ひょんなことから、2009.02.24現在、右サイドバートップにある「寛平 アースマラソン」を応援している。といっても、熱心な応援ではなく、一度だけヨットに応援コメントを送ってみたり、忘れた頃にサイトをのぞいて見る程度の野次馬でしかない。ところが、さきほどちらっと見たら、大変なことになっているらしい。大時化で大時化で、『もちろん「本物」が何度も僕たちを震え上がらせたか数え切れません。』と本音を吐いている。サイトに行くと何故か勇気をもらえる。リアルタイムで大冒険をしている。それをぬくぬくとしながら、エンターテイメントとして覗いている。覗いている方が恥ずかしくなる。自分も本気で、何かと戦っているか。と考えてしまう。寛平さん達は、リアルに本気で限界に挑戦している事実を傍観しているだけの自分でいいのか。と。考えてしまう。
これは筋書きのない大冒険なんだとT編集長は言っていた。東に向かって走り出し、西から日本に帰って来る。それだけが決まっていて、だいたいの予定は立てているが予定変更は毎日あるのだという。行ったきりの大冒険。私もかつて、初めての海外旅行を大学卒業の時に敢行した。それも40日間。サンフランシスコに到着し、40日くらいかけてあてのない旅をして日本に帰ってくるということだけが決まっていた。帰らないと入社式に間に合わないからだ。フリーパスの飛行機チケットを持ってアメリカの現代建築を思うがママに見て回るという本来の目的は持っていた。到着後、一週間くらいは毎日が緊張で、ハレの気分が続いた。10日も経つ頃には、ハレの気分が日常に変わり、惰性で旅をしているような妙な感覚になった。その頃、カナダ国境を出たり入ったりしていた。片言の英語で、現地の人ともろくに会話することもできず、もんもんとし始めていた。本物のログハウスとヘビィーデューティー・アイビーを体感したくてバンフに着いた。どうにも歯の間に食べ物がつまり、気になって仕方がないのでバンフのスーパーに入り、ジェスチャーで「つまようじ」があるかどうか店員に聞いた。しばらく、ぽかんとしていた店員は「Oh~.tooth Pick!」といい売り場に案内してくれた。そんな25年以上前のバンフの記憶は、薪ストーブでもなく、エディーバウアー・LLビーンでもなく、「Oh~.tooth Pick!」のみ。それでも、見知らぬ土地での一人旅。大冒険だった。
一人旅も2週間以上過ぎる頃には、惰性で旅をしているというよりも、旅が本当の日常になってきた。慣れてきたのだ。怪しい記憶をたどると。エドモントンのYMCAに真夜中到着し手探りで真っ暗な就寝。朝起きると隣にすっ裸の男が寝ていて、起き抜け毛布をいきなりとるとそれがヒザくらいまでありびっくり仰天して、よからぬことがないうちにと朝飯もとらずに凍り付く街に飛びだした。氷点下、鼻毛が凍るまるで北海道にいたときのような街をとぼとぼ歩きバス停に着いた。バス発車までの時間はかなりあった。そのバス待ち時間中、チャイニーズボーイ(きっと...)がエルトンジョンの「Don't Let The Sun Go Down On Me」をラジカセを耳に当てエンドレスで聞いていた。耳にたこができた。今でも聞くと凍てつく異国の朝を思い出すしぶ〜い音友。シカゴのYMCAでは、夜シャワーを浴びていると「へぃ〜。チャイニーズ・ボ〜イ〜♪」と声。うぅわゎ=!とほうほうの体で逃げ出した。ガランとしたシャワールームに響く鼻にかかった低い声が異様に怖かった。NY。エンパイアステートビルでたばこが吸いたくなったので、掃除のおじさんに「アシュトレイ?」と聞くと「「オン ザ フロア ↓ !」とすごまれた。俺の仕事なんだよそれが!と言われているようでかなりびびった。春のデイトナビーチで、改造ビートルにうっとりしていると「ヘ〜ィ!カモン!トゥギャザ〜」と私をまるで友達のように「あっちでイベントをやっているから行こうよ!」みたいに気さくに話しかけられたことがあっけらかんとうれしかった。こう思い返してみると、毎日が冒険、いやアテのない旅。40日後に日本に帰るだけという異国に潜入体験する冒険だったのだ。「寛平 アースマラソン」を覗いてそんな昔のことを思い出した。
ところで、冒頭の写真。葉山の海が荒れると砂浜に打ち上げられるらしいのだが、誰か知っている人はいるだろうか。UFOの痕跡のごとく、砂浜に一列になって落ちているそうだ。何個も。何個も。毎日の日常にも知らないことがいっぱいある。ルーティンルートをちょいとはずれるだけで大冒険ができそうだ。ワクワクして生きていますか?
これは筋書きのない大冒険なんだとT編集長は言っていた。東に向かって走り出し、西から日本に帰って来る。それだけが決まっていて、だいたいの予定は立てているが予定変更は毎日あるのだという。行ったきりの大冒険。私もかつて、初めての海外旅行を大学卒業の時に敢行した。それも40日間。サンフランシスコに到着し、40日くらいかけてあてのない旅をして日本に帰ってくるということだけが決まっていた。帰らないと入社式に間に合わないからだ。フリーパスの飛行機チケットを持ってアメリカの現代建築を思うがママに見て回るという本来の目的は持っていた。到着後、一週間くらいは毎日が緊張で、ハレの気分が続いた。10日も経つ頃には、ハレの気分が日常に変わり、惰性で旅をしているような妙な感覚になった。その頃、カナダ国境を出たり入ったりしていた。片言の英語で、現地の人ともろくに会話することもできず、もんもんとし始めていた。本物のログハウスとヘビィーデューティー・アイビーを体感したくてバンフに着いた。どうにも歯の間に食べ物がつまり、気になって仕方がないのでバンフのスーパーに入り、ジェスチャーで「つまようじ」があるかどうか店員に聞いた。しばらく、ぽかんとしていた店員は「Oh~.tooth Pick!」といい売り場に案内してくれた。そんな25年以上前のバンフの記憶は、薪ストーブでもなく、エディーバウアー・LLビーンでもなく、「Oh~.tooth Pick!」のみ。それでも、見知らぬ土地での一人旅。大冒険だった。
一人旅も2週間以上過ぎる頃には、惰性で旅をしているというよりも、旅が本当の日常になってきた。慣れてきたのだ。怪しい記憶をたどると。エドモントンのYMCAに真夜中到着し手探りで真っ暗な就寝。朝起きると隣にすっ裸の男が寝ていて、起き抜け毛布をいきなりとるとそれがヒザくらいまでありびっくり仰天して、よからぬことがないうちにと朝飯もとらずに凍り付く街に飛びだした。氷点下、鼻毛が凍るまるで北海道にいたときのような街をとぼとぼ歩きバス停に着いた。バス発車までの時間はかなりあった。そのバス待ち時間中、チャイニーズボーイ(きっと...)がエルトンジョンの「Don't Let The Sun Go Down On Me」をラジカセを耳に当てエンドレスで聞いていた。耳にたこができた。今でも聞くと凍てつく異国の朝を思い出すしぶ〜い音友。シカゴのYMCAでは、夜シャワーを浴びていると「へぃ〜。チャイニーズ・ボ〜イ〜♪」と声。うぅわゎ=!とほうほうの体で逃げ出した。ガランとしたシャワールームに響く鼻にかかった低い声が異様に怖かった。NY。エンパイアステートビルでたばこが吸いたくなったので、掃除のおじさんに「アシュトレイ?」と聞くと「「オン ザ フロア ↓ !」とすごまれた。俺の仕事なんだよそれが!と言われているようでかなりびびった。春のデイトナビーチで、改造ビートルにうっとりしていると「ヘ〜ィ!カモン!トゥギャザ〜」と私をまるで友達のように「あっちでイベントをやっているから行こうよ!」みたいに気さくに話しかけられたことがあっけらかんとうれしかった。こう思い返してみると、毎日が冒険、いやアテのない旅。40日後に日本に帰るだけという異国に潜入体験する冒険だったのだ。「寛平 アースマラソン」を覗いてそんな昔のことを思い出した。
ところで、冒頭の写真。葉山の海が荒れると砂浜に打ち上げられるらしいのだが、誰か知っている人はいるだろうか。UFOの痕跡のごとく、砂浜に一列になって落ちているそうだ。何個も。何個も。毎日の日常にも知らないことがいっぱいある。ルーティンルートをちょいとはずれるだけで大冒険ができそうだ。ワクワクして生きていますか?
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