今日の新聞に携帯電話でTVが見られるようになるとあった。今すでにTV番組あるいはTVは家族の共通話題ではない。チャンネル争いに負けたものが仕方なく勝者につきそい仕方なくそれを見るということはない。裏番組をDVDなどで録画しておけばいいのだ。あるいは、家族分あるそれぞれのTVで見ればいいのだ。一昔前は家族でごはんを食べた後、しばらくは同じTV番組を家族で見ることはあった。今では家族がそれぞれに忙しいのでほとんどないのではないか。少なくとも私が成人するまでの当時に比べて。
私の高校生時代までは、朝食、夕食は家族で食べていた。高校生の時でさえ、18:30には帰宅する父に合わせて家に帰り夕食を共にしていた。その後、私がサラリーマンになってそのような光景は全くない現実に軽く驚きを覚えたものだ。しかし、さるこに話を聞くと家庭それぞれだろうが食事はもうばらばらにとるようになっていたという。家庭それぞれの家族関係もあるだろうが、子どもは子どもで塾通いやなにかで毎日が忙しかったらしい。食事もTVも家族そろってみることは希だったという。

先週、仕事場のスペースを片づけた。毎年更新される建築関係のカタログ類はほとんど捨てた。必要ないからだ。インターネットで検索すれば瞬時に最新情報が手にはいる。割り切って捨てたすてた。ぜ〜〜んぶ捨てた。すると7畳程度の仕事場からすっかりものが減りがらんとしてしまった。「寒々しいね」と嫌みを言うさるこに「クールに仕事をしたいからね」と応戦するがたしかに寒々しい。過去10年ほどの仕事もCD数枚に納まっている。デジタル時代に場所は必要ないのだ。それでもわずかに残しているものは『想い出の品』だ。仕事や遊びその他の手元においておきたいもの。住宅雑誌、真空管アンプ、魚拓、カブトムシの幼虫。
パーソナルスペースの概念が変わりそうだ。ものに依存しているうちはそれなりのスペースが必要だろうが、記録がデジタル化され記憶と想い出だけに実体をもとめるのであれば最小限スペースの概念が変わる。極論すればパソコンさえあれば、携帯さえあれば、仕事はできるしコミュニケーションは可能だ。こうしてブログに記事を書くだけで多くの人と意見交換ができる。もしかして、実体のある家族以上に親密な精神関係を築くこともあり得るだろう。

TVが携帯で見ることができるようになり、食事も一緒にしなくなり、家族が共有するものはいったい何になるのだろう。毎日の時間じゃないのは確か。『岸辺のアルバム』というTV番組があった。洪水か何かで家族のアルバムが流されて無くなってしまうことが、家そのものがなくなることよりも悲しいことと山田太一がいってたような。まさに家族の成長記録こそが唯一家族を実感させることなのかもしれないなあ。とすれば、子どもがいれば小学校高学年くらいまでの家族と行動を共にする時代の記録が揺るぎないものとして繋がっていくためのエネルギーになるのかもしれない。

何故、こんなことを考えるのか。それは携帯でTVを見られるようになることで、記録がデジタル化されることで、食事をすることが家族イベント化され、それも忙しくなる前の子どもとの共有時間のみが家族を繋ぎ止めるエネルギーに…となっていくと、それに求められるこれからのすまい像ってなんなんだろうと考えざるを得ないからである。仕事場をデジタル化した感想から1/3でスペースは充分である。おそらくすまいの広さの概念も大きく変わるだろうなという直感があるのだ。

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▼ コメント(2)

うちの旦那は生まれてこのかた、子供達と朝食を食べた事がない。
今は朝が早く、子供達が起きる前に出かけてしまうのでしょうがないですが、フリーをやっていた7年間は、子供達が出かける時間まで寝ている生活を送っていた、つまり、旦那の一方的な意思で、一緒に食事を取らなかったのだ。
今でも土日、子供達は遅くとも8時には朝食をとるが、旦那は昼まで寝てる。(汗)

うちがぎくしゃくしてしまっている原因はここにあるかもなあ、と思うあたしであります。
旦那はすでに、”家族で食事(時間)を楽しむ事を望まない世代の人間”なのかもしれない。
今の親世代は、自分の親と時間を共有する事を、すでに経験してこなかったのかもしれない。

ふう...。
家族が共有するものはなんだろう....。

むずかしいですよね。
ご主人の成長環境において食事は家族を繋いでいる行為ではなかったのですね、すでに。おそらく、いっぱいいるんでしょうね。コンビニ前でしゃがんでカップラーメンすすっているちびっ子たちを見ると『なにやってんだ!』って親の顔を見たくなっちゃう。(