090212_h.jpg

今年に入って3回、ちょっとだけ気持ちよくうれしくなることがあった。

1回目は高速道路でのこと。年始に車で帰省した。片道700Kmほど走るのでETC割引はありがたい。出発時刻がAM4:00まで、あるいは到着時刻がAM0:00過ぎになると高速料金が半額になる。700Kmだとざっくり25,000円が12,500円。かなり利用得。行きは目覚ましで起きられず泣く泣く断念。帰りは準備万端3:50に料金所に滑り込んだ。まずまずいいスタート。明け方の高速道路は混雑していなくてオートクルーズでのんびり走ることができる。しかし、睡魔も襲ってくるので途中休み休み。運転も交代でとにかく前に進むことを優先する。心地よい揺れの中、仮眠をとっていると「この先はどっちに行けばいい?」と夢のなか。新しくできた新名神高速道路。カーナビでは空を飛んでいた。スリープしていた頭を起動させるもとっさの判断は失敗した。「東名阪→大阪」ではなく「亀山」を選択してしまった。起動後、しばらくして頭がクリアになってくると、どうやらおかしいことに気がついた。やれやれ。紀伊半島を南下しているらしい。いったん直近のインターチェンジでおりて、名古屋方面にむかうしかない。ということはETC割引も...。がっくり。なんとか途中下車は避けたいところ。インターチェンジで一度料金所を出ずにUターンできると横浜まで下車せずに行けるのではないだろうか。高速道路のおぢさんに談判してみようと考えた。

芸濃ICでおりる。料金所を出る前、料金所かなり手前で駐車して事務所へ向かおうとすると「(そんなとこに駐めちゃあだめだ。こっちへこい)<身振り手振り「ききたいことがあるんです〜」「(とにかくそんなとこに駐まってないでこっちへこい!)」「そうじゃあなくて=!」「(いいからこっちへこい!)」「まちがって来てしまたんです==!!」「(とにかくいいからこっちへこい!!)」「そういうわけにはいかないんです===!!」「(悪いようにはしないから、とにかくこい!!ったら来いっ!)」「(あ〜...)」何を言ってもこっちへ来いのジェスチャーしかしない。観念してハンドルを握り、料金所に向かう。「どこへ行く?」「横浜...」「どこから」「岡山...」。「(私の車をのぞき込んで)3年以上前のカーナビにはこの路線載ってないからな。料金所をこのままでて、そこを右に曲がってもう一度入り直しなっ」「?...ETC割引が...」「通行券はとらなくていいよ」「?」「ここで出なかったことにするから。そのまま名古屋方面にいきな」「(ほぉ〜?)......ありがとうございますっ!」

何度もあるのだろうか。こういうこと。きっとよくある間違いなのだろう。分岐点のサインが良くないことは確かだ。「東名阪→大阪」に加えて「東名方面」少なくとも「名古屋方面」くらいは書いておいてくれれば、間違わなかっただろうに。が、しかし、芸濃ICの料金所おじさんには救われた思いがした。と同時に「ちょっぴり嬉しくなってしまった」。ETC割引が予定通りに使えるように、はからってくれたことはもちろんのこと。それよりも、杓子定規にルールはルールとして、ルールを全面に押し出す対応ではなかったことがうれしかった。そのおじさんの独断だったらなお一層にうれしい。『ああ、この人たち間違っちゃったんだな。きっと。岡山から横浜まで行くのが本当だとしたら、まだ半分も来ていないじゃあないか。そりゃあ気の毒っていうもんだ。いいよいいよ。見て見ないふりするからさっさと行きな。おじさんが始末書書けばいいことだから。さあ、行った行った!」ということだったら、あの時は本当にありがとうございましたと手紙を書きたいくらいだ。きっと、そういうことが何度もあるので、どのおじさんもそういう対応をするように上司から命令されているのかもしれないが、困った人への臨機応変の対応がおじさんの独断に任せられているというのがとてもうれしいじゃあないか。

以前、地元、逗葉新道の100円料金所で嫌な思いをしたことがある。料金所手前で携帯が鳴る。トンボ帰りしなければならなくなった。もう料金所の手前まで来ていた。後ろにも車がいたのでバックするわけにも行かず100円を払った。そのあと、事情を話し葉山に戻らせて欲しいと料金所おぢさんに言った。すると、また通過するなら100円を払えと言う。エスケープできるところから戻らせて欲しいと言うもがんとして聞かない。料金所おじさんじゃあラチがあかないと思い、事務所に直談判した。しかし、そこでも自動的にカウントしているから、ただで通行させることはできないの一点張り。なにも100円が惜しくて言っているんじゃないのだ。ひとそれぞれ事情があって、本来100円を払わないでバックすれば良かったんだけど、それじゃあいろいろ悪いかと思って泣く泣く通過したんだ。といっても、ルールはルールとして取り合ってくれなかった。事情を考慮する余裕というか判断のはばが現場に任されていない悲しい現実があるのかとがっかりした。私の場合、話をしていて、血の通っていない杓子定規な話し方しかしない人にはかなり血がのぼる。一人の人間と話しているのではなく、機械と話しているような錯覚に陥る。そんな時は、おまえそれでも人間か!本音で話そうよ!と頭に血がのぼってしまうのだ。逗葉新道の料金所おじさんよりも芸濃ICの料金所おじさんの方が、仕事のやりがいはあるだろうな。おじさんの裁量如何で感謝されるんだから。マニュアルではなく、状況に応じた個人個人の判断がいいビジネスを生み出すんだろうなとぼんやり。

ちょっとうれしく感じたこと三つのうちの二つめはまたそのうちに。

090212.jpg



▼ コメントする

▼ サイト内検索                複数キーワードは半角スペースを挿入