クマコラム
19990930

『生きてゆくためのサイエンス』平野勝巳著9/5発売
発売に先立ち「読んで、私を知る手がかりにしてください」と送られてきた。
私はすまいの設計者として一時期平野氏にならなければならないのだ。
「サンタクロースっているのでしょうか」から始まり、平野氏のお父様が亡くなるまでの243ページを一気に読破した。

日本のサイエンス畑において第一線で活躍している方々のルポがベースとなっている。
「宇宙とは何か」「生命とは何か」「認識と何か」「世界とは何か」というテーマで、<私>が生きてゆくうえで科学にどんな意味があるのかという視点でつづられている。
第2章「生命とは何か」〜自己と他者が出会う場所(清水博)〜から。
サッカー選手は、次の瞬間のボールの行方を予測しながら動いている。
予測は当たりもすればはずれもする。選手の動きは多様で混沌とした状況の中にある。
ところが、パスボールが近くに飛んできた瞬間事態は一変する。混沌としていた選手の体の中の各生命的要素(関係子)が瞬間的に秩序を形成し、脚の神経をはじめとする体全体の神経が何らかの条件によって拘束され、ゴールにボールを蹴り込むという自己表現のために一斉に調和的な行動を起こす。
同じことが生命活動の瞬間瞬間に起こっている。
「生命にとってつねに一瞬先は闇、というのが生きるということの実態」次々に予測しないことが起こり、その変化する環境に即興的に対応しながら生命は生きている。
分かり易い例を挙げたのだが、科学者の専門領域を一般生活者でもわかるように宇宙〜いのちという難題についてちりばめられている
。読み終わって、わかったのは「宇宙や生命についてわかっていることは何もなく、誰かが考えた間違っているかもしれない理論を知らされていただけだ。」ということ。

著書を読むことで平野氏に近づけるかと思ったのだが、難しすぎてクマの頭は混沌としてしまった。
生きることの意味を知りたい人がいたら読んでみてください。よけいわからなくなることでしょう。

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B00008BDD5生きてゆくためのサイエンス―生命論パラダイムの現在
平野 勝巳
人文書院
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