我々建築家が住宅を設計する際に頭の片隅に常に気にしていなければならない、あるいは気にしていることのひとつに社会の問題点に対する一般解になり得ているだろうかという視点がある。たったこの世にひとつの家族のためにオンリーワンのすまいを設計するときに具体的に希望事項として表面化していないが、社会潮流としてとらえておかなければならない深いテーマが潜んでいると考える。

それは、やがて来る化石エネルギーの枯渇であったり、都会的隣人不在がもたらす犯罪、家族像の未来などなど多岐にわたる。そんな多彩な通奏テーマの中でも、やはり家族像のあり方には注力している。増え続ける離婚やひきこもりといった事象に対して最小単位の住空間の扱い方でそれらをいくらかでも回避することができるのか。注意深くアンテナをはっている。

今読んでいる本の中に『解離性家族』というキーワードがある。『宮崎勤精神鑑定書』(講談社)に出てくる言葉だ。

『解離性家族』一般に馴染みのない言葉であるが、他の精神科医たちが『機能不全家族』などと呼ぶ言葉と同質の用語であろうか。拒食症や過食症、その他引きこもりなどの心の病理に悩む子どもたちに話を聞くと家族が本来の機能を放棄している場合がある。その際に使われるのが『機能不全家族』という用語なのだが、『解離性家族』というのは、さらに新しい意味を付加しているように見える。もちろん、多重人格が『解離性同一性障害』といわれることを念頭に置いてのことだと思う。

(中略)

もともと、宮崎家の板の間には、大きな卓袱台があった。まん中には漬け物や煮物が置かれ、食事の時は皆が座布団を敷いてそのまわりに座った。また、板の間は工場に向かっても開かれていて、呼べば皆が集まってこれた。いわば、戦後日本の原風景ともいえる卓袱台が、宮崎家では1985年まであった。夫婦関係が悪化し、家族がばらばらになっていく中で、卓袱台だけがかろうじて家族をつなぎ止める役割を果たしていたのかもしれない。

『宮崎勤精神鑑定書』(瀧野隆浩著・講談社)より引用

宮崎勤の家はもともと親の夫婦仲が悪く、家庭事情でリフォームを繰り返し、ついには家族を繋ぎ止めていた食堂も無くなり卓袱台はゴミ置き場に捨てられたようだ。その卓袱台を宮崎は自分の部屋に持ち込み皆で卓袱台を囲んでいたときのことを懐かしんでいたらしい。
このことは最小限の食事という家族行為が、形骸化はしていてもハードの事情で行えなくなり、決定的に家族のつながりが切れてしまったことを意味している。


すまいを設計するとき、図面の中に『リビング』と書くことが当たり前にしてある。しかし、そこで行われる家族行為があまりよく見えないことが多いのも事実だ。ソファが置かれていたとしたら、そのソファには座らずにソファを背もたれがわりにして床に座る。そこでは子どもがテレビゲームをやっている。あるいは、奥さんが昼間ソファに寝ころんでテレビを見ている。夜はご主人がテレビを見ながら風呂上がりにビールを飲んでいる。間違っても、ソファに家族全員がゆったりと座り、めいめい思い思いに何かをやっていて平和で優しい空気が流れているなんて想像出来ない。家族全員で何かをやっているとすればやはり食事なのだ。

宮崎勤の卓袱台と家族関係を知るまでもなく、食事する場所の持つ意味が大きいと思う。団地といわれた公団住宅やマンションが脚光を浴びると同時にnLDKという広さと部屋数を簡易にあらわす呼称が一般化していったが、その中の「L」すなわちリビングという表記は本当に必要だったのだろうか。リビングなんて何をするところかわからない中途半端なスペースを造るくらいだったら、DDあるいはSDとした方がよかったのではないか。(DD〜デラックスダイニング、SD〜スペシャルダイニング)まあ、床面積もいっぱいとれて、家の中で「テレビ場」とか「テレビゲーム場」なんかが造ることができるような場合はそれはそれで良いとは思う。しかし、スペースが限られ家族の絆をしっかりとしておきたいと考えるならば卓袱台スペース、あるいはダイニングスペースの充実を狙う方がマトを得ているのではないだろうか。

