目の奥に広がるイメージと遊ぶのが好きだった。
1976年夏、高校一年生の学校帰りだった。
本屋で立ち読みしたポパイ創刊号が目の奥に焼き付いていた。
当時のポパイは今のやわなポパイと全く違っていた。
硬派なアメリカ若者文化の情報伝達紙だった。
スケボー、ピックアップトラック、アウトドアライフ。
いまでこそ、なんでもない日本中に蔓延している文化だが、当時はまだ1ドル360円の時代でとても珍しかった。
アメリカからの情報自体にも360円/$くらいの価値があったような気がする。
とにかく、頭の中を西海岸の青い空と青い海でいっぱいにしながら自転車をこいでいた。
家についても興奮していた。
鞄を放り投げ、ベッドに倒れ込むとまた目の前に青い空と青い海が広がった。
なぜかその自由な明るさが目の奥に焼き付いていた。
もっともっと知りたくなった。
一度興味を持つととことん追求してみたくなる癖がまたうずいていた。
ポパイ、メンズ・クラブ、ウッディライフ。
アメリカ風俗の情報を毎月毎月楽しみにしていた。
そんなアメリカ風俗で頭いっぱいにしながら毎日退屈な高校の授業をぼんやりと聞いていた。
それは、いつもとかわりばえのしないある日の5時間目の時だった。
突然、産休することになった現代国語の先生の替わりに別の先生がやってきた。
年は50才ぐらいに見えたが、とてもあか抜けていて、物わかりのよさそうな女の先生だった。
来ていきなり教科書をしまってくださいと言った。
なぜかわくわくした。
それまでのきゃんきゃんうるさい女教師に比べて、ほのかな色気を漂わせた知性あふれる熟女先生だったからなのか、教科書はいらないといったからなのかよく覚えていないが、思春期の私はとにかくワクワクしていた。
おもむろに熟女先生はスーツの右ポケットから単行本を取り出した。
富島健夫、佐藤愛子か、はたまた宇野鴻一郎か(そんなアホな)。
熟女先生はふっとひとつ小さなため息をついた。
そして「みなさん。これからある短編小説を読みます。」
ドキドキした。
「これから私が読む情景描写を銘々自分の頭の中でイメージしてください。好き勝手に想像して結構です。」
頭の中はもう十分膨らんでいた。
『空がぼんやりと紫色にあけてきた。男たちはそれぞれ焚き火を見つめながらコーヒーを飲んでいた。』
『女たちはベーコンと豆を炒め』
『その何気ないいつもの朝食が始まり、やがて空は紫色からブルーへと色を変えていった』
「これが、私の一番好きなジョン・スタインベックの書いた『朝食』という短編小説です。」と熟女先生。
膨らみきった頭の中の期待ははずれたものの、しっかりと頭の中は紫色からブルーに染まっていた。
なぜかとってもかっこよかった。
読み方が良かったのか、熟女先生が良かったのか、覚えていないが、朝焼けの中でカウボーイが焚き火を見つめながらコーヒーをすするシーンが目の奥に焼き付いた。
20年近くたち、私の思い入れも入ってしまい、実際の小説は内容的に違うかもしれない。
しかし、そのときはかっこよかったのである。
目の奥に広がるイメージをいつまでも大切にしておきたかった。
その熟女カウボーイ事件のあたりから、ポパイやメンズクラブなどではヘビービューティー・アイビーなるアメリカン・ファッションをさかんに取り上げ始めていた。
そのヘビアイは、それまでの都会的なアイビーとは違っていた。
自然の中で活きていくための必然的なファッションであると各紙は伝えていた。
赤黒のチェックのシャツは狩りに出かけて獲物と間違われないための必需品。
ダウンベストの後ろの少し垂れ下がっているのはキドニーウォーマーといって肝臓を冷やさないための必需デザイン。
バンダナは時として救急用の三角巾、とある時はコーヒーを入れるフィルターと万能七変化する必須アイテム。などなど。
焚き火の前での朝焼けのコーヒー・カウボーイがとても気に入っていた私はふーんと冷静さを装いながらもズズズッと一気に引き込まれていた。
そのころに創刊されていたウッディライフにログハウスなるへんてこりんな家が紹介されていた。
相変わらず、アメリカ情報を漁っていたとき目に飛び込んできた。
カナダの山奥で一人で木を切り倒して自分で作ってしまった家だそうだ。
アメリカでは自分の家ぐらいは一人でつくってしまうくらいでないと一人前の男ではない、らしい。
開拓時代から続いている一般常識ということだった。
また、かっこういいと思ってしまった。
今でこそログハウスなんて珍しくはないが今から20年前の話である。新鮮だった。
こんなことを将来の仕事にしていけたらいいなあと思いながら、また目の奥のイメージを楽しんでいた。
木こりになりたい。
自然の中で暮らしたい。
北海道生まれで、ものごころつくころまでほんとに山の中に住んでいたわたしだったが、真剣にそう考えていた。
そのときから大学は建築学科かなあとも考えるようになっていった。
つづく
追伸:
今現在、私が手掛けているプロジェクトの一つにログハウスの設計がある。
施主は、一度ログハウスを建てたことのある方で、メーカー主導の設計に満足できなかったということで「また建てたい!」と私のところへ話が舞い込んできた。
円高でもあり、アメリカから直接材料を輸入して本物を建てたいというこだわりのある方でもある。
その方の夢の実現のためにも私がひと肌もふた肌も脱ぐことになった。
実の所私の夢の実現でもあるのだ。
それではいざ行かん!と今年の9月に現地(シアトル)に出向き資材をチェックしてくる予定である。
予算的には、現在主要ログ・メーカーで建設されている工事費の70%程度で夢が実現できそうでまたわくわくしている。
思い続けているといつかはかなうらしい。
また、目の奥のイメージが限りなく広がっている。
夢は喰えば喰うほど大きくなっていく。
平成7年7月 中潮
あとがき
今の私の根元を流れる基本思想が、確定した実話である。
ポパイ、『朝食』、ヘビアイ、ログハウス。16歳の目に焼き付いて離れなかった。
今の私の設計思想の奥深いところをとうとうと流れている基本理念なのである。
たぶん死ぬまでひきずることになるだろう。
私は、それを望んでいる。
1999年4月28日
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