//////////////  この記事は「関東大震災の思い出」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえ る大震災への備えとなれば幸いです。(佐山:2011年4月)   ///////////////


 めっきりお寒くなりました。先日は永嶋先生からお便りをいただきまして、うれしく拝見致しました。

 いろいろな時代をこの身で体験してきた私は大正2年2月4日生まれです。人生の中で一番楽しく幸せに暮らせる6歳のときに母親と死別致しました。それからはおばあさんに育てられ、成人し、結婚し、どうやら私なりに平成5年を迎えようとしております。考えれば、よくぞここまで生き 長らえたと自分ながらうれしく思っております。

 さてあの関東の大地震、大正12年9月1日、午前11時58分。私が数え年11歳、小学校5年生のときでした。

 学校は武山小学校です。当日は第2学期の始業式の日、始業式も済み、いざ帰る事になりました。教室にはまだ不動さんの畑尾君、湯場の吉田外之助君がいました。さようならを言って家へと帰ったのでした。

 帰るとすぐあの大地震。こわかったです。

 翌日の事です。元気で別れてきたばかりだった吉田君が家族もろ共、裏山の山崩れの下敷きになり家族全員犠牲になったとの事でした。

 吉田君は勉強も出来、おとなしく、級長をつとめていた方です。この思いもよらない悲しい話を聞いてびっくりしました。みんなのあこがれの的だった模範生の吉田君。一瞬にしての悲報。まるで夢のような気になりました。

 私の家は林で平地ですので、家の周りの竹やぶに避難し、その中でかたまっていました。

 そのうち、「津波が来る。」との言葉にまた夢中で近くの高みに避難しました。この避難の途中目にしたのは全壊した農家の姿でした。

 高みに着き、海の方を振り返って見ました。それはまた恐ろしい景色でした。水柱とでも言うのか。水が柱のように立っているのです。

 一夜明け、翌朝海を眺めたら、これまた仰天。海水が全然ないのです。今までの海の遊び場が沖の方まですっかり陸地になっている のです。今まで見た事もない島があちらこちらに見えるのです。陸地となった地面には土中からはい出した貝類がいっぱいです。ところどころに残されたくぼ地 には小魚がごちゃごちゃとおりました。

 家の米倉は屋根瓦は一枚も残らず落ちてしまい、まわりの石積もとび出して見るもあわれな姿です。

 また夜になりました。今度は庭先に梯子を並べ、その上に板を敷き、更に布団を敷き蚊帳をかけて、家中で寝ました。

 地震はとても怖かったのですが、こんな変わった生活はとても楽しくもあり、うれしかったのです。

 私も歳80。おかげさまで今日まで長生きし、元気でいられる事が不思議にさえ思えます。

 つまらない事を書き列ねましたが恥ずかしい次第です。

 子供のときから近所同士で友達付き合いをして80年、その友人の鈴木トメさんからの言葉に従って思い出し綴ってみました。

 拙文で恥ずかしい思いですが。

 さてまたこんな災難にはあいたくないですね。せっかくここまでどうにか生き長らえた命です。この命を大切にして、残された余生を明るく過ごせるようにと祈っております。

平成4年12月



出典:関東大震災の思い出(平成8年9月1日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/


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