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場所は神奈川県三浦郡葉山町ど真ん中の新規分譲地。インターネット公募の住宅設計コンペに応募する。当事務所から徒歩5分。早速、現地に行ってみた。
かつて、広大な駐車場だったように記憶している。周辺はしっとりと落ち着いており、そこだけ時代に取り残されたようにぽっかりと草が生えた空き地だったように記憶している。久しぶりに足を運ぶと、あらまあというような新しい住宅街になっていた。

住宅設計競技に参加するため「検事の目」になってあたりを詮索する。築1年〜2年ほどの新しい住宅が建ち並ぶ。みごとに統率の取れていないそれぞれのデザイン。その街に住む家族の年齢構成はデザインからは読み取れない。車を止めようと路肩に寄ると杖をついたお年寄りが一所懸命歩いていた。お年寄りが遠ざかるのを待って車を止めた。そこからは、空気を感じるように五感を働かせ意味もなく歩き回る。嫌な感じはしない。しかし、AM11:30、住人の気配はしない。犬猫もいない。ふと気が付くと、先ほどの杖をついて遠ざかったお年寄りが、まるで欧米の家を小さくしたような家の玄関に吸い込まれていった。サンダル履きでふらふら、ももひきいっちょでふらふらできるような街ではない。みょうに明るく、健康的で、しかし冷たくわがままな街並みに感じた。以前、東京下町の商店街再生プロジェクトでのコンセプト『犬猫老人が回遊出来る街づくり』。そんなコンセプトがここにも必要なのではないかと感じた。

先日、あるご夫婦が住み替えの相談に当事務所にお越しになった。お話しを聞くと、そのご夫婦が暮らしているいっかくが、やんちゃな子供達に占領されて困り果てているので住み替えたいとのこと。詳しくきくと、身勝手に騒ぎ回り無断で敷地内に入り込み悪さをしていくのだと。外から見ているだけではわからない。街それぞれに悩みはあるらしい。

計画地周辺の住まいは、街に対してどういうスタンスで存在しているのか読み取ることはできなかった。街に対して「閉じます」なのか、「開きます」なのか。言い換えれば「周辺の方々と積極的に関わりません」なのか「関わります」なのか。どの住まいもレースのカーテン越しに道路を行き交う人をひっそりと観察しているような意地悪さを感じてしまうのだ。隣人は何をしている人かさえもわからない都市的な住環境になっていくのだろうか。現在の分譲地は、その販売価格帯などから、購入世代が近くなり、まんべんなく多世代が複合的に住み着くということはほとんど無い。おそらく、日曜日はほとんどの家の前で車を洗うお父さん達でにぎわうことはあるだろうが、平日はひっそりとしていることがおおいだろう。私がこの中に住むとしたら「閉じる」だろうか「開く」だろうか。難しい問題だ。自分だけで解決出来る問題ではなく街は何を望んでいるのかを読むことがキーになる。しかし、それを読み解くための先住している住まいのデザインはまるでばらばらに散在している。これは、この地域に限ったことではない、葉山全体が同じような危機にさらされているのである。


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▼ コメント(2)

なんだか昨晩、夢にこの風景があらわれてしまいした。

夢の中でgoronさんの家に遊びにいくのです。
そして窓からのぞいた風景が”これ”でした。


湯河原でも、数十件物件を一斉販売する分譲地では、さまざまな問題いを抱えています。
うちなどは泥棒や車荒らしなどもまったくないですが、分譲地ではそんな事も頻繁におこるらしい。
何か、”気”がおかしいぞ、と思う事がよくある。

りんさん、こんにちわ。

別の人にも、昨日夢に私が出たんですと言われたました。
夢に徘徊しているんでしょうか。わたくし(爆

本文にも書きましたが、分譲地には同じような所得層の御家族が集まりやすくなります。その弊害は思わぬところに出てくるのでしょうね。昼間は一斉に誰もいなくなるとか。
外国人の泥棒の場合、新しい家はお金があるに違いないと思いがちなようですが、家を買ったばかりのところにお金はないのが普通ですよね。日本人だとその辺はわかると思うのですが。だから、新興分譲地には泥棒は行かない。(笑

>何か、”気”がおかしいぞ、

そう思います。最近のいろんな事件が起きるたびに。
他人のことを気にしなくなり過ぎているのが良くないのだと思いますね。最低でも、むこう三軒両隣くらいは誰が何をしていて今日は様子がちょっと違うなといったアンテナをはっているくらいでないと街に住む意味がないと再認識していく必要があると思いますね。

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