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2011.05.09?2011.05.11働く道具をトラックに積んで北に向かいました。北行きの目的は、建築調査です。建築のプロが目で見て感じたことを備忘録として記録しておきます。


2011.05.11朝。宮城県登米市津山町横山字細屋26-1にある道の駅「もくもくランド」を出発。ここは近隣被災地へ行くためのベースキャンプ的な使われ方をされていて、トイレと水があるので芝生でテントを張っているかたも居ました。そこから南三陸町へ向かい、しばらくすると右折して石巻方面へ峠越えを試みました。

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県道64号北上津山線を登る。危険は感じられない。(2011.05.11時点)

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峠付近。一部、地震による地割れが見られる。

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県道64号北上津山線を北上川方面へ下り平野部。建築基準法で規制されるブロック塀の高さではないが、控え壁がほとんど無いため倒壊。

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北上川支流1.5km付近から津波のあとを確認。

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県道64号北上津山線と国道398号線の合流地点手前で木造住宅を調査。壊滅状態の住宅と残っている住宅の考察。

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手前の基礎にはアンカーボルトがない。土台ごと住宅が持って行かれていた。

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土台はアンカーボルトで緊結されているが、ホールダウン金物などの跡がない。土台上が全て流されている。奥に被害はあるが毅然と建っている住宅に着目。

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どんと水圧を受けた後、水は建物内部を貫通して奥に抜けたとみられる。この住宅が建っている地形的な理由に依るところが大きいと思われるが、水を通過させてしまうプランが功を奏したのではないか。

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加えて、天井まで水が達したあと、軒裏から水が抜けていると思われる。そのため、建物に大きな浮力が生じずに津波に耐えたと推測。

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また、建築基準法を遙かに上回る大きな筋交いががっちり津波に立ち向かったと推測。断面サイズは40×180。ホールダウンなどの金物は見あたらなかったが、骨太でしっかりとした躯体のうえ、外壁のサイディングがかなり効いていた模様。

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国道398号線下り。私立吉浜小学校を過ぎたあたりの集落。

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全て原型をとどめていない。

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電柱が根本から折り曲げられている。

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アンカーボルトで緊結されている土台もむしり取られている。

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築年数は浅そうだ。ホールダウンなどの金物もほとんど効いていない。地震よりも津波の破壊力を見せつけられる。

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原形をとどめたままひっくりかえっている。山からの引き波の仕業と推測。

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山には20M近く波がはい上がった形跡がある。

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持っていったプリキュアの折り紙ケースをお供え。思わず、「なんでなんだ。どうしてなんだ。」と声を出してむせんでしまった。

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国道398号線沿い白浜地区。

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残っている住宅と流されてしまった住宅を調査。

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2011.05.11現在。警視庁による捜索が行われていた。品川ナンバー。ご苦労様です。

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津波に耐えた住宅が散見される。何故、残れたのか。

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どうやら、残っているのは同じビルダーによるものと判明。

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ここでも、水をやり過ごす「水貫通型プラン」が功を奏しているのか。

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軒裏が破れ、水を逃がしたために、大きな浮力が働かなかったと推測。

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残っている建物を建築したビルダーは近くの地元ビルダーとわかった。透湿防水シートに会社名と電話番号が。
この近所に住む方で知りたい方はコメントください。お知らせします。デザインは別にして良い仕事しています。

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国道398号線。北上町十三浜付近。

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時計が、15:27で止まっていた。

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南三陸町内。さかなのみうら。きれいに木造外壁が剥がれたために鉄骨躯体は毅然と建っていた。外壁がふんばってしまったら、鉄骨ごとへし曲げられていたかもしれない。津波の衝撃で簡単にやられてしまう外壁も大切か。加えて、大きな物体がぶつからなかったために躯体に損傷が少ないのだと感じた。

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鉄骨造はほとんどがへし曲げられていた。

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夕刻一路栗原市へ。最大震度7を記録した日本で一番揺れた町へ向かう。伝統的な建築もほとんど無傷。日本で一番揺れた町とは思えない。

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一番多く目にしたのは、温水器(エコキュートも)が倒れかけている光景。しかし、建物にはほとんど被害はない。

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基礎をしっかり作っている温水器は倒れていない。

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組積造も大丈夫。

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唯一、地震の被害らしい建物。現在の耐震基準から大きくはずれていると思われる既存不的確建築物。しかし、私が走って調査した限り、この程度が最大の地震被害。津波さえなければ、大事に至らなかったであろう。

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日本一揺れた町の地震による被害は予想外のものだった。不思議なやるせなさを感じ東北道に向かった。「津波さえこなければ」「原発事故さえ起こらなければ」


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写真はことわりもなく撮らせていただきました。しかし、とても良い経験をさせていただきました。関係者の皆様、ご冥福をお祈りいたします。



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