先日ブログに書いた先輩Tさんのお通夜に参列した。59歳。道半ばの不慮だ。ここのところ4年くらいご無沙汰していた。1年にわたる闘病の末旅立たれたらしい。ストレスからか、もともと胃弱だったのかわからないが胃薬をいつも飲んでいたように記憶している。昨年、食事がのどを通らなくなり病院に行くと、いきなり宣告されたらしい。胃ガン。事務所の仕事はもと同僚が元請けとして請負、病床でTさんが仕事をやっていたという。本当に最後まで「えんぴつ」を持って逝ってしまったようだ。合掌。

今日のお通夜は私がサラリーマン時代の先輩、Hさんご夫妻と一緒だった。Tさんと同じ、企画マンのHさん。Tさんと私を結びつけてくれた先輩でもある。とても残念がっていた。企画マンらしいHさん曰く、Tさんはまだ人生の20:00手前だったのだと。どういうことかというと、ざっくり年齢÷3が一日の時刻にみあうのだそうだ。59歳だとすると3で割って19.66時。夕食も終わり、ゆっくりと一日の疲れを癒す時刻。一日の余韻を楽しむこともなく、まだまだ寝るには早い時刻。だそうだ。ちなみに私は45歳。15:00。仕事真っ最中で、夕飯と夜の時間が待っている年齢らしい。なるほど。そうだとするとTさんはゆっくりとした夜の時間を楽しむこと無しに終わったということか。早いな。少し。(いや、かなり…)

今日は葬祭場でのお通夜だった。場所は世田谷。住宅街のどまんなか。まるで大きなホテルのような会場の敷地に入ると大きな駐車場があり、そこからお通夜を行う各ブース(という表現が似合うほどこぢんまりとしている)がすべて見渡せる。今日は6組くらいだっただろうか。大きく名前が書かれたブースに進み、記帳を済ませる。その後は、いる場所もなく入り口付近にたたずむ。仕事関係のかたが大勢やってきた。となりのブースでは親族だけかひっそり。30分ほど知り合いに挨拶などをしていると焼香。親族に挨拶し終わるとそこから離れた2階の席に案内される。ホテルのようなドライな空気の中で会食。ホテルと違うのはざわついていないことくらい。Tさんの話を中心に別れを惜しむが、本当に別れを惜しむのにふさわしい空間だったかというと疑問だ。Tさんが横たわる棺は入り口付近のブース。会食場所は2階のホテル奥。さっぱりとしていて線香臭さは全くない。しかし、別れを惜しむ空気感もない。別れを惜しむ建築としてはまるで考慮されていないと感じた。せめて棺が見える場所で会食したほうが良いだろう。そして、敷地入り口の玄関前のブースではなく、しっとりと奥まった場所でお別れをする方が良いだろう。淡々とスムースにことを進めていくには良いのだろうが、お別れと鎮魂の空間ではなかった。もっと建築空間でお別れを大切に扱うやり方があったはずだ。

葉山に戻り、メールチェック。当事務所が登録しているOZONEからメール。「お別れと鎮魂の空間」の設計デザインコンペの案内。その募集要項に次の質問が。

●死についてどのように考えますか。
●あなたが持つ「一般的な葬祭場」に対する考え方を教えてください。
●もし、大切な人を失って最後を過ごした時、その時のお別れの空間に対してどう考えられましたか。
●大切な人と最期を過ごしたい空間とはどのような空間ですか。

実にタイムリーな質問だ。おそらくTさんが私にメッセージを送ってくれたのかもしれない。やってみろよ佐山!と。じっくりと考えてデザインしてみようと思う。

▼葉山の2006.07.03 19:22

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