クマコラム
20000111

ハッピィ・マンディ!ずっとベックと一緒だった。

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〜仕事があるから、あまり遊べないな〜、と思いつつ、新しい事務所の打ち合わせテーブルに柿渋を塗りたくなって、かねてから欲しかったサンダーを買いに行った。
そして、年初に湯川れい子さんに教わった「ベック」も買いに行った。
昼は、リンガーハットでとんこつみそチャンポンをたべた。
その店は、横浜港南台にある普通の店なのだが、混んでいた。なぜだろうかと考えた。
知らない店に冒険するよりも、おぼろげながらにでも知っている店にみなは行くのだろうか。
くしくもクマも同じだと思い、チャンポンと餃子を食べた。
やっぱりもう来ないと思うクマであった。

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新しい事務所の打ち合わせテーブルは、玄関先にあるのだ。
古くなって、ゲル化した柿渋を煮詰めると元に戻ると京都のトミヤマの吉村社長に聞いたことを思い出した。テーブルをサンダー掛けして、ちょいと柿渋を塗るだけにしようと思っていたのだが、ついつい「そうそう、ゲロゲロになった柿渋もあるよな」と思いたってしまった。
思い立ったが吉日。
バーナーとその他もろもろの道具を用意して「ゲル化柿渋、普通の柿渋へ」大作戦を敢行してしまった。
小一時間ほどバーナーで煮詰めていくうちに、ゲルもテーブルもすっかりいい具合になっていった。
そうなると勢いもいい加減になって、ついでに玄関ドアも柿渋を塗っていったのだった。
2年ブリだった。新築時に一回塗ったきりだ。
これでよしよしと思っていると腹が空いてきて、いつもの松喜庵へ行った。
帰ってくるとこれが、ウソのように仕事がはかどる。
はかどるのだ。玄関をきれいにしたからだろうか。
昨日買った「ベック」を聞きながら、仕事をしたからなのだろうか。
刺激されると同時に、耳についてはなれない。
肩肘張った感じがしない、ベックは。
湯川れい子さんによると彼のおじいさんは小野ヨーコなどの前衛音楽家の仲間なのだそうだ。
心地よい、未知の世界へ運ばれていきながら、仕事も柿渋も時の流れるままにすぎていくのだった。

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ちょいと聞くといつの音楽家わからない。
60年代?70年代?80年代?
1980年代は、*$#@++&だと湯川さんはいっていた。
1990年代は、ベックだといっていた。

あっ、おもいだした、1980年代は、プリンスなのだそうだ。
プリンスって?あのちょび髭をはやした白っぽい黒い人?
みんな、さいのうあるんだ〜。
ベックの曲でも〜チャッチャラチャカラカ、チャッチャラチャッチャッチャ〜〜ってのがあった。
新しいっていうのはあれか、と感心してしまった。
プリンス的でもあるのだ。一曲だけ。

二日間、ずっとベックを聞きながら仕事をしてきて、新しいことって何なのかを思い知らされたような気がする。
「まず、自分からやってみて、それを越えること」
やらずにして、批判はできない。
やってみて、それを越える。
やってみて、まずいところを知る。
先人の試行錯誤を学び、体験し、自分のものにすることか。

温故知新をベックから知った、ハッピー・マンデーだった。

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