//////////////  この記事は「関東大震災の思い出」(編集:永嶋照之助・鈴木麻知子)から許可をいただいての転載です。88年前の関東大震災の記録から教訓を学びとり、今後起こりえる大震災への備えとなれば幸いです。(佐山:2011年4月)   ///////////////


 あたりは真っ暗、人影は見えないのだが、騒然としていて、付近の間には大勢の人がいる気配は感じる。

 動物園の中央によく見る丸い金網の檻の前、コンクリートの土台の上に私は立っている。

 たった独りで。泣いてはいないが非常に不安で、誰かを待っている。もちろん、父と母であろう。

 「早く来てくれないか。こわい。」そんな思いで立っている私。ただそれだけ。写真で言えばほんの一コマなのだが鮮明に覚えている。

 大分大きくなってから小学校か、女学校の頃か定かではないが、この話を何の気なしに母に話したら、それは、関東大震災の時、「田舎へ避難していく途中、遊園地のそばで一体みした時の事であろう。」との事であった。

 その金網の所に私をつかまらせて小休止した時の印象にまぎれもない事だという。

 私はこの時一大事である。他人に話しても「まさか。」という。

 まるで抜群の記憶力を誇るかのように思われそうなので、余り人には言わないのだが、母の言う事に偽りがなければ、これが私の最も小さい時の記憶と言う事になる。

昭和58年2月26日



補記 / 氷嶋照之助

 和田さん一家は、当時横浜の中区に住まわれ、そこでのあの大地震だったとのこと。

 両親とも二宮の出身だったこともあって、取りあえず、二宮の親戚をたよって御世話になることになる。

 鉄道は動かないので、徒歩での連絡である。2歳に満たない自分、母親に負ぶさっての行動だ。

 この思い出は、この行動中、小休止時したあたりの思い出のようである。

 普通ならとても記憶に残るような時期ではない幼児期、それをたとえ幻状態でも思い出されるということは、それがどんなに大きなショツクだったかが想像される次第です。



出典:関東大震災の思い出(平成8年9月1日発行)
編集:永嶋照之助・鈴木麻知子
発起人:永嶋照之助
http://www8.tok2.com/home2/kantodaishinsai/


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