仕事はiMacでやり、ネットやメールはMacBook(白本)。メールのやりとりはすべて新人君なので回復させないと私へのメールは音信不通になってしまう。あせりながら手を尽くす。午後から打ち合わせ。焦りながらシステムを入れ替えることに。現存するデータは外付けHDに移動させながら、システムを再インストール。夕方打ち合わせが終わっても、データを移動している真っ最中。あわててもしょうがない。そのまま新人君には仕事をさせて、私はiMacで仕事の続き。


●2007.04.16(月)

朝起きると、どうやらMacBookの仕事は終わっていたらしい。起動させると、まっさらな新人君になっていた。それから移動したデータを取り込み、それまで教え込んだ仕事ができるように回復させる。MacOSXになってから初めての開腹手術なので要領がつかめない。どうやら「ライブラリー」にあるデータをバックアップから持ってきてやると記憶が戻るらしい。丸一日かかる。


●2007.04.17(火)

5:00起床。朝焼けを焚き火で楽しむ余裕はない。午後から打ち合わせに向けて準備。しかし、寒い。4月になってから2回目の薪ストーブを焚く。異常だ。マックも異常気象のせいでおかしいのか?やはりしゃきっとしないMacBookを修復しながら。iMacで仕事の準備。午後一。座間。帰りに掃除機を買う。2〜3日前スイッチを入れた瞬間煙とともにうんともすんともいわなくなったらしい。犬猫の館なので、掃除機は消耗品。3年ごとに壊れて買い換えている気がする。今度は何年もつだろう。これも異常気象のせいか?だとしたら異常気象は家電業界の仕業なのかもしれぬ。


●2007.04.18(水)

5:00起床。今朝は前日から焚いていた薪ストーブに薪を入れることから一日が始まる。家の中は薪ストーブの残り火のおかげで十分暖かい。仕事机横の真空管アンプに火を入れる。身支度をし、コーヒーを入れ、机に座ると真空管が暖まっている。iTunesラジオでで JAZZ/ forever Coolをクリック。何度目かでつながる。今日はいけるか。最近、JAZZ/ forever Coolがつながらない。何度クリックしてもつながらないときもあれば、一発でつながるときもある。有料 forever Coolを始めたらしいので陰謀かもしれぬ。明け方、真空管、コーヒー、forever Cool。これがもっぱらデジタルカウボーイの3点セットなのだ。


●2007.04.19(木)

5月には着工しなければならない至近現場のMLプラン会議。最近は会わなくてもデジタル会議でOK,YES,NOくらいの会議をメールで進められる。しかし、新人君MacBookの機嫌のせいなのか、私のメールが文字化け化け。原因がわからないまま。文字化け祭り。やれやれ。人間が手にした最新の文明に翻弄されている。しかし、なだめすかしてでも動かさないとコミュニケーションが半減してしまう。太古の人も裸火には手を焼いていたのだろうか。


●2007.04.20(金)

9:00起床。頭がもうろうとしている。やりたいことでいっぱいなので夜更かし。ついでに飲み過ぎ。一週間に一度か二度は徹底的にやりたいときがある。仕事もプライベートも徹底的にやると翌日半日は使い物にならない。20代のサラリーマン時代はこれが毎日だった。とにかくよく仕事し、よく呑んだ。忙しいときほど。良くも悪くも。年を重ねるにつれ、無謀な遊び方、呑み方は減ってはきているものの、忙しいときほど、たまにやりたい。もうろうとしながら小林克也を聞き、イエロートレペに赤鉛筆を走らせる。2軒スタディする。


●2007.04.21(土)

4:30起床。最近は夜は早々に切り上げ朝の勝負に出ている。午後の打ち合わせのためにまとめにはいる。すっきりまとまるが、まだストライクではないだろう。午後、打ち合わせ。やはり。まったくのたたき台で提案した第0案に住み始めていたらしい。お子さんがいるので、ぐちゃぐちゃになってしまった企画書を取り出し、それをベースに希望をお話しされる。今回は0案をのぞき2案目。しかし、そのぐちゃぐちゃの紙の上にイエロートレペを敷き、打ち合わせが進む。「もうすでに、このプランに住み始めていたんですねえ」「いけないんですか?」「いえいえ。それを察することができなかったもので」うれしいものである。もう少し、私の勘が働けば良かった。


●2007.04.22(日)

7:30起床。もう、ほとんど頭の中ではまとまっていたので午後からの打ち合わせには間に合うと思っていたら気がゆるみ寝坊。しかしながら朝一番は能率が良い。寝坊はよく寝たということ。真空管、コーヒー、foreverCool(なんと一発)で一日を始める。さくさくiMacと仕事をすすめ、午後。3案提案。そのなかの1案で方針をまとめる。コスト、耐火性能の面から久しぶりに補強コンクリートブロック造を提案している。これは建築的にはとてもマニアックな工法。コンクリートブロック造の堅牢な躯体を外断熱でくるみ内部の熱環境的に優れたすまいに仕立てようというもの。都内では「新防火制度」とやらいう新しい制度ができて木造には耐火的厚化粧が求められているらしい。ならば、耐火性能、建築物理性能そしてコストに優れた工法でやろうじゃないかという試み。しかし、いかんせんマニアックすぎて70歳過ぎのお母さんには「ブロック塀はいやだなあ」と言われてしまう。押しつけたくないが、ブロック造の優れた面のプレゼンテーションをしっかりやる意義はあると思う。しか〜し、ブロック塀ですまいを造るのはマニアックすぎるのだろうなあ。(ブロック塀ではなく、補強コンクリートブロック造なんだけど...)

▼ コメントする

▼ サイト内検索                複数キーワードは半角スペースを挿入