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昨日、軽トラで所用に出かけた。入りの悪いラジオから国会中継が流れていた。聞き流していた。聞き取りにくいところもあった。「総理に質問します。良くない法律は洗い出し改正するとおっしゃいましたが、それはいったいどういう法律ですか?」おそらく野党の質問だろう。「はい」「福田総理大臣」「それはですね。たとえば(ガガ...)。住宅着工件数が激減している問題は昨年改正した法律によってもたらされていると考え(ガガ...)。本来法律は国民主体の法律であるべきで(ガガ...)。行政側に都合がよい法律ではあってはならない(ガガ...)。これについては(ガガ...)即刻対応する必要がある(ガガ...)です。」

肝心なところの音声がとぎれて聞けなかった。が。我々のこの分野で昨年の建築基準法大改正が一般生活者にどれほど大きな影響を与えているかということについて福田総理は気づいているような発言をしていた。やや?餃子問題が白熱している真っ最中に建築基準法改正のまずさをあげている。問題のすり替えなのか。世論と違うところで国会は運営されているのか。もっと早く国会で議論してほしかった。タイミングのずれにとまどうも。福田総理の口から昨年の建築基準法大改正はまずかったと聞けたのにはおどろいた。

だれのための法改正だったのか。福田総理は建築行政保身のための改正であり、生活者主体の法律ではないと断言していたように聞きとれた。渦中に身を置く私としては全くそのとおり。木造2階建てであればそうそう影響はない。そこから規模が大きくなるとがぜん話は変わってくる。木造3階建て。鉄骨2階建て。RC2階建て。混構造。それ以上は構造的な解釈という点で建築基準法改正以前と大きく異なる。何が違うかというと建て主の負担である。ある一定のルールからはずれると申請費用が20万円以上増え、審査機関が2ヶ月以上増え(これは読めないのが実情)。そのうえ、確認申請後、軽微な変更以外は確認申請のやり直し。これらのしわよせは全て建て主が負担するのである。第2の姉歯をつくらないために『すべてチェックして建築行政側には落ち度はありませんでした。その上で問題があった場合は全て建て主に責任があるのです。だから、申請費用増も審査期間増も建て主が負担しなければならないのです。』という行政側のヨロイのための法律でしかない。

ある一定のルールとは、確認申請を受け付けた機関で審査不能という構造は「構造計算適合性判定」という審査期間にまわされ費用と期間が建て主負担となる。そうなると、その構造計算適合性判定にまわらないように設計するのが設計者の良心と自問すると、デザインがおのずと変わってくる。建て主の要望に添ったデザインを試行錯誤することよりも、確認申請で建て主に負担にならないデザインを試行錯誤する。これは一体なんのための法律なのか。結果として建て主に利益が上がる法律ではないのは確かなことだ。ねじれたモラルの姉歯が起こしたこの耐震偽装問題。さらにねじれを加速させ建築行政をねじりまげ、建築デザインそのものも変形させて、結果として生活者に多大な負担をしいている。こんなブログでその「ことの大変さ」を書いている間にも、建設依頼した建て主の倒産、建設業者の倒産などなどあらゆるシーンで勃発していることだろう。ラジオで聴いた福田総理の言っていることは間違っていないと思う。即刻対応して欲しい。渦中の当事者は途方に暮れている。

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