経済と環境は対立する。

//////中略//////

簡単な例で説明する。経済統計は要するに花見酒の経済なのである。八つぁんとクマさんが樽酒を二人で担いでいる。八つぁんが手持ちの十文をクマさんに渡して、酒を一杯飲ませろという。クマさんがいいよと言う。次にクマさんが、八つぁんからもらった十文を八つぁんに渡して、オレにも一杯飲ませろという。これを続けると、樽酒がいずれなくなる。経済統計はしかし、それでつじつまが合っている。収入と支出の釣り合いは、見事にとれているからである。自然と経済の関係は、これなのである。そんなことは、江戸時代の人だってよくわかっていたから落語になっているのである。

環境を問題にする人たちは、樽酒の量を問題にしている。だから、「自然が失われる」という。経済を問題にする人たちは、金のやりとりを問題にしている。環境を守れというと、経済はどうでもいいのかという反論が生じる。これは問題を取り違えているための誤解である。

お金は数字であり紙である。それが実体でないことは誰もが知っている。経済活動には、その意味で虚と実がある。花見酒でいうなら、十文のやりとりは嘘で、酒が減るのと、八とクマが酔っぱらうのが実である。極端に単純化するなら、経済とは十文のやりとりを指し、酒の減少とは資源のことであり、八とクマが酔っぱらうことは人が生きることである。つまりグローバル化した経済とは、地球規模の花見酒である。

「花見酒」が経済をよくあらわしているのは知っていたが、環境問題は樽に残っている酒の量だとは考えさせられた。人間が生きていくだけで、酒量が減ってやがて無くなってしまう。なんとかせねばと思う。


すべてわかろうとするな

単純化されたこたえは耳に入りやすいが、おそらく正解ではない。考えの単純化を続けていくと、社会全体としては、かならずどこかに穴があくはずである。ことに環境問題の場合、相手は自然である。つきあっていくには、地道な努力に加えて、予測がしばしば不可能であることを我慢する忍耐が求められる。わからないことをブランクのままにし、何割ぐらいかがわかれば、まあこんなことだろうと思って、とりあえずつきあう。そういう辛抱が必要になるのである。

昔の人が努力・辛抱・根性といったのは、このことであろう。昔の人は自然につきあう必要があったから、ひとりでにこうした性格をもつようになった。都会に住む若者が努力・辛抱・根性を嫌うのも、そう思えば当然である。身の回りに自然があるわけでなし、自然につきあうための性格など、べつに要求されはしない。頭の回転が速く、気が利いて、上手に言葉が扱える。都会で生きていくには、その方がはるかに重要だと、日々体験しているのである。これに加えて、シミュレーションの能力、つまり「ああすれば、こうなる」が十分にあるなら、都会人としては成功するはずである。


都会が肌に合わず、都会周辺、あるいは田舎を目指す人がいる。都会は虚の経済社会。田舎は自然相手の実社会。どうせ生きるなら実の社会で生きたいと思う人がいて当然だ。虚の社会ではいろんなことに折り合いをつけながらだましだまし生きていかなければなるまい。「エアコンは身体に悪い」けど、都会では仕方がない。逆になじんでしまったので、エアコン無しでは生きられない。しかし、どうしても身体がおかしくなり、都会を離れる人がいる。私もそのひとりだ。都合良く都会とつかず離れず。虚の都会の横にいて経済活動のおこぼれを実の社会で恩恵をこうむるのだ。

子どもの体調がおかしくなったから、エアコンの無い生活がしたいから。理由はいろいろだ。しかし、確実に身体が反応して、Uターン、Iターン、Jターンなのだろう。無意識ながら、人間の生身が不調を感じることで、樽酒の酒量が減っていることに抵抗しているのかもしれない。やっぱりエアコンに頼らない住まいを試行錯誤していきたい。それは、住まい手の健康もさることながら、実の社会を滅ぼさないためにも大切なことなのだ。


上記引用:いちばん大事なこと―養老教授の環境論(養老 孟司著)より

いちばん大事なこと―養老教授の環境論
いちばん大事なこと―養老教授の環境論養老 孟司

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