1993年10月、会社をやめた。
大学を卒業してちょうど10年経っていた。社会人1年生の5月病の時に悩んだときに決めた自分のレールに奇しくも合っていた。
会社員を終了し、自分の力で生きていくことがいよいよ始まった。

しかしながら、不安はいっぱいあった。しばらくは失業保険は入るけど、それが終わると定期収入の道は閉ざされるのだ。10年間もサラリーマンをやっていると定期収入がなくなることほど精神的に不安なものはない。いつ野垂れ死にするかわからないからである。
あ−不安だ、不安だ、と言っていてもしようがないので前に進むしかなかった。

会社に通勤する必要がなくなった日、まず八百屋に行って白菜を買った。
その年は、白菜のあたり年で「4個で100円」などで、やたら安く売っていた。
会社を辞める前、休日とかにその安さを見て知っていたので真っ先に買いに行った。

会社を辞め、自力で道を切り開いていくためには「うまい漬け物」ぐらいは自分で漬けられなければならないのだ、と思った。
とはいうものの、平日の午前中に30歳過ぎの男が、八百屋で買い物をしている姿を想像すると何か不思議な光景に見えるような気がした。
実際、変に見えたと思う。
しかし、世の中を強く生きていくためには、そんなことにかまっていられないのだ。
いっぱい白菜を抱えて帰ってきた。昆布と塩だけでうまく漬けることができた。

そして、秋の小春日和の午前中はとても気持ちが良かった。
会社に行って山積みになった仕事と格闘しているときには見えなかったおだやかで正しい市民生活、とはこんなものなのかとギンナンを拾いながらしみじみ感じ入ってしまった。
自分で漬けた白菜と串刺しにして焼いたギンナンを肴に秋の夜長を楽しんでいた。

おだやかで正しい市民生活.....。
人の波にもまれ、戦い合う企業戦士.....。
基本的に接点はないような気がした。
理解しあえないとも思った。

仮に企業戦士が家族と過ごす休日は、おだやかであっても“休日”という非日常の特別な一日なのである。
疲れをいやしたり、次の戦いに備えて鋭気を養ったりする休息日なのである。
彼らの基本は、あくまでも会社あるいは仕事中心の生活であり、休みの日だけのんびりしていても正しい市民生活とはいえないのだ。
しっかりとおだやかで正しい市民生活を営んでいるのは、子どもや老人、主婦といった生活者なのだ、としみじみ思ってしまった。

都市部と地方あるいは勤め人と自営業ではライフスタイルがかなり違うと思うが、多かれ少なかれその構図は変わらないであろう。
私は、学生時代から接してきた「建築を創る」という分野で社会貢献していきたいと考えていた。
社会貢献とは何なのか。
誰に対しての貢献なのか。
正しい市民生活を送っている人に対してなのか、しのぎを削っている企業戦士に対してなのか。
答えは誰に対してでもなかった。相手を選ばず、建築家の良心でひろく応えることだった。

そうであるならば、まず正しい市民生活をしっかりと体得する必要があると信じた。
私にとって、白菜を漬けることは、建築家としての小さな必要条件だった。

普通の視点で普通に見つめる。
これがなかなか難しい。
属しているコミュニティに染まりすぎると、よそから見たらおかしいことでもおかしなことではなくなってしまう。
この間、どこかの国で前科者が大臣になってしまったことなんかが良い例である。
普通のことを普通にとらえることがほんとに難しくなっているのである。


会社を辞めて普通の正しい市民生活(実は世間的には失業者なのだが...)を始めて1カ月もするとそろそろしっかりと今後の具体的な行動計画を立てなければならなかった。
正しい市民は、のんびりと生活しているだけではなく、しっかりと仕事もしていかなければならないのだ。 
ということもあり、それまでお世話になった方々に挨拶状を書いた。
それまでのお礼と、これからの自分の方針を伝えるために推敲を重ね文章を書いた。

