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東日本大震災以降、私は建築について多くをコメントしてこなかった。5月初旬にはじめて被災地を訪問し無力感に満たされてしまったからだ。私が行った北の街々では、津波に遭遇した木造住宅は壊滅的にやられていたが、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の大きな建物もひっくり返ったり、裸にされたりしていた。今、建築デザインに携わるものとして何を見据えて設計していかなければならないのかをあらためて考えている。ここ20年くらい地球温暖化が進むなか、地球にローインパクトな建築を計画の工夫でできないものかと模索しきた。その大きな方針は変わらないが、それだけではダメだと感じているのだ。

防災から減災へと旗は大きく振られている。具体的にはどうしていくのか。葉山でも津波の想定ラインを大きく引き上げた。そのラインより海側にも多くの人が住んでいる。これからもそこに新しく住まいを構える人が多くでるだろう。そんな時に具体的に打っておく手だてはどんな方法があるのか。また、福島の原発事故で葉山にも多くの放射性物質が降り注いだ。津波の減災対策は海沿いだけの地域限定対策だが、放射性物質による低線量被爆をどう減災するかというのは、どこに住んでいようが関係なく日本全国が対象地域になる。深刻なのは外部被爆よりも内部被爆ではあるが、建築材料の吟味、計画の工夫で外部被爆を減災する方法はあるだろう。すでにコンクリートの材料である汚泥から放射性物質が検出されている。山々の木々に降り注いだ放射性物質を木々達が体内に吸い上げているのではないかと私は心配している。その辺の事情にアンテナを張っていないと、シックハウスの時と同様に設計者が知らずして加害者側になってしまう恐れがある。そんなことはあってはならない。

2011年は大震災によって原発の安全神話がみごとに崩れてしまった。それからの国の対応、マスコミの報道を見る限り、国民第一、人命優先とは思えず、大変な国に住んでいるんだと実感させられている。自分の身、家族、そして守らなければならない人の命は、自ら守る覚悟でないと生きていけない国なのだと教えられている。
2012年は「We have to think about a fallout shelter」(低線量被爆から身を守るデザインを考える)を理念に暗中模索していく。


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2011.05.10 宮城県本吉郡南三陸町志津川にて 佐山撮影

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