この記事は「関東大震災の思い出 追録」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえる大震災への備えとなれば幸いです。
ー 目次 ー
追録について / 永嶋照之助
44. 浦賀ドック会社での思い出 / 石川太一 (横須賀市浦賀)
45. 不意の地震に / 井出 茂 (八王子市)
46. 鰻のかば焼 / 石渡 正 (神奈川県足柄上郡大井町)
47. 壷中庵一筆 / 押田たつを (横須賀市浦賀)
48. 北下浦村を中心として / 田原正道 (横須賀市野比)
49. 横浜での被災 / 高梨一枝 (横浜)
50. 母と地震 / 角井長一 (東京神田)
51. 深川から靖国神社の大鳥居が / 長島八郎 (東京扇橋)
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ー 目次 ー
追録について / 永嶋照之助
44. 浦賀ドック会社での思い出 / 石川太一 (横須賀市浦賀)
45. 不意の地震に / 井出 茂 (八王子市)
46. 鰻のかば焼 / 石渡 正 (神奈川県足柄上郡大井町)
47. 壷中庵一筆 / 押田たつを (横須賀市浦賀)
48. 北下浦村を中心として / 田原正道 (横須賀市野比)
49. 横浜での被災 / 高梨一枝 (横浜)
50. 母と地震 / 角井長一 (東京神田)
51. 深川から靖国神社の大鳥居が / 長島八郎 (東京扇橋)
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こんばんは
実はわたしも、湯河原の関東大震災の事を調べようかと思っています。
というのも、中学校の場所が海沿い。なんとか移転させたい。
その署名活動をしようかと思い、資料を集めはじめてます。
各地の海沿い地域で、そんな動きが出てくるのかもしれませんね。
これからは生き方を変える時代になるのかな。
熱海、伊東の状況を見ると、やはり、津波による死者が圧倒的に多かったみたい。湯河原も津波の被害はかなりなものでした。
早急に検討が必要だと、ほんとに思います。
東日本大震災の状況をTVで見ていると、鉄筋コンクリート造の建物はまだ津波に持って行かれていないようですね。木造はさることながら鉄骨造は避難建物としておおかたNGだったように感じています。
神奈川県における過去の津波情報をたぐると、関東大震災(1923年)と元禄地震(1703年)の被害状況が出てきます。他には、鎌倉の大仏は以前建屋があって津波で破壊されそれ以降は野ざらしになったという記録もあります。それは、鎌倉時代と言うことですのでずいぶん前の話になりますが、記録は残っているようです。
神奈川という郷土に住む以上は、過去の教訓は未来に生かしたいですね。
本当に恐ろしかったと思われます。
私も浦賀小学校出身で、毎年9月1日に地震の避難訓練を行っていました。
今も弟二人がいるので、その話しをよく伺います。
私の時も校長先生が当時の様子を語ってくれました。
本当に悲しい出来事だと思います。
それに当時34名の児童がお亡くなりになられたと聞いて言葉になりませんでした。
一応私の大大大大先輩にあたるのですから、顔は見たことはないものの大きなショックをうけました。
ちなみに私は112代卒業生です。
80年以上の長い月日が経った今ですが、お亡くなりになられた方には誠にご冥福をお祈りいたします。
くらさま。コメントありがとうございます。
現在の三浦半島で、避難訓練はさほど真剣に行われていないように感じます。
実際に経験していないと、無理なのかもしれませんね。
語り継ぐことはとても必要なことなのでしょう。