ちなみに我が家にはリビングはない。今日の天気を知り、食事をして、テレビを見て、寝転がって、たまには火をいじることができる囲炉裏の間(4.5畳)は一等席にある。それで充分鋭気を養える。不自由も感じない。食事という家族が集まる良い口実の場所を充実させることが、引きこもりを無くしたり、解離性家族あるいは機能不全家族を少なくすることに繋がるように思えてならない。


今日、薪ストーブがご縁で若いご夫婦にお会いした。ハウスメーカーあるいは工務店にすまいを造ってもらう場合と設計事務所に依頼する場合の違いを質問された。かくがくしかじか、設計事務所は建て主の用心棒とお考え下さいと説明。建て主は設計事務所に設計料という用心棒代を払うかわりに海千山千の建築プロ集団から守ってもらうことができ、自分の求めるオンリーワンを探すことができますとも。正しくご理解頂けたかはわからないが、すまいの設計を本業としている設計者は「離婚」「犯罪」「引きこもり」なんかについても真剣に解決方法を考えているということもお伝えすればよかったなあとちょっと反省している。

上記『宮崎勤精神鑑定書』の内容は下記の本から引用

夫婦をゆがめる「間取り」 あなたの家に「家族の営み」はありますか?夫婦をゆがめる「間取り」 あなたの家に「家族の営み」はありますか?
横山 彰人

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▼ コメント(3)

娘のいる私にとって‘宮崎’の様な存在って本当に
心から怖いし、悪魔のような存在です。
ですが、家族と囲んだしっぽく台を懐かしんでいたという本人の気持ちを想像すると心が揺れました。
(とはいえ嫌悪感はかわりませんけど)
ただ、我家にようやく取り付けた薪ストーブも同じ様な役割を果たしているのかなーと思いました。
乳幼児のいる我家にはどうなのかなぁ〜と悩んだ薪ストーブ。。
でしたが、頭で考えるのと経験してみるとではやっぱり違う。。パチパチと音を立てて燃える薪の音が、なんとも心地よいと最近思う様になりました。
家族。私にとって大きなテーマです。

大人がそれも夫婦が自分の子どもにしっかりしかることのできるツールって少なくなってきていませんか?
オール電化は否定しませんが、家の中から裸火(ガスコンロの火でさえも)が無くなっていくと、火の怖さを知る子どもがどんどんいなくなっていくような末恐ろしさを感じます。
そんな意味でも薪ストーブや囲炉裏などは、癒し以上に子どもに伝える自然の脅威のアイテムとして家の中にあるべきだとおもいます。
「火は熱いよ。やけどするから近くに行っちゃいけない。」
そんな熱い親の気持ちを子どもに伝える良いツールになるとも思っています。
>乳幼児のいる我家にはどうなのかなぁ〜
そうですよね。ハイリスク&ハイリターンかもしれませんね。でも、きっとハイリターンはあると思います。

PEACEさんに「しっぽく台」とコメントされたので『?』と思ったので、検索してみました。

●「しっぽく台」(卓袱台)〜《卓の覆いの意》中国ふうの食卓。四脚で高さ一メートル弱。多くは朱塗りで周囲に紅白の紗綾(さや)を垂れる。しっぽく台。(Yahoo!辞書より)
●「ちゃぶだい」(卓袱台)〜 《「ちゃぶ」は「卓袱」の中国音からという》和室で用いる、足の短い食卓。(Yahoo!辞書より)

どちらの読み方でも間違いないようでした。読み方で大きさがちょっと違うようですねえ。私は後者の意味で使っていました。また、ひとつ勉強しました。

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=08197100&p=%C2%EE%EA%E0&dname=0na&dtype=0&stype=0&pagenum=1

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