「これからは、グラム100円以下の豚小間を探す生活者の視点に立って建築設計を切磋琢磨していく所存でございます。」
反応は様々だった。

「おたくには変わった人が居たんだね〜」という話が、得意先から前の会社の部下にあったり、「あなたの会社におもしろい人が居たのね、今度家に連れてきなさいよ!」とか、いろいろだった。
私は普通に正しい市民生活を送る人々の気持ちを理解しながら建築設計をしていきたい、という素直な気持ちを表現したかっただけなのだが、そのこと自体が変わりものに映ったのだろうか。
なんともいえない反応だった。
 
たいがいの人は、新年を迎えるときに年度の目標をたてるものである。
独立起業にあたっては、正月以上に目標を建てる必要があると思う。
夢と目標は違うものであるが、できるだけ大きい方がいいだろう。
常に思い続けていることは、いつか実現するものだからだ。
逆に、目標は長く常に思い続けられるものの方が良いとも言えるだろう。

とにかく自分が思い描いていることをしっかりと見据えることが大切だろう。
それも漠然とではなく、より具体的に頭の中にイメージする方がよい。
そうすることによって、自分が今何をしなければならないのかおのずと見えてくるからだ。
それでよく見えてきたら、一つ一つ具体的につぶしていけば良いのだ。
簡単なことである。(そうは言うものの実はとても難しい。´へ`;...)
私の場合は、白菜を漬けながら楽観的にどんどんイメージを膨らませていった。


essey15_4.gif〜ある小春日和の朝、いつものように私が所長を務める設計事務所まで、軽く散歩をかねて近所の人と挨拶を交わしながら歩いていくと、一人の見知らぬ人が事務所の前に立っていた。訳を聞くと私の評判を聞いて住宅の設計を依頼したいという。さあどうぞと事務所の中へ招き入れてお話を聞いた。うまく共同で夢の実現ができそうなので依頼を引き受けることにする。


essey15_1.gifその年の冬、木枯らしの吹き荒れる夕方、車で事務所に乗り付けると出迎えの新入社員があわてて中から飛び出してきた。事務所に入ると、中で3人の見知らぬ紳士が私を待っていた。こまっている新入社員によると、所長は夕方まで戻りません、と言っても待たしてもらうと言って聞かないとのこと。みんなバラバラにやってきたのだが、だれも帰ろうとしないらしい。詳しく話を聞くとひとりは、自分の会社の新社屋の設計を私に依頼したいとのこと。別の方は、今やっているホテルが順調なので、新規にもう一つホテルを創りたく、私に土地取得のところから手伝ってほしいとのこと。もうひとりは、とにかくいつでも良いから自分の家を設計してほしいとのこと。それぞれの事情を聞き、スケジュールを立ててこちらから連絡することにした。


essey15_2.gif年が明けて春を迎え、いよいよ忙しくなりヘリコプターで現場から現場を飛び回っていた。次の打ち合わせの時間が迫っていたので、引っ越したばかりの新社屋に進路を向けた。すると会社の廻りに、何やらかすかに行列が見える。携帯電話で社員に事情を聞くと百人近い人が私の帰りを待っているという.....〜


essey15_3.gif


私に妄想癖はない。
ただし、前しか見ない癖はあるかもしれない。
いつも心掛けているのは、「目標は大きく、やることは地道に」ということ。

独立起業して四年目を迎えるが、今でも私に設計を依頼したいというお客様が行列をなして待っていてほしいという思いはつきない。
私の設計した空間にどっぷりと浸かってみたいという依頼主のおかげで100年先までスケジュールがいっぱい、というようなことにならないかと真剣に考えている。
なかなかそう思うようにはならないが、その思いを忘れずに、今できることを地道に精いっぱい、やりきることに専念している。


会社を辞めること、白菜を漬けること、目標を具体的にイメージすること、そして独立起業することは、さほど難しくはなかった。
簡単だった。
ほんとに独立起業することは簡単なのだ。
明確な目標を持ち、ある程度のお金とちょっとした勇気と大いなる小心があれば誰でもできる。
大いなる小心とは、大胆な行動に出るための細かい読みとでもいうか、細心の注意、心配りである。
お金と勇気だけではダメで、いつも先々に細心の注意と読みを効かせて大胆に行動する事が必要条件だと思う。
 
