20101030-00.jpg

●2010年10月30日(土)

昼。台風14号が上陸しそうな気配。ここのところ寒くて。一瞬悩んだ末、薪ストーブに点火を決意。今シーズンの初焚き。なかなか火が付かないストーブを相手にしながら、台風上陸と初焚きって不思議な取り合わせだと。そういえば、先シーズン焚き終わったままのストーブ。煙突掃除をしていなかった。いいや、どうせ、このままシーズンインするわけではない。本格稼働する前にきちんとすればいいさと思いながら久しぶりに煙を操る。二時燃焼し始めるとさすがに暖かくなってきた。最初の薪5本くらいが燃焼した後、追加で4本。それ以上入れる気にもならないくらいの室温になってきたのでその日は終了。翌日も1階から3階まで暖かく。台風も一過で外も気温が上がっていた。

●2010年10月31日(日)

午前中一仕事。午後の打ち合わせ用資料の整理。お昼前、ちょっと時間ができたので軽トラで散歩。葉山をぐるりまわったあと児童公園で放牧。その散歩途中、下山口で私がサラリーマン時代の社長の屋敷が解体され分譲地に変貌しようとしていた。9区画の分譲らしいので、街作り条例どおりにやると500坪くらいの土地だったのか。一代で日本一になる企業に育て上げ、葉山に住み着いた。その家屋敷が息子家族に受け継がれることもなく切り売りされてしまう。なんとなく、日本の相続税制の厳しさがかいま見える。そういえば、先週末にもそんな話を聞いたばっかりだ。JR駅そばの800坪。相続税対策で、甲欄しかない登記簿謄本に乙欄をつけることでしのぐことになったが、佐山君今後もよろしく。よろしくといわれても。。。いえいえ、こちらこそよろしくです。

●2010年11月1日(月)

なんというか、今までにない感じ。夜眠れなかったのだ。だいたい眠れない夜なんてこの人生無かった。どんなことがあっても、寝るぞと横になると眠ってしまう。翌朝、釣りに行くので2時起床。ならば8時就寝でもすぐに眠ってしまっていた。夜中に目が覚めると息苦しいのだ。のどの奥底がひゅーひゅー言っている。昨年だったか一昨年だったか、家族全員が熱にやられたときに救急病院に行った。そのときに症状を伝えると「そりゃあ、あんた。ぜんそくだ」といわれた記憶がある。初めての症状だった。息苦しくて眠れないのね。これって。朝起きると息苦しさが増していたので病院に行くことにした。ぜんそく的な症状の時に行く病院って何科になるのかわからなかったので、ネットでぐぐる。素人はこんなところから素人なのだ。家を建てたいって思ったときに何科に行けば良いのかわかんない。というのと同じだ。(意味不明)。おそらく呼吸器科に行けばよいというのがわかった。で。葉山の専門医を探し門を叩く。すると、2時間待ちですというのでいったん家に帰る。お昼過ぎくらいに再度行けばよいと。それと携帯電話で待ち時間がわかるというので安心した。iPhoneで待ち時間をチェックすると「今すぐ来てください!」とでたのであわてて門をくぐる。23番の紙切れを持つ私。電光掲示板は20。やれやれガセネタかとイスに座る。そこからが長かった。たまたま手にしていた「子供はキャンプに連れて行け!」という本があったのでしのぐことができそうだったのだが。。待合室には、子供連れが5組ほど。年配者が一人。10分ほど待っていた待合室に中森飽菜似の母親と男の子二人が来た。それからその中森飽菜が絵本を読んでやるのだ。低いがよく通る声で読み始めた。最初は気にならなかったが、待ち時間が30分を過ぎる頃には、私の頭の中に中森飽菜の絵本を読む低い声が蔓延してきていた。ほとんど待合室の人数が変わらないまわりを見渡すとみなかなりげんなりしていた。そのお経のような絵本の朗読。何冊も読み続けるのだ。病院の待合室は「しずかにしなさい!」と親が子供をしつける格好の場所だったのではなかったか。そのKYな中森飽菜は、まわりのげんなり具合を気にもとめず、ひたすら読み続ける。たまに二人の息子が立ち上がって悪さをしようものなら、さらに野太い低い声で「うりゃ〜!」としかりつける。なんのために携帯電話で待ち時間をチェックできるシステムになっていたんだか。結局、先生に見てもらえたのは、「今すぐ来てください!」から1時間後だった。まあ。初診だったけど良い先生に観てもらって処方してもらった。せいたかあわだちそうが少し悪さしているかもらしい。


▼ コメントする

▼ サイト内検索                複数キーワードは半角スペースを挿入