現在山口逢春記念館として保存されている
神奈川県三浦郡葉山町一色
昭和29年
吉田五十八設計
吉田五十八氏は、近代数寄屋に挑戦し続けた建築家である。
大正から昭和初期、コンクリートや鉄骨を武器に近代建築真っ盛りの中、日本建築それも数寄屋と近代建築の可能性を探り続けた希な建築家である。
その彼が、日本画家である山口逢春のためにつくったアトリエの障子である。
一説によると「雪見障子」吉田五十八の考案らしい。
「雪見障子」は、障子の下の方が上にあがり、ガラスがはめ込まれたその部分から外を眺められるようにできている。
同じような仕組みの障子に「猫間障子」がある。
いろんな説があるが、猫間障子には、雪見のようなガラスがはめ込まれておらず、文字どおり猫が通るための工夫がされた障子らしい。
しかし、この吉田五十八のデザインした障子は「なに障子」というのだろうか。
普通の障子にくらべて、とても桟が細くちょいと乱暴に扱うとポキッとおれてしまいそうである。
そんな桟のなかに小さな障子が動くための溝がほられており、すべて小障子が両側に引けるようになっている。
おそるおそる引くとガラスがはめ込まれていた。
それにしても細くてきゃしゃな障子は大切に扱われていたのだろう。
おそらく昭和29年の竣工当時からそのまま使われていたのだと思う。
はまっていたガラスがゆらいでおり、桟も歴史を感じるいい感じに熟成されていたからだ。
そんなディテールを堪能しながら、ふと外に目をやると、これがまた「海がきれい」に見えるのである。
障子を開け放すことなく、小障子をあけて、海を眺めたかったのだろう。
そういえばと、外側の廊下に出てみるとかなりの温度差がある。
ガラス戸は、シングルガラスで引き違いなので、すき間だらけだ。
しかし、廊下の空気層がワンクッションあるだけで、障子の中の部屋はそこそこ暖かいのだ。
外の借景を生かすことには、命を懸ける私だが、さすがにこの障子を前に建築家「吉田五十八」の執念を感じた。
寒くなく、冬の海を見るための工夫がこらされた障子だ。
「たかが障子、されど障子」建築家の執念は奥深いのだ。
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