終点から秩父鉄道の秩父駅の方へ歩いていった。骨董屋をのぞいたり喫茶店に入ったりした。妻はどこでも喫茶店に入りたがる。地元の芸術家や文化人の溜まり場のようや雰囲気で、芸術家の苦手な私は居心地悪かった。知性や教養のない私はきおくれするからだ。秩父駅に着くと妻はすぐに大便をした。『秩父の鉱泉と札所』より抜粋(つげ義春 昭和61年8月)
人家に囲まれて景色はまことにつまらない。元湯旅館の方は改築してきれいだか、渓間屋(たにまや)はまったくの田舎宿。道から一段下がっているので、二階の窓を通して客間が見え、畳が傾いている。反対側の窓の方に回ると、沢をはさんで竹藪が宿に覆い被さり蜘蛛の巣だらけ。斜め向かいに墓場。やりきれないほど侘びしい。近くに飯山鉱泉、七沢鉱泉があるから、こんな侘びしいところに泊まるものはいないのではないか。しかし、暗くて惨めで貧乏たらしさに惹かれる私は、穴場を発見したようで嬉しくなった。退屈したときはここへ来て、太い溜息でもつくには格好の場所である。
『丹沢の鉱泉』より抜粋(つげ義春 昭和63年11月)
上記2編『つげ義春の温泉』(つげ義春)より
強烈な個性だ。彼の漫画に潜む独特の世界観は強烈なマイナス思考から生まれるのか。それともちょっとした個性を最大限に引き出し演出しているのか。とにかく、いけいけのポジティブシンキングではない。ふさぎ込むようなマイナス思考の露出を楽しんでいる。
ここ数日、住まいを構えるための土地探しあるいは土地購入に立ち会っている。同時に複数件動いておりなかなか興味深い。住まいはそれぞれどれひとつとして同じ住まいにならないのと同じで、選択条件、感じ方もみんなばらばら。理由もばらばら。それはそれでお付き合いさせてもらうととても楽しい。自分だったらどうするかと頭の中で試行錯誤させる。まるで自分のことのように。疑似体験させてもらっている。
私が事務所兼自宅にしている現在の土地は探し始めて3年ほどで巡り会った。それを長いとみるか短いとみるか。土地探しは『縁』だと感じている。結婚と同じ。25歳で結婚するのも35歳で結婚するのも当人にとっては関係ない。土地探しも同じだ。縁があれば土地の方からやってくる。焦っても仕方がない。しかし、そのチャンスを掴むには日頃自分はどんなところに住みたいのかということを決めておくことだろう。その理由はひとそれぞれ。家族それぞれだ。私は「海が見える、山のヨコ」を第一条件に据えた。その次に、両親と住むために山のヨコでも歩いて街に出られること。そんな条件はめったにない。めったになくとも縁を信じてアンテナをはっていた。上記の2点は満足するものの、他の条件はからっきしマイナス要因だった。山のヨコはいつ山崩れが起きるかわからない。車はまともに入らない。南に山がそびえ立ち冬は陽があたらない。斜面地に住まいを建てるには造成工事にお金がかかる。などなど。求めている条件以外はからっきしだめな土地だった。しかし、縁があった。瞬間的に運命的な出会いを感じた。理屈ではなかった。頭で考えていたらおそらく二の足を踏んでいたかもしれない。他人がなんと言おうと自分とそこに住む家族が良ければそれでいい。
昨日、クライアントになるかもしれない青年とはじめて会った。彼は自分の生まれた年に市から寄贈された樹が植えられている土地をずいぶん気に入っているという。お父様が30数年前に購入したその土地に住んだことはない。財テクのために購入したようだ。しかし、彼は気に入っている。話しているのを聞いているだけでひしひしとそれが伝わってくる。ゆるい北傾斜の土地。プラス要因もある。もちろんマイナス要因もある。しかし、彼にとってそんなことは全く関係ない。気に入っているのだ。縁があるのだ。
私としては、どの土地も一長一短あるように見える。マイナス面が気にならないほどプラス面を評価出来るのであれば縁があるということだろう。それは誰にもわからない。しかし、そのプラス面を最大限に引き出していけるようなプランの提案は私にかかっている。そのプレッシャーが楽しくて仕方ないのでこの仕事をしているのだ。つげ義春のように一般的にマイナスととられがちな個性をプラスとして評価する考え方もある。一般的な固定概念はとっぱらい、自分が求めるものをしっかり見極める方がその人にとって生きやすい生活を築くことができると思う。個性的で良いじゃないか。から、自分(家族)らしさ=個性的が当たり前なのだとやっと気づく時代になってきている予感がする。
つげ義春の温泉 | |
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