//////////////  この記事は「関東大震災の思い出」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえ る大震災への備えとなれば幸いです。(佐山:2011年4月)   ///////////////


 主題の件、70周年にもなるので、太田和地区に在住する方達にも連絡し、また聞き合わせ、鈴木泰子、小原シズ、浅葉タカ、長瀬ハナ、若命ハツ子、永野松太郎さん方々の協力も頂きました。

 さて、私は太田和に生まれ育って、82才になります。細いたんぼ道を取って、草屋根作りの村役場の裏側(当時の武山不動尊への表参道)を通り武山小学校に通い続け、1年生の時は廣川安太郎先生2年生は新倉先生、3、4年生は小峯先生と代わり、さらに6年生時台は加瀬九十九先生と覚えています。そして校長は永塚兵次郎先生でした。

 この校舎が9月1日の大地震で倒れたのでした。この日私たちは夏休みも終わり、夏期学習帳を持って第2学期の始業式に登校したのでした。通信簿を渡して午前中で終わりました。

 家に帰った時、家では母が昼食の準備をしていたようでした。

 その時です。「あっ地震だよ。」と母の声、無我夢中で家の表へと飛び出しました。

 「崩れると危ないから表へ出ろ。」とまた母の叫び声。私は夢中で表に出ました。ふと気がつくと、妹がいない。あちこちさがしたら井戸流しで足を洗っていたのでした。洗いかけの水を一度に身体にかぶってしまい、びしょびしょぬれになって腹ばいになっていました。でもけがもなく、元気だったので一安心でした。

 しかし間もなくこの地震で中の里では1,2棟、上の里でも2棟ほど、下の里でも2棟ほどは倒れたらしいとの話しが伝わりました。このような情報も子供だった私達にも耳に入った事を覚えています。

 また、気になった学校も「校舎はつぶれた。」と聞き驚きました。

 第2学期は武の東漸寺に通うことになりました。「何時から始まったのか。」「机や椅子は 誰がどのようにして運んだのか」等々はどうしてか思い出せません。またあわせて東漸寺での授業を打ち切り、本校には何時帰ったのかも覚えておりません。

 しかし、ただ6年生は本堂に向かって左側、高等科1,2年生は右側であったことは思い出せます。

 そのころの思い出として、6年生時代、遊び時間にガラスのかけらの裏側に墨を塗り、手製の鏡をつくり、松原千八先生の担当していた高等科の生徒の教室を照らしてひどくしかられた事を思い出します。

 学習の形態が昔の寺子屋スタイルでしたので、休み時間には下の店に菓子を会に出たり、下校の際には回り道をし、夕方遅くなってから帰った事も何度かあり、今となってはかえって懐かしい思い出になっております。

 強い印象として残ってよいはずの復旧校舎への移転、さらには6年生の卒業式の様子等の印象が思い出せないのが不思議に思われるのですが・・・。

 次に、家のことですが、私の家は地盤が頑丈だったためか、少しばかり曲がった程度で大丈夫でした。後になって大工さんに多少手を入れてもらった程度で片付きました。

 次に井戸水。どういうわけか、直後は一時止まりましたが、またしばらくして出だしたようでした。

 かえって前にも増して量も多くなり、近所数軒の家の方まで汲みに来られ、余り水は田圃へ引水した程でした。

 地震から一週間位は余震をおそれてか、また雨も降らなかった事もあってか、前庭に蚊帳を張って夜を過ごしたことが思い返されます。

 そのころ消防団からの連絡で「相模湾に海賊船が来た。とか「朝鮮人が暴動を起こした。」とか「刑務所から囚人が脱走した。」とか、さらにはまた「井戸に毒を入れに来るから注意しろ。」とかの情報があったようです。

 早速近所の方、2,3軒ごとに集まりこれらの情報の対応に当たり、夜は竹槍とか、銃、日本刀を持ち出し、警備にあたったようでした。

 また、地元の他地区では不動尊の麓にあった湯場と呼ばれていた家が裏山の一気に崩れ落ちた山崩れのため埋没し、当時小学校5年生だった吉田外之助君を含め、一家3人が生き埋めとなり、救出作業も間に合わず、犠牲となられたとの話しもありました。

 この辺りまでの事は話し合った皆様とも共通した思い出のようです。

 また、横須賀の海軍軍港では箱崎の重油タンクに火が入り、その黒煙は10キロ以上も離れたこの武山からも見えた事を思い出していられました。

 井戸には蓋をしましたが、そだの束を積み上げたようでした。

 「井戸に毒を入れる。」という噂に井戸の存在をカモフラージュするためか、あるいはまた入れるとしても簡単には入れられないようにしたための工夫だったのか。

 とにかくお互いにいまだ小学生であった時代であっただけに、成り行きの不安におびえて過ごした事が今でもはっきりと思い返される次第です。

平成5年1月



出典:関東大震災の思い出(平成8年9月1日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/


前のページへ : 目次へ : 次のページへ

▼ コメントする

▼ サイト内検索                複数キーワードは半角スペースを挿入