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5月3日にひょうたんを植えた。それでスピーカーをつくるためだ。それから3週間経った。今年の5月は日照時間が少ないせいか勢いよく育っていない。大きくなる前にパーゴラ(棚)を造ろうと思っていた。どのように造ろうかいろいろ考えたが、システムパイプで造ることにした。材料を買ってくれば即組み立てられるからだ。それもこれも、良い音でBGMをセッティングしたいから。自分らしい仕事環境を→自分らしいBGMを→自分らしいスピーカーを→良いひょうたんを(ここが飛躍してる)→良いひょうたんは自分の手で→大きなひょうたんはしっかりしたパーゴラから→最適サイズのパーゴラは自分で造る→...(肥料をやる)...→......。ひょうたんスピーカーが出来上がるのは来年の春か...。時間とプロセスを楽しむのだ。

早朝寝耳に、ラジオから「QOL(キューオーエル)」なる単語が聞こえてきた。ある名医(弘前大学の今さんとか言っていた)のインタビュー番組だ。即、「クオリティ・オブ・ライフか?」と頭が反応した。再放送なのだろう。聴いたことのある内容だった。その方は、患者さんの「生活の質」「生命の質」を保ち続けるようにすることが自分の使命だと言っていた。お腹の横に人工肛門をつけると普通の生活ができなくなる。温泉にも入れない。だから、括約筋が侵されていない患者さんはできるだけ人工肛門に頼らない努力をするそうだ。その道の第一人者らしい。お医者さんは病んでいる人を対象にするのでその精神的ストレスは我々には想像できないだろう。

私の仕事は、建設的な仕事。というかまさに建築の仕事。前向きに造るために知恵を絞るのが仕事だ。ラジオを聴きながら、私にとっての仕事上の「QOL(キューオーエル)」は、生活あるいは生命の質を「保つため」というよりは、「さらに発展してもらうための手助け」なのだろうと感じた。建て主が欲しいという空間を創るのはもちろんのこと、その人にあった発展型を察知し、予期せぬ「QOL」を提案していくことなのだ。と、もやもや思いながら二度寝した。

私にとっての生活の質を高めるアイテムのひとつに「時間を楽しむ」ことがある。音楽もしかり、植物を育てることもしかり、自分の手で造ることなどなど、すべてその過程(=時間)を楽しむことだ。結果も大切だが、その前後も楽しみたい。そういう視点では釣りも同じ。天気予報を読み、仕掛けを作り、作戦を立て、挑む。結果が良ければその後も美味しく楽しめる。ボーズでもしっかり時間を楽しめるのだ。そんな生活の質を高めるために我が家の空間をしつらえてある。遊ぶ余裕が生活(生命)の質を高めてくれる。もっともっと自らの「QOL」を極めていかないと依頼主に「QOL」の提案などできるわけがないのだ。


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