//////////////  この記事は「関東大震災の思い出」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえ る大震災への備えとなれば幸いです。(佐山:2011年4月)   ///////////////


 私が震災にあつたのは12歳、小学校5年生の時でした。小田原東海道1号線、小田原城から歩いて15分位のところが家でした 。

 震源地が相模湾伊豆沖でしたから、全市ほとんどの家が全壊でした。小田原城も跡形なく壊れてしまいました。昼時だつたので市中央部は全部火災で焼けてしまいました。私の家は、500メートル位先に大きなお寺があったので、お寺の所で火が止まり、おかげて焼けるのは免れました。

 それから2日3日すると東京方面から関西方面ヘと行く人、また西から東の知人を案じて行く人で大変な人通りでした。私の家は菓子屋だったので、家は壊れてしまいましたが、もち米や小豆が倉庫にありましたので大福を作り早速、壊れた家の前に戸板を敷いて売りました。親や使用人でいくら作っても間にあわない程でした。その中にはお腹がぺこぺこだがお金がない人、家族全部が死んで自分ひとり助かって関西の親戚へ行く人、母は店番をしながら涙を流し大福を食べさせ、途中食べる分を持たせてあげた人々も数多くいました。私は母のそばで見ていたのが、今でも目に残って居ります。

平成4年11月



出典:関東大震災の思い出(平成8年9月1日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/


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