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きちんと生きられること。きちんと生きられるために必要なことは豊かなこと。何が豊かなことできちんと生きることができるのだろうか。人間以外の生き物は豊かに生きているらしい。人間から見たら貧相かもしれないが、それはその時きちんと生きていけることができれば豊かなこと。将来のための不必要な蓄えはしない。必要以上に自分のものとしない。自然の変化に敏感に変化し続ける。人間以外の動植物は必要以上に蓄えるという概念がないためにとても豊かに生きているらしい。

先日、釣りがしたいという葉山の友人を誘ってボートで葉山沖に出た。あいにく、北風が強く、旬の真鯛ポイントに行くことができず釣果に恵まれなかった。釣れないボートの上で。釣れなくても海の上にいるだけで気持ちいい。これが葉山でやりたかったことだから。と。4月から転勤になり新宿本店通いになるという。それは栄転なので良かったじゃないですかというも、顔がさえない。魚が釣れないので、そんな話を肴に北風に吹かれながらぼそぼそと会話した。『年に3回しか休まなかった』ということを武勇伝のごとく話す常務の下について仕事すんですよ。4月から。もう。休めないだろうな...。私よりひとつ年下の企業戦士だ。仕事で手を動かすことがないときは竿を片手にせっせと海に出ている私にはその苦労は今はない。大きな企業にいる企業人の苦労は十数年前に売ってしまった。苦労は買ってでもしろというのをやめたのだ。そのかわり蓄えることができないかもしれないというリスクを自ら背負って生きている。豊かな生き方ってどういうことなのだろう。

きっと。やっぱり。大きな壁にぶつかってそれを乗り越えていったときに得られる精神的な満足感なんだろうなと思う。それは、企業戦士がぶつかる壁、自営業者がぶつかる壁。はたまた、大災害に遭ったとき、社会的トラブルがあったとき。ひとそれぞれ大きな壁にぶち当たり、それを乗り越えるすべと力がバージョンアップしたときに心が豊かになるのだろう。そう考えると人間も他の動植物も同じではないか。必要以上に蓄えようとして、個体同士、企業同士、社会どうし、国どうしが摩擦し合うっていうのは、おろかな人間にしかない貧相な生き方なのだろう。宵越しの金は持たない江戸っ子はもっともエコな生き方をしてきたというのは今一度よく見直してみる価値があるかもしれない。

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