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2011.03.11 14:46の地震から3週間以上が過ぎました。葉山では余震もずいぶん感じなくなってきました。もともと、我が事務所兼自宅がある葉山町真名瀬の海のそば山のヨコは岩盤に建てていることもあり震度3くらいではなかなか大きな揺れは感じない場所でした。しかし、3.11当時はガツンという衝撃はなかったものの、ゆ〜らゆ〜らと大きく揺れ、それも長い間揺れていたのでした。地震だ!と感じ、家族全員家の中にいたのですが、全員に号令をかけ外に出ました。全員が外に出たのを確認して、裏山の道に出て、建物と山の状況を観察していました。建物は免震ではなく耐震設計の建物です。計算ではガツンという震度10以上の衝撃には壊れてしまう可能性はありますが、今回の大きなゆっくりとした横揺れには問題なく仁王立ちしていました。そのうち、山で木がぎしぎしと揺れて普段では聞かれないような音を発していました。これが一回目の地震でした。

それから3週間以上経過しています。その間、私事ですが地震発生直前から微熱がおさまらず、調子が悪いなと思い熱を測ると38度くらいの日が続いていました。地震後は近所のクリニックではなく総合病院に通っていました。今も37度台が続いており本調子ではありません。そんな中、私に出来ることは何かを考えました。前回のブログに書いたように関東大震災の様子を多くの人に知ってもらうことが私が今できることではないかということを感じました。それから一週間。なんとか本編をテキスト化しデータに納めることが出来ました。追録編は明日からまとめにかかる予定です。

今、私の頭の中にあることを備忘録として列記しておきます。

「関東大震災の思い出」
 この三浦半島に住まわれていた方々による追想録を読みますと神奈川県三浦半島において関東大震災の時に何が起こったのかがわかります。地域限定。三浦半島地域で起こったことが読み取れます。これを知恵に昇華して起こりうる東南海地震に備えることが出来たらと思います。
 ここに投稿された皆さんが言われていることは以下の様にまとめられます。
「立っていることが出来なくて、家の外にころがり出た」
「地割れがして、そこに落ちないように板を敷いて竹藪で野宿した」
「地面や海面が隆起して、海の水が引いてしまった」
「朝鮮人が井戸に毒を入れ、暴動を起こしているというデマが流行る」

・「自粛」
 3.11以降、あらゆる面で平時の行いが出来にくくなってきています。今後の様子を見ながらの行動になってしまったり、今しなくても良いことを控えてしまったり。葉山では今日さくらが4分咲きですが、花見の自粛がもっとも化されたり(現職都知事)。どうにもこうにも息苦しい感じです。そんな中、東北の酒蔵が「花見を自粛すると、酒蔵としては二次災害になりかねないので、東北のお酒もお花見で飲んでください」ということを訴えました。当然だと思います。本来であれば、西日本だけではなく東日本も血液が回るように通貨が巡り、春の訪れとともに活性化していくところでしょうが、今は自粛自粛という「萎縮」が蔓延して、お金が回っていかなくなっています。これは、東北地方だけではありません。東日本全体です。

・「計画停電」
工場の被災。物流拠点の被災。これが原因で建築の工事現場が混乱しています。筆頭は全国シェア35%石巻のセイホク(合板工場)が津波でやられました。その影響が色濃く現場に出ています。それ以上に、計画停電のために大きな影響が出ているのが生コン工場です。工場でコンクリートを練っているときに停電が起こるとコンクリートが固まってしまいます。なので、計画停電がある時にはコンクリートを製造できません。納豆やヨーグルトにもこの影響が出ているのと同じです。

・「原発事故」
関東大震災の時は、「朝鮮人反乱」のデマが大きく世の中を駆けめぐっていたようです。今回の震災では原発事故の「放射能による風評被害」が大きいようです。私は今現在神奈川県の葉山にいますが、正直心配です。しかし、その風評、デマに乗って葉山を出ていくかという気にはなっていません。福島県の原発30km県内に住んでいる方は「私たちは何も悪いことをしていないのに!」という思いは、やりきれない気持ちで聞いております。我々に電気を送り込んでいてくれたのに。私としてもどうしようもなく、ただただ情報を確認しながら生きていくしかありません。


もう少し、過去に学ぶことも必要かと思いますのでその模索をしてゆきます。




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