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こればっかりは、理屈ではない。だろう。我が家族の終の棲家を構えるために真剣になる。だれもが真剣になる。立地。価格。周辺環境。さまざまな視点で精査する。精査できる時は縁がないときだと最近感じる。縁がある場合、精査するまでもなくぴんと来たら手続きに移行するようだ。私の場合もそうだった。ちょっと振り返ってみる。

1990年頃。黒鯛釣りに魅せられて都内から三浦半島に通った時期がある。帰り道、三浦半島西側の海べりを走っていた。佐島近辺のひなびた海岸は大いにそそった。『こんなところで将来暮らしていけたら...』。そのまま走ると葉山御用邸前の信号。なにやら大きな気配を感じる。またしても、『こんなところで暮らしていけたら...』。この何気ない直感があとあと私を引っ張っていく。晴れて1993年頃。葉山町一色に引っ越す。サラリーマンを卒業し独立するならはこっちと脳内で決まっていたようだ。まったく前途が見えないまま、借家を借りた。築40年くらいの借家は自分でペンキを塗っても良いという。都内から通って終末自分でリフォームを楽しんだ。借家で事務所をはじめたが所員がいると都合が悪い。山の上にログハウスを借りた。所員は6人までに。そのころから、終の棲家の土地探しをはじめる。3年過ぎた頃、今住んでいる土地と巡り会う。いろいろ検討した土地は数知れず。自分から地主に手紙を送ったこともある。しかし、どれも検討するに値するのだが健闘むなしく縁がなかった。検討する間もなく『おおお!これだ!』と巡り会ったのが今住んでいるところ。こればっかりは理屈ではない。『いい!』と思ったからだ。立地(海が見えて、2世帯同居の親が歩いてバス停まで行ける)、価格(売り主が売り急いでいたらしい=指し値に成功)。この2点だけで即決。3年かかって出会えなかったピンポイントの私のツボを押したのだ。今でも後悔していない。当時車は入れなかったが、今道路拡張が進み我が家の前まで普通車が入れるようになるらしい。

理屈ではないですねえ。終の棲家探しは。やっぱり、ぴんと来たら即決。これが大切。多角的に検討しようとしている土地はそんなにぴんと来ていないと思っていい。今現在も様々な条件のお客様から土地探しを依頼されているのだが、迷っている土地は決めないもの。私がなんと言おうと決める時は決める。それでいい。それが、そのご家族にとってもっともふさわしい出会いなのだから。


●2007.01.17(水)

メールで建て主の小田原のKさんご主人とプチ子育て談義。男の子お二人のご主人。自分の子供はは男の子で良かったと。以前、義父から、『女の子を二人育てましたが自分と違う疑似体験ができて有意義でした』と言われたことを思い出す。考え方は人それぞれ。私はどういう感想を抱きながら今後過ごしていくのだろうか。しっかり楽しみながら日々を過ごしてゆきたい。


●2007.01.18(木)

終日、葉山堀内T邸のスタディ。煮詰まる。煮詰まると仕事場のベランダに出て煙を吐く。煙突からも煙が出ている。プランは様々な視点から検討される方がいいようだ。使い勝手からの視点。建て主が望んでいる一点希望のポイント。私がどうしても実現したいコンセプト。出口が見えないスタディを楽しむ。

●2007.01.19(金)

EL34のブルーチューブが届く。新年早々組み立てた真空管アンプのカスタマイズ真空管のこと。ヤフオクで知った方へ注文。見ず知らずの取引は代引き便で。頭はT邸、S邸のスタディでぐちゃぐちゃしているがブルーチューブですっきり。さっそくアンプに挿入し玉のエージング(慣らし運転)にいそしむ。40時間くらいでけばがとれてくるので、最小音量で一昼夜。

●2007.01.20(土)

終日、スタディ。『佐山さんはミニマルではないんですか?』の声がこだまする。『はい。山小屋系からミニマルまで私のデザインはお客さんの希望で変化します』。これが本当に良いのか。プランをスタディしながら反芻反芻反芻。自分の軸足を忘れてはいけないと思いながらスタディ。しかし、自分の殻を割ってくれるのもお客さん。お客様との対話から生まれてくる自分があると。もくもくとスタディを繰り返す。

●2007.01.21(日)

なっとくいくスタディができずに、打ち合わせ直前までマックに向かう。ピンポンとなるまで格闘。その甲斐あって奥様は直前まで格闘していたプランに「ピンポン」。正直うれしい。ちょっとだけ、建て主に近づいた。すまいづくりのコミュニケーションがはじまって建て主になりきり私のコンセプトも挿入し合致できた時が至福である。住宅設計は私の仕事だがライフワークなので趣味の延長。死ぬまでやり続けたい。黒鯛と真空管と住宅設計、みな大好物なのだ。

●2007.01.22(月)

最近、土日が打ち合わせでほとんど埋まっている。なので月曜火曜が休暇に近い状態。買い出しに出かける。横須賀からの帰り際、葉山で土地を探し始めて縁がなく近所に越してきたYさん宅に突入。手みやげに葉山ASAHIYA屋のコロッケ。着くやいなや『カーテンはどこで...』。食料品、雑貨、DIY用品、パソコン関係、スーパー銭湯などなど速攻で伝授。カーテンを買いにいくのでそそくさとおいとま。歩いても5分。ご近所の友人が増えるのは楽しい。

●2007.01.23(火)

離婚後300日過ぎないと子供は前夫との間の子。これがとてもリアルに腹立たしい。ハローワークに再訪。私の配偶者の雇用保険を約10年払い続けてきた。払いはじめるときはすんなり受理。しかし、今回給付の段階になって「代表者の配偶者は雇用保険者の資格がありません。よって無資格なので何の給付もできません。かつ、雇用保険の還付は2年分しかできません。それ以前は時効です」。うんん?。説明義務違反で資格無しを見過ごしていながら、保険料を受け取っていたにもかかわらず、お金は返すことはできませんとは大いに理不尽。最低でも払った分くらいは返してほしい。法治国家とはこんなもんなのだろうか。

●2007.01.24(水)

「佐山隠れファン発見」とのうれしいメール。リフォーム検討中の葉山山の上のご主人から。なにやら三浦半島をなんとかしようという会議に出席すると、私がサカナになったとのこと。葉山の風情、しいては神奈川の活力、日本の力になるようにと日々住宅設計を通じて試行錯誤している思いが伝播している模様。うれしい。地道にデザインを続けることの大切さを実感。デザインは形や色の遊びではなく、思想の具現化である。葉山にあってほしい風景文化を微力ながら踏ん張って残していこうとする思想がデザインそのものなのである。その思想が伝播している気配を感じるのは大いに明日への原動力。

●2007.01.25(木)

スタディ中、息が詰まるとベランダに出て煙を吐く。江ノ島が見える。箱根の山。ヨット。夕方になると海沿いを走るヘッドライトも見える。遠い風景を見ているとmm単位で住宅スタディをしていることが本当に建て主のためなのかを自問自答。送られてきて積み重なっている日経アーキテクチャーを手に取る。設計者はみなピカピカした顔で露出している。本当に彼らは家族のこと、建ってから50年後のことを考えているんだろうか。出来上がった時は美しい。フォトジェニックなら当たり前。50年後のことを考えてデザインしているのだろうか。根底の思想も50年後くたびれていないだろうか。古民家の生命力にヒントがあるかもしれない。

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