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2006.08.09 台風が東海地方を直撃と報道。当日、浜松まで構造材のチェックを予定していた。前日、台風予報をにらみ予定を断念。材料チェックは写真で行うこととなる。

私は木造住宅をメインとしているが銘木志向はない。せっかく100年近く育ってきた命ある植物。人間の都合で命を落とすのだ。頭からつま先まで目利きによって使い倒してあげたい。昔はそんな目利きがいたるところにいただろう。木挽き、材木問屋、大工、そして普請好きの施主。どの目にもかなうように適材適所で使い倒されていたであろう。私は施主の代理人として、かつ最終砦として目を光らせることが肝要だ。お金を出せば贅を尽くしたぴっかぴかの材料ですまいを仕立てることができる。しかし、一般庶民のすまいにそんな贅沢の必要はない。そんなことよりも、つつましく、美しく暮らせることが大切だろう。

贅沢は必要ないが、発注者の思い(熱意)は必要である。かつて、木挽きの目はどうした?問屋(プレカット工場)のふるいは?工務店の意志は?と思うことがあった。施主の思いが届かなくても、目利きがしっかりしているルートもある。今回そのルートを選択しようとしたところ、既存ルートから是非事前にチェックしていただいてからプレカットに入りますという必死のラブコールが届いた。安かろう悪かろうではダメだ。質素で堅実な構造材を使いたい。という経緯で浜松へチェックに行く予定が台風に拒まれてしまった。浜松のプレカット工場へは、いちばん悪いだろうと思われる部位を写真に撮って送って欲しいと指示。

即時、メールで送られてきた写真を見ると気を遣っているらしい様子が見て取れる。それでも、いくつか気になる「死に節(しにぶし)」があったので、それをはじいて欲しいと指示。それで浜松の現場は混乱したらしい。多かれ少なかれ死に節はあるとのこと。死に節は木が育つ過程で枯れ枝が幹の中に閉じこめられてしまったもの。枯れ枝に皮が付いているため幹と一体感がない。育林の過程で枝打ちなどを怠ったための産物。建材にしたときその部分は抜け落ちたりするため、断面欠損になるのだ。それでも構造材としては成立するだろうが、そんな材料はもっとふさわしい使い方がある。板材などで職務をまっとうする道は十分にある。プライドを持った目利きがいれば構造材に回らなかったであろう。(私の指示ではじかれた材料が他のすまいにまわされないことを祈る。)

▼死に節

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ちなみに生き節は問題ない。幹と一体になった節は材料を強くするとさえ言われる。質素で剛健な材料だ。節のない材料が強くて魅力的な材料とも言えないのだ。無節志向は、木を切る方法が機械ではなく道具だったころ、節のない木が切りやすく割りやすかったので重宝され価格が上がったために始まったとされている。生い立ちを見ると「良い木」→「高価な木」ではなく、「都合がよい木」→「高価な木」であることがわかる。脱線するが、銘木の価格はあってないようなもの。鴨がねぎをしょってやってくれば価格はあがる。ケヤキなどの広葉樹もそんなもの。以前、「広葉樹をもっとつかってもらおう」という会議に出席。価格を時価から明瞭会計にしたらどうだと言うも、買い手の顔色で価格を決められる昔ながらのやり方に固執。そんなことをしているから使い手がいなくなるのだ。そんな売り手の主張は「昔のように目利きの建て主がいなくなった」とぼやく。やれやれだ。


▼ピンクできれいな生き節

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