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昭和12年3月13日、報知新聞に掲載の「吉田五十八の言葉」 「いったい日本の建築というものは、日本人の国民性やら気候、風土、生活の様式やらその他到底限られた言葉などでは表現しきれない複雑なあらゆる条件に従って、二千年、三千年の経験が次第に発達させてきた技術、様式なんだ。それが近年いかに新しい文明を取り入れて、従って新しい建築の手法が紹介されたからと言いって、直ぐ気候も風土も住む人の気質も違う日本に向くかどうか、大いに疑問ではあるまいか。大いに研究する必要はあろうが、ともかく日本の建築が三千年の経験の所産ならば、研究するといったって所詮徹底的にできるかどうかは疑問だ。」 「一例をあげるならば、近年の新しい建築には塗料を施したものがはなはだ少なくない。ところが、日本にもうるしがあり丹がありその他いくらも固有の塗料がありながら、三千年来白木の家に住んでいる。もし、塗料を施した家が近年の生活にふさわしそうだと思うならば、この事実をもういっぺん慎重に検討してみるのが本当であるまいか。」 『建築家、吉田五十八』砂川幸雄著より


葉山をふらっと歩くと熟成した建物に出会う。
茅葺き屋根の民家などにもお目にかかる。
葉山は歴史がいまだに健在の町のようだ。


吉田五十八の設計した「山口逢春画伯」のアトリエが我が家から散歩の圏内で現存している。今は記念館となって保存されている。すこし、葉山のことを見つめてみようと思い、記念館を訪れると休館日だった。仕方なくふらふら帰路につくと綺麗に手入れされた葉山らしい落ち着いた家があった。おそらく建築家によって設計されたであろうその家は歴史をきざんで家人によって丁寧に住みこなされている様子がひしひしと伝わってきた。


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葉山にはペンキで木部を保護している建物が多い。その昔、進駐軍が葉山近辺の家を米軍住宅にするために民家を全部白ペンキで塗りたくってしまった歴史があるらしい。大工がつくった日本家屋、戦前の文化住宅、アントニン・レーモンドなどによる別荘住宅。全て白ペンキで塗られたそうだ。
白ペンキの是非はともかくとして、ペンキによる木材保護は伝統的な手法として葉山に定着しているようだ。欧米で見られるように、ペンキの上にペンキを塗り、下地なんかがわからなくなるまで塗りたくり、下地がいかれても塗膜材の強度で持っているような歴史を部材に与えられれば立派なものである。
ヨーロッパなどで見る歴史を感じるペンキコーティングは、頼もしくさえもある。


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葉山も雑多な理由の開発の波で、旧家だけではなく、新築の家並みも多く林立している。様々な色でペンキ化粧された建て売り住宅群を見るとこれが葉山の最先端の歴史のはじまりかと思うと少々気が重くなる。50年、百年と住みこなしていってくれるのであれば、ペンキの塗り重ねが歴史を創ってくれるであろうが、そんな気配はまるで感じない。なぜならば、買い手の顔色を見て財布の底を見透かしたような、サンキュッパ住宅しか見られないからだ。


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住み手の変化には到底追従できない使い捨て住宅にしか見えない。買う方も使い捨て商品にそんなに高望みはしていないのだろう。そんな中で、右の写真のようなしっかり熟成、手入れされたすまいに出会うとほっとするのである。
注;通りすがりに撮影させてもらいましたことをお許しください。家主様。

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