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本日いちにち真名瀬(しんなせ)町内会の祭りのお手伝い。午後から22:00まで裏方に徹する。裏方といっても神輿の前に立ち真名瀬の提灯をもつだけ。本当の裏方は神輿の担ぎ手のサポート。神輿休憩のウマを神輿に入れたり出したり。飲み物や軽食を要所要所で出したりといそがしい。私は、真名瀬会(神輿会)に所属しているわけではなく、真名瀬町内会の世話係として提灯持ちで参加しているだけなのだ。それも3年目最年少の新参者。

葉山森戸神社のお祭りは、東から「真名瀬(しんなせ)」「森戸」「東(あずま)」「三ヶ浦」の四町内会の神輿が出る。いまでは町内だけで神輿の担ぎ手が不足しており方々(横須賀、逗子、藤沢、東京)から応援の担ぎ手がやってくる。葉山の担ぎ手も方々に応援に出向くという。互助。今年は月火の平日のお祭りなのでいっそうのことである。伝統行事を続けるには現代の仕事事情が大きく影響を与えているようだ。サラリーマンは参加できない。

私の所属する真名瀬は、葉山の中でも神輿を担いで海に繰り出す唯一の神輿会だ。その歴史を長老達に聞いてみた。昔は神輿を担いだまま海を泳ぎ、森戸海岸から神社裏の磯までいったという。いまでは立派な神輿だが、当時は樽神輿といって、樽を4〜5コ重ねて簡素につくっていた神輿なのだという。それを担いで海に出て泳いで担ぎ倒し、祭りを盛り上げたらしい。今日も「ヒザまでですよ!!」といいながらも台風のうねる海に入っていく勇姿はなかなかのものだった。この海に繰り出すのは、四町内会でも真名瀬だけの特権だ。何故、今は泳いで行くことはしなくなったのかを聞いてみた。いろいろあるらしい。でも、いつか今ぺいぺいの私がある程度の歳になったら、海を渡る神輿を再現していたいと思う。それは、  唯一無二の祭りになるとおもうからだ。唯一無二の街に住み、それを誇れることができたら、その街に住むことを誇りに思うだろうし、そんな街にずっと住んでいたいと思うから。

午後からずっと真名瀬の提灯を持ち歩いた。真名瀬の浜〜森戸のデニーズ〜森戸神社〜森戸海岸〜清浄寺〜長徳寺〜旭屋(葉山コロッケ)〜森戸海岸(菊水亭)〜森戸デニーズ〜真名瀬の浜。「どっこい!どっこい!どっこい!どっこい!」のかけ声と共に最終コーナーの真名瀬に戻ってくると、祭りで高ぶった気持ちも少しほっとして「帰ってきた〜」という気持ちになった。帰ってくるところがあるというのはなんともほっとすることか。と。感慨に。そんな帰ってくるところの私の街をやっぱり自分の手で創っていかなくてはならないんだろうなと思った。だって、ここに生まれて育ったわけではないのだから、きちんとその分積極的に関わっていかないといつまでもお客さんでいくしかないのだろう。それでは、せっかくの地域力を発揮できないのではないかと思うから。今日は良い疲れが困憊です。


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