このエッセイも15回を迎え、この回で最終回となった。
最初は、続けられるかどうかとても不安だった。
とても不安だったから、何を書こうか真剣に考えた。
私は、あまり本を読まない理工系の人間だったので、書くことは不得意な分野だった。
しかし、たまに読む本で強く引きつけられていくのは、書き手の人間性なり、歩いてきた歴史が、生々しくリアルに表現されているものだった。
そして、私もそれでいこうと決めた。
何も肩ひじ張らず、私の歩いてきた道のりを偽りなく書き留めていけばいいのだと思った。
それで気が楽になり、大胆にも15回までやってしまった。

編集長からいつぐらいまで続けますかと聞かれ「止めろといわれるまでやりますよ」と言いつつ、内心「次は何を書こうか、また締め切りがくるなあ。やだやだ。」と思いながらここまできてしまった。
「目標は大きく、やることは地道に。」今後もそんな感じでやっていこうと思う。
そうしたら、いつかは100年先までスケジュールがいっぱいになるかもしれない。
やっぱり、俺って前しか見えない愚か者なのかなあ。

というわけで、この「風に吹かれて」は、今回を持って終了することになりました。
いままで、私のくだらない文章を少しでも読んで頂いた方々には、心から感謝いたします。
また、いつも締め切りを破られて苦労していた、古くは茅原君、今は三澤君そして野崎君にも心から感謝いたします。

このエッセイを書いていて、読んでいる人なんかいるんだろうか?きっと誰も読んでいないんだろうなあと思いつつ書いてきました。
現編集長の三澤君によると「広島の新鋭税理士の方が、いつも読んでくれているそうですよ。」と言ってくれました。
少し、救われた思いがしました。
「風に吹かれて」は今回で終わりになりますが、もし、私のつたない文章にご意見ご指導、あるいは楽観的な私の生き方に文句がある方は、ファックス、お便り、をお寄せください。
心からお待ちしております。
今後の生きる道しるべにしていきたいと思います。

本当に長い間、ありがとうございました。

おわり。  平成9年10月3日 大潮   

あとがき

独立当初、人生の大先輩である工務店の社長から「5年間、飲まず食わずでやっていければ、そのあとはなんとかやっていけるよ。」と言われた。
その当時は、意味が分からなかった。
法人にして、7期目を終わろうとしている今、そういうことだったのかと思い当たる節がある。
独立当初は、ご祝儀設計依頼がいくつかあった。
佐山の設計に魅力を感じての依頼ではなくて、知り合いに設計屋さんがいるからという理由での依頼である。
理由はどうあれ、設計依頼は嬉しいモノである。
飲まず食わずでやっているときである、なりふり構わず真剣に取り組んだ。

「葉山。木・風・犬猫の家」(自邸)を完成させてからであろうか、佐山キャラクターが確立したのは。
それまでも、木だらけの家、屋根に土を載せる家、薪ストーブをおく家は、いくつか完成させてきた。
しかし、自邸を完成させることにより、その集大成をつくりあげることができたのである。
このころから、佐山キャラクターに設計依頼してくるお客様が増えだしたのである。
奇しくもそれは5年目末から6年目にかけてであった。
地道に精一杯やってきた、たまものであると信じている。

今でも飲まず食わずは変わらないが、信じる方向性は間違っていなかったので、波長が合うお施主様とは、とことんいいものを造り上げていきたいと思っている。
お陰様で、「葉山。木・風・犬猫の家」(自邸)は、様々なメディア(※)にも取り上げられ、多くのかたから評価をいただいている。
このことに甘んじることなく、これからも白菜を漬けながら、地道に生きていこうと思っている。

長い間、くだらないエッセイにご静聴いただき、ありがとうございました。
今後とも、いろいろな場面で、よろしくお願いいたします。

平成12年10月30日 

※・1998年10月「住宅建築10月号」(建築資料研究社)
 ・1999年3月「健やかな庭〜日本の新しいガーデニング」(プレジデント社)
 ・2000年7月「プレイヤーズ〜湘南の隠れ家探し」(日本テレビ)
 ・2000年8月「ブルータス」(マガジンハウス社)
 ・2000年9月「ザ・ワイド〜お宅拝見」(日本テレビ)

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