●2000.03.21

平野さんと請負業者の内定は済んでいたのだが、肝心の工事金額の確定にはほど遠かった。
午後から、Y建設工業と打ち合わせを行った。

代理人としての私の意見を素直にお話しした。
単価を比べたときに、ほとんど競合相手と同じなので、すべて、同じにできるのであれば、Yさんと仕事をしたいと伝えた。
そして、金額もさることながら、気持ちの入った、神の宿るすまいをつくりたい!それに応えてくれますか?とにじり寄ると、是非とも応えさせていただきたい!と快い返事が返ってきた。
そして、「佐山さんごのみの大工を用意してあります!きっ!!!」といわれて、ぐらっとしてしまった。

なんだか、今日は、平野さん(ここで明らかにするが、Y建設工業の担当者も施主と同じ平野さんで、施主の平野さんは少しばかりの縁を感じていた。)は、落ち着きがなく、打ち合わせもそぞろに会社へ帰ってしまった。
実施見積もりの打ち合わせは、次回となり、戦いの火蓋は切って落とされたのだが、天王山は次週持ち越しとなった。

しかし、「桃太郎の2番目の助っ人、おさるさま」が、かくして決まっていった。

●2000.03.22

今日から、月末まで、私は、関西、中国、四国、九州と永遠と巡業することになっていた。
実施図面を完成させなければならない。
コスト調整の嵐とそれに見合った図面の完成。

出張しながら、遠隔操作で、図面を完遂させる。
このために、先週からモバイラーになった。
出張先のホテルで、メールに添付されてきた図面をチェックしながら、訂正個所を返送する。
えんえんとその繰り返しだった。

しかし、便利な世の中になったもんだ。
ファックスでのやりとりだと、放浪している私のもとに、宿が決まらないと送れない。
しかし、メールであれば、こっちの都合関係なく、また向こうの都合関係なく送っておくことができるのだ。

そうそう、いつからだっただろうか、平野さんともファックスのやりとりから、メールでのコミュニケーションに切り替わっていた。
口に出して言いにくいことでも、お互いに心の交流ができるのは、電子メールのいいところかもしれない。

延々と、悶々と、旅先から実施設計図書に、あかを入れる作業が続いていた。

●2000.03.30

遠隔操作で、書き上げた実施図面をもとにY建設工業の平野さんと打ち合わせを行った。(以降Y平野とする)
午後1時から始まった。

今日は、時間をたっぷりととっておいてくださいと伝えてあった。
打ち合わせは、さわやかに永遠と続いた。

私の主義としては、コストを落としていくときに、業者さんにとって、理不尽なやり方はしたくないと思っている。
理詰めで、公平に、見積書と図面をできるだけリンクするようにしていく。
図面を見ただけではわからない、見積もる側の勘違い、図面を書いた方の私でも、図面では表せない微妙な表現などを業者さんとひとつひとつ確認しながら、洗い出していくのだ。
その際に、もっとも大切なことは、お互いにフェアに向き合うことなのである。
何に向かって向き合うかというと、本プロジェクトの総元締めである平野さんという施主の利益確保に向かって、設計者と工事業者が向き合うことなのである。

施主=設計者(代理人)=工事業者。
これは、完全な、三角関係でなければならない。
施主=設計者(代理人)=工事業者=施主=設計者・・・・という三角関係。
だれが、誰かと戦うといった関係ではないのだ。
三者が手を取り、支え合い、進めていかなければならない、大プロジェクトなのだ。

永遠とやって、少しだけ、光が見えてきたようだ。
しばらく、私は、また別のプロジェクトに翻弄されるので、4/7の地鎮祭までに実施見積もりをよろしくと伝えて本日の打ち合わせは、終了した。

午後9時頃だったか・・・

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