////////////// この記事は「関東大震災の思い出」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえ る大震災への備えとなれば幸いです。(佐山:2011年4月) ///////////////
東京市京橋区尾張町銀座四丁目(現在日産自動車ビル)精養軒分店銀座ライオンの調理部に修業のため勤めて居りました。当時22歳、大正12年9月1日は 朝から風雨で10時頃には暴風雨となっていたが、11時過ぎには晴天となり南風でした。調理部なので昼の定食の準備も整い、12時に近い頃、突然建物が揺れ 出しました。皆が「地震だ。」と大声を上げて飛び出しました。私は地震位と思い、その場に居ましたが、あまりにも揺れが大きくなって来て、棚から物が落ち るしで、唯々調理台にかじり付くより仕方なかった。
東京市京橋区尾張町銀座四丁目(現在日産自動車ビル)精養軒分店銀座ライオンの調理部に修業のため勤めて居りました。当時22歳、大正12年9月1日は 朝から風雨で10時頃には暴風雨となっていたが、11時過ぎには晴天となり南風でした。調理部なので昼の定食の準備も整い、12時に近い頃、突然建物が揺れ 出しました。皆が「地震だ。」と大声を上げて飛び出しました。私は地震位と思い、その場に居ましたが、あまりにも揺れが大きくなって来て、棚から物が落ち るしで、唯々調理台にかじり付くより仕方なかった。
そのうち少し弱くなったので、10歩程くらい駆け出したかその時に2回目の大きな地震がきました。私はそ の場に倒れてまるでイモ虫ゴロゴロの状態で何をする事も出来なかった。少しゆるんできたので、無我夢中で転がる様に飛び出しました。電車が前に停まってい たのに突き当たって止まりましたが、その電車が揺れていたのに気が付き、驚いて交差点の方に駆けて行き、銀座ライオンの従業員50余名が肩を寄せ組み合って集まっていました。私を見て、「早く、早く。」と呼ぶので仲間に駆け込みました。地震が過ぎてほっとして、皆さんが地震の恐ろしさ怖かったなどと話し合 いました。
それから30分位経った頃でした。南の方から道路や家がもくもくと動いて来るので、あたかも海の波が押し寄せて来る様に私の目 に写りました。「地震がくる。」と大声を上げると同時に揺れ出しました。私達は肩を寄せ合ってヨロヨロするだけでした。とても立ってはいられない大きな3回目の地震だったと記憶しております。地震がおさまったので精養軒に帰り、皆さんは夫々が荷物を持って別れ別れに去りました。
5時頃、私は大事な食糧の確保と思い3斤の食パンと荷物を持って避難場所を求めて歩き出しました。思い付いたのは月島の埋め立て地で、障害物のない広い所を見た事があったからでした。
6時頃を過ぎたかと思った時に、逓信省付近に40名位の人が集まっているのを見つけたのでその仲間に入りました。皆が避難場所 の話をしていました。いろいろの話を聞いて月島方面は危険性があると気付き、安全地帯は芝公園と決めてまた歩き出しました。大勢の避難者が南へ南へと押すな押すなの状態で、小さな荷物を持つのが精一杯のようでした。
日は没して真っ暗となりました。ふと空を見ましたが、どこにも火の手があがっている所もなく穏やかな宵道を歩き続けて居りました。その内に目指していた芝公園にある増上寺の大門に辿り着き、その時は真っ暗で、多分九時頃ではないかと思いました。
何事もない思いで一夜を過ごし朝になって、水が欲しいので大門の所に行ってみると、何も彼も建物は一つもなく、焼失され、見渡 す限り焼け野原となっていたので、ほんとうに驚きました。昨夜はあんなに穏やかな夜を歩いて来たのに、こんな哀れな状態になってと悲しみに耐えられません でした。
私は9月2日に東京駅内にある精養軒を尋ねて行き、9日まで居りました。駅の構内は避難者で一杯で私達は夜警などして居りまし たが、9月10日に鉄道が開通されたので退去させられました。私は、亀戸駅から内房線が開通されたと聞いたので、駅まで歩いて行きました。その途中道路の片 側には幅約2尺深さ3尺位地割れしていた所がありました。私は亀戸駅で汽車に乗りましたが、内房線は佐貫までで、その先は線路伝いに歩いて行きました。浜 金谷駅で休んでいた時に幸いにも思いがけなかった知人に逢い、トンネル内が崩れて危険だから一緒にと言うので真っ暗なトンネル内をお互いに助け合いながら 無事に通り抜けることができました。いろいろと苦労もありましたが、ようやくの思いで郷里の安房勝山の我が家に辿り着きました。
家に帰って仲良しの旧友と会い東京や田舎などの模様、また地震の時の話を致しました。友人の家は海岸の間近な所にあるのです。 その友人から聞いた話では、地震が来たのですぐ海岸に飛び出したが、その時に見た事は海の水がずっと引いていって、今まで水の中に沈んでいた小島や磯が出 て、それから水が増して来た。しかし、元通りまで来ないで小島や磯が出てしまい、現在の通りになったと話されました。私は海岸を見て「なるほどその通りだ。」と思いました。地震が起きると津波が付き物の様に言われておりますが、関東大震災はそれと反対に海の水が引いて行ったとの事です。私は数日後海岸へ 行き、岩や磯などまた満潮や引き潮時などを見て、たしかに陸地は5尺くらい浮上したと思いました。関東大震災のため、房総半島は陸地が5尺程浮上したとの事です。三浦半島も5尺程浮上したと三崎町二町谷海岸に記録された所があります。
私は時折、郷里の安房勝山に行った時、懐かしの海岸に立ち、「今は陸地になっているが昔はここは海だったなあ。」とおさない頃の昔を思い出します。
平成4年11月
出典:関東大震災の思い出(平成8年9月1日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/
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それから30分位経った頃でした。南の方から道路や家がもくもくと動いて来るので、あたかも海の波が押し寄せて来る様に私の目 に写りました。「地震がくる。」と大声を上げると同時に揺れ出しました。私達は肩を寄せ合ってヨロヨロするだけでした。とても立ってはいられない大きな3回目の地震だったと記憶しております。地震がおさまったので精養軒に帰り、皆さんは夫々が荷物を持って別れ別れに去りました。
5時頃、私は大事な食糧の確保と思い3斤の食パンと荷物を持って避難場所を求めて歩き出しました。思い付いたのは月島の埋め立て地で、障害物のない広い所を見た事があったからでした。
6時頃を過ぎたかと思った時に、逓信省付近に40名位の人が集まっているのを見つけたのでその仲間に入りました。皆が避難場所 の話をしていました。いろいろの話を聞いて月島方面は危険性があると気付き、安全地帯は芝公園と決めてまた歩き出しました。大勢の避難者が南へ南へと押すな押すなの状態で、小さな荷物を持つのが精一杯のようでした。
日は没して真っ暗となりました。ふと空を見ましたが、どこにも火の手があがっている所もなく穏やかな宵道を歩き続けて居りました。その内に目指していた芝公園にある増上寺の大門に辿り着き、その時は真っ暗で、多分九時頃ではないかと思いました。
何事もない思いで一夜を過ごし朝になって、水が欲しいので大門の所に行ってみると、何も彼も建物は一つもなく、焼失され、見渡 す限り焼け野原となっていたので、ほんとうに驚きました。昨夜はあんなに穏やかな夜を歩いて来たのに、こんな哀れな状態になってと悲しみに耐えられません でした。
私は9月2日に東京駅内にある精養軒を尋ねて行き、9日まで居りました。駅の構内は避難者で一杯で私達は夜警などして居りまし たが、9月10日に鉄道が開通されたので退去させられました。私は、亀戸駅から内房線が開通されたと聞いたので、駅まで歩いて行きました。その途中道路の片 側には幅約2尺深さ3尺位地割れしていた所がありました。私は亀戸駅で汽車に乗りましたが、内房線は佐貫までで、その先は線路伝いに歩いて行きました。浜 金谷駅で休んでいた時に幸いにも思いがけなかった知人に逢い、トンネル内が崩れて危険だから一緒にと言うので真っ暗なトンネル内をお互いに助け合いながら 無事に通り抜けることができました。いろいろと苦労もありましたが、ようやくの思いで郷里の安房勝山の我が家に辿り着きました。
家に帰って仲良しの旧友と会い東京や田舎などの模様、また地震の時の話を致しました。友人の家は海岸の間近な所にあるのです。 その友人から聞いた話では、地震が来たのですぐ海岸に飛び出したが、その時に見た事は海の水がずっと引いていって、今まで水の中に沈んでいた小島や磯が出 て、それから水が増して来た。しかし、元通りまで来ないで小島や磯が出てしまい、現在の通りになったと話されました。私は海岸を見て「なるほどその通りだ。」と思いました。地震が起きると津波が付き物の様に言われておりますが、関東大震災はそれと反対に海の水が引いて行ったとの事です。私は数日後海岸へ 行き、岩や磯などまた満潮や引き潮時などを見て、たしかに陸地は5尺くらい浮上したと思いました。関東大震災のため、房総半島は陸地が5尺程浮上したとの事です。三浦半島も5尺程浮上したと三崎町二町谷海岸に記録された所があります。
私は時折、郷里の安房勝山に行った時、懐かしの海岸に立ち、「今は陸地になっているが昔はここは海だったなあ。」とおさない頃の昔を思い出します。
平成4年11月
出典:関東大震災の思い出(平成8年9月1日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/
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