日本の建築の良いところを意識しだしたのはいつ頃だっただろうか。私がモノ心ついたときに感化された風俗はアメリカのそれだった。中学生後半、メンズクラブでヘビーデューティーアイビーを知り、ポパイで西海岸風俗にあこがれる。大学卒業時にはログビルダーにあこがれシアトルに移住したかったほど。10代後半から20代全般まで洋楽も含めてアメリカかぶれだった。30代前半、サラリーマン時代仕事でヨーロッパに数度行く。歴史の重みを実感する。また、エコロジーを文化として昇華させようとするヨーロッパそれもドイツにいたく傾倒する。アメリカはエコを商売のネタくらいにしか考えていなかった。
一番の大きなきっかけは、山に入り大黒柱を選別してすまいに取り入れたことだろう。かつてはそうだったように、山に入りこれはと思うモノを自ら選ぶ。そして山から降ろしすまいに挿入する。それから日本建築の良さや昔ながらのやり方の良さを体感した。このことが、私自身の設計生活において記念碑的な出来事だったのだと思う。アメリカ住文化の根源は自分で造るということ。セルフビルドが基本。そこにはきめ細やかな職人技はない。ましてや様々な部位に「やおよろずの神」的な精神が入り込む隙はない。円高が続いていた1990年代、住宅の輸入部材が安く入り込み、それを駆使して工務店が儲ける輸入住宅は一気に普及した。一見、欧米風の華やかな住宅は素人受けするけれど、私から見たらぺらぺらの安物にしか見えなかった。今も同じである。輸入住宅は「安く輸入した部材を使って安く造る住宅」の略称でしかない。
日本の伝統的なすまいをそのまま造っても今の生活には適さない。一番の問題は寒いし暗いのだ。関東では暑さはしのげても、寒さには弱い。かつて、北海道の開拓時代、屯田兵の住宅は内地からそのままのやりかたで造られていた。ニシン御殿もしかり。断熱材はない、建具は隙間だらけ、その後、ブロック造住宅が住宅金融公庫の支援もあって普及するが断熱材の使い方を誤り、床下からキノコが生えた。その後、北海道ではコンクリートブロック造の外断熱が発達した。今から30年くらい前からだろうか。試行錯誤が始まった。それが紆余曲折して「いい家がほしい」(外断熱布教本)に姿を変える。北海道から内地への逆輸入だ。すまいも含めて建築は寒さ暑さとの戦いでもある。だから、昔ながらの日本のすまいの良い点を生かしながら現代風に蘇らせるのは、熱を克服してはじめて成立するのだともいえる。
昨日、葉山町堀内に'Traditional & Modern'なすまいが上棟した。土間、大黒柱、囲炉裏、薪ストーブ。時代がかったアイテム満載である。いたるところに神が宿る。圧巻はそのうち姿を見せるであろう不燃材による「下見板張り」だ。これは、私が書いた「ハイブリッドであるべきだ」でも触れているが、葉山の昔ながらの家ではごくごく一般的な外壁。今でも増改築などで、新しいそれを見ることができる。私は、アイテムや精神論だけではなく、新しいすまいでありながら、まるで昔から葉山にあったようなすまいにしたかった。しかし、昔ながらのそれは、本物の板であるので燃えやすい。ハイブリッド下見板張りは不燃材でできている。たとえ隣が火事になっても燃え移らない。断熱もしかり、不燃対策もしかり。建て込んだ町の中にあって、家のまん中に光も降り注ぐ。一見、昔ながらの古いやり方に見えるが、新しい現代風の生活に適応しているすまいになる予定だ。「古くて新しい」「古いものをちょっとだけ現代に」「古きを知って新しきを知る」'Traditional & Modern'は奥が深い。
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