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『人間』

『どぶ』

『裸の島』

私はほとんど映画を見ない。たまたま、先週ケーブルテレビの日本映画専門チャンネルを観た。それが『人間』だった。強烈なインパクトが伝わってきた。とても印象的だった。次の日も、何気なくチェンネルをまわすと『どぶ』。これも強烈。人間ってなんなのだろうと考えさせられた。

どの作品も新藤兼人監督。彼に興味を持ったので図書館から『ながい二人の道ー乙羽信子とともに』をレンタル。強烈な映画2作を観てどこからその創作欲が出てくるのか知りたかった。戦前生まれの彼はたくましく生き残り、貧しくも映画への希望と野望を捨てなかったことが原動力のようだ。略歴は、新藤兼人-Wikipediaで知ることができる。希望は映画で人間や社会を変えることができること。野望はパトロンや大衆にこびずに信じてやれば報われること。明治45年生まれの彼はそのように現在まで生き抜いてきたようだ。感銘した。

『ながい二人の道ー乙羽信子とともに』を読みながら、『裸の島』を観た。その作品を創っている時の状況が回顧されていた。大手映画会社と縁を切り独立プロとして地をはうようにやりくりしてきてもう最後だと思いながら創った映画のようだ。セリフが全くない映像だけの勝負。経済的な理由が大きかったようだ。それがモスクワ国際映画祭でグランプリを獲る。それでそれまでの借金をすべて返済し、また映画を一本撮るくらいの余裕が出たそうだ。信じるものは救われるのことわざはまんざらでもないらしい。

この3本の映画は出演者が極端に少ない。延々と少ない人数で人間とは何かを訴えてくる。余計な装飾は一切無い。彼の脚本で別の監督が撮った映画を観た。豊富な予算がついているのだろう。批評の焦点がぼけていた。やはりギリギリの状態でなにもかもシンプルにそぎ落としたときに焦点が見えて来るのかもしれない。建築も映画も同じに感じる。希望と野望。予算と批評の焦点。大きく違うのは、建築は依頼されてはじめて形になるのに対し、映画は依頼者が無くとも、評価を恐れず制作できるということ。映画の方が厳しいようだ。スノッブなことに流されず、しっかりと地に足をつけて建築を創っていきたいと身が引き締まる。そのためにも、もう少し彼の監督作品を観てみたい。


ながい二人の道 乙羽信子とともに
ながい二人の道 乙羽信子とともに新藤 兼人


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