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●2011.05.09(月)

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午前中、最後の支援物資を引き取りに品川の日本○イントへ行く。前回引き取り時、軽バンに積み込めなかった働く道具たちを積み込む。行くともう少し持っていってもらいたいものがあるという。爪切りセットとタオル。その爪切りセットを見るとすこぶる良い。3ダースほど。思わずひとつ自分用にしようとすると同行した相棒が「喝!」(笑)。自分が欲しいものをお渡しするのが良いプレゼントだなあと。
その足で、徳島の三陸ワカメ支援チームと東京海洋大学でのミーティングに向かう。徳島チームとは、13:30に大学の正門前で待ち合わせる。ワカメの種プロジェクトで偶然たぐり寄せた赤い糸のGさんと初顔合わせ。東京海洋大学の産学・地域連携推進機構のN准教授とは14:00待ち合わせなのでしばらく意見交換。徳島チームは、Gさん、Hさんと築地の問屋さんの3人。こちらは私と相棒の鈴木と今夜から南三陸へ同行する建築家敷浪一哉さんの3人。徳島の水産加工業者のGさんは、数年前徳島の水産業、特にワカメを活性化するために宮城県の南三陸町に表敬訪問&研修に行ったらしい。その時に後継者問題も含めて、その漁業に取り組む体制にいたく感銘を受け、「さすが日本一のワカメ産地だけのことはある。徳島も負けていられない!」と闘志を燃やしたのだと。それで今回の震災で壊滅的な被害を受けた南三陸町にもう一度立ち直ってもらい立ち直った末で、徳島が真っ向勝負をしたいという思いからワカメの種を支援したいというエネルギーが沸いているのだという。それも、南三陸町直系DNAを持つワカメの種を徳島鳴門のGさんチームが所有しているらしい。その種を徳島で育てるのではなくて、やはり南三陸の海で増やしていった方が復興が早いのではないかと。加えて、一カ所にどん!とその直系ワカメの種を渡すのではなくて、少量ずつでも、いろんな漁師の方にお渡しした方が、広く生き残る可能性があるのではないかというのがGさんの持論でした。

いよいよ東京海洋大学の産学・地域連携推進機構のN准教授とミーティング開始。三陸地方の漁業復興は「ワカメ1年。カキ3年」だという。やはり速効性のあるワカメから手当てした方が有効かと。そのためには今の時期にワカメの種を培養し、なんとか現地の海洋調査を行い今年の秋から養殖を開始するのが肝心だという。縁結び主体の建築畑佐山チームはふんふんはんはんと聞いていた。濃厚なミーテイングが終了し、駐車場に戻ると「里娘を持っていけ」とGさん。このサツマイモは特別にうまいよ!1年は常温で持つので是非南三陸に持っていってくれ!というので2箱トラックに積み込みお礼を言って品川を出発したのでした。


●2011.05.10(火)

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前日は南三陸町近隣もさることながら仙台市内の宿泊施設は満室だったので、バブル時代ぶりのカプセルホテル泊。夜中に未知の宮城入りだったのでテントを張る場所も見当がつかなかったのでやむなく。今回の北行き目的は、ワカメの種プロジェクトで働く道具支援と本業建築調査だったのでまずは、早朝仙台メディアテークの被災状況調査。仙台市内全般に言えることだが、地震で倒壊している建物はほとんど無い。メディアテークもほぼ311以前と同じに見えた。

20110525-01.jpgこの日の予定は、「仙台メディアテーク」→「南三陸町。トイレのドア復旧」→「南三陸町。ベイサイドアリーナで働く道具をお渡しする」→「カフェGで昼飯」→「南三陸町。自然の家マイルドセブンエキストラライトワンカートン手渡し」→「被災建築調査」だった。仙台を出て三陸自動車道を走っていると携帯が鳴る。出るとトイレのドア支援を求めていた方から。叔父が急に亡くなりお昼から葬式が執り行われることになったという。急遽トイレのドア復旧は最後に予定とすることに。ルートは逆転し、自然の家から。竣工間際の仮設住宅に到着するとイケアの青い袋がずら〜っと並び外人が食器を袋詰めしている最中。イケアからの直接支援らしい。名古屋ナンバーのトラック。ワンカートンを手渡ししたい方を探して歩く。が、おられなかったので電話。そこには居ないがすぐに行けるというので待つ。実は、ツイッターで彼の息子さんが親父のたばこはマイルドセブンエキストラライトで手に入らないと言っているというのを見てしまい、4個だけ郵送していたことがあった。4月は葉山でも普通のたばこは手に入らなかった。そんな中4個見付けたときに思わず買ってしまい送ったのだ。気持ちはわかりますからね。そうしているうちにワンカートン買うことが出来たので思わずゲット。それをお渡ししたかったのだ。しばらくしてお会いできた。話を聞くと塗装業が本業で、簡単なリフォームはご自身でやられるという。それならば、働く道具を是非使ってもらえませんかというと喜んでいただけた。絶対もらい手はないと思っていた「モルタル注入器」を見付けて「モルタル注入器ですか?」と。いやはや私的にはこれが一番うれしかった。絶対売れ残ると思っていたから。神奈川から持っていった新聞も「神奈川でも皆さんのこと応援しています!」というとどれどれと早速開いてくれてほっと。そして、徳島の里娘は軽バンの右下にしっかりとおさまったのでした。


20110525-03.jpg予定していたカフェGで昼飯。今となっては店主のカラーが出ている居心地良い喫茶店というのは神奈川ではほぼ皆無。事前にツイッターで見ていたので是非行きたいと思っていた。それを見込んでいたので被災地入り基本の自分の飯は自給という鉄則をはずしてしまっていた。食えなかったらどうしようと思いながらいくとカレーとパスタ&珈琲があったので一安心。マスターも被災されていて、その高台にある街道沿いの店に籠城しているのだという。うまいカレーと珈琲でいやされる。恋する珈琲神社

20110525-09.jpg20110525-003.jpgいよいよ南三陸町志津川に向かう。テレビで見た光景が目の前に広がる。311以降何度も映像では見てきた。迷わずにベイサイドアリーナへ到着。いよいよワカメの種プロジェクトのKさんに働く道具を使っていたくためにおあいするのだ。Kさんは、このワカメの種プロジェクトのブログにコメントを書き込んでくれた南三陸町出身の娘さんのお父様なのだ。このブログにコメントいただいたことがきっかけで直接お父様にお会いできる事に。お会いして「働く道具を使っていただけますでしょうか?」とお話しすると「どうして、あったこともない人たちがこんなにしてくれるんだろ...」と目頭をおさえてしまいました。「私は神奈川県葉山に住んでいるのですが、葉山のワカメはどうやら結局宮城から種を購入しているらしく、宮城のワカメがダメになったら葉山のワカメも今後どうなるかわからないらしいのです。ですから、明日は我が身という思いでここまでやってきました。」というと、快くほんとに気持ちよく働く道具を受け取ってもらえました。それにしても、軽トラックについていた漁協の旗はとてもかわいくてファンキーでした。一目でわかるとても良いデザイン!このお父さんにもしっかりと「なると金時里娘」を一箱受け取ってもらいました。

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最後に「トイレのドア復旧」に行きました。ベイサイドアリーナから10分ほど。この北行きを決行する直前、ふんばろう東日本支援プロジェクトの後方支援している相棒が「トイレのドアって...」と言ってきたのがきっかけで、ならば行って応急処置してこようということに。これも不思議なご縁でした。復旧した当日はさくっと復旧して娘さんのご家族とはお別れしましたが、後日娘さんからのメールで近隣の漁協にお勤めされている事がわかりました。「実家でも父が体を壊すまでは、若布の養殖をしておりました。小さい頃は若布を干すの手伝ったりしたものです。震災前の志津川湾は若布の養殖イカダでいっぱいでした。志津川の若布を取り戻す力になっていただいているなんて驚きでした。ありがとうございます。」というメールをいただきました。人の縁とはどこでどうつながるかわからないものです。私が、2011.04.13にツイッターを見て葉山漁協に走ったことがこんなご縁にまでつながるとは思っていませんでした。


いろいろなご縁に感謝です。皆様ありがとうございました。



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