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夜更け。なにげにチャンネルを回しているとモノクロ映画。引き込まれてしまう。タイトルを見ると「黒い雨」。中学生の時に良い映画だから見た方がよいと女教師から言われていたような。黒い霧だったかなあ。田中好子が裸で演じているのだから私が中学の時ではないだろう。ぐいぐい引き込まれる。特に映像。カメラの枠に建築の縦線がしっかり平行になっている。これは見方がマニアック。しかし、全編に流れるそのきりっとした映像が訴えたいコンセプトを邪魔しないのだと感心。ディテールが全体を支配するということ。感心しきりに映画の本筋にのめり込む。

広島に落とされた原爆の二次被害で雨にまじった黒い雨にあたると良くないことが起こる。その戦争被害を訴えた映画。『もう日本は負けるとわかっていてなんでアメリカは原子爆弾を落としたんじゃろか。東京じゃなくてなんで広島に落としたんじゃろか。』。言葉一つ一つが重い。当時北海道に原爆が落とされなかったおかげで今の私がいる。何故、広島、長崎だったのだろう。映画は観るものにディレイをかける。

戦争を日常に感じたことはない。高度成長期に産まれた私は戦争を知らない子供達。その戦争末期を生き抜き私を育ててくれた私の親たちは今、後期高齢者。昨日、健康診断の援助はしませんと私の両親に町役場が通知をしてきたらしい。『では、死ぬを待つだけの老人は健康診断はしなくて良いと言うことですか?』と電話を入れたと。おう。やれやれ!と思うがなんかおかしいな。国民が生きていくうえで最低限の保障は国がするべきではないか。もう、戦争はしないと国が決めたのだから、よその国へごめんなさい援助をするよりも、「若い人たちのためにもがんばってください援助」を後期高齢者にするべきではないか。政治のことは全くわかってないが、こんな国でいいのか?と思う。どうしたらいいんだろう。職能でその風穴を開けるしかないのだろうが。どうしたら良いのだろう。

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