この一枚の絵をどう読むか。
見る人それぞれであろう。
単純なおもしろさもある。
単純な悲しさもある。
複雑な意志も感じられる。
葉山の混沌とした現状も感じられる。
見る人のその時の心象で様々なことを感じることができるだろう。
私は、歴史と未来の境界すなわち現状を正しく表現していると読んだ。
古いスタイルの郵便ポスト。
それを道路境界線を理由に覆い尽くそうとする鉄板。
誰が見ても、先にポストがあったのは理解できる。
先住民のポストとあとから張られた鉄板。
鉄板は、いかにもポストを食い尽くそうとしているのだが、時間の流れに対抗できなくなっている。
古い漁村的な人なつっこさを残す葉山。
都心に近くて、別荘文化=洋風文化の香りが漂う、田舎町。
ほんの10数年前までは、まさしくそんな街だっただろう。
いまはどうだろうか。
別荘文化=洋風文化の空気を演出していた企業の保養所がどんどん無くなり、細分化されておもちゃの家やマンションで占領されようとしている。
もっともチヤホヤされる現在的なデザインで覆われようとしている。
日本ではどこの街でも同じような状況が起こっていることは容易に想像できる。
それは、世界にも例がない巨大企業が庶民のすまいをつくっていることに起因するだろう。
その土地、その地域の気質や気候にあった建築と言うよりは、庶民の望みにすり寄った工業製品でスミカをつくっているからだ。
しかし、歴史と生活者の意識はそれらを淘汰していくだろう。
伝統的なモノや古いモノに興味があるわけではない。
それを賞賛するつもりも更々ない。
しかし、淘汰されるモノと生き残るモノは、歴史が整理してくれるのも事実であろう。
長い間、道ばたでたたずみ、いろいろな人々の思いをのみこんでいった古いポスト。
それを覆い尽くそうとする鉄板の方が、潮風にもてあそばれて先にくたびれようとしている。
最新技術と信じている工業製品や近代建築の姿と鉄板が重なって見えてくるのは私だけだろうか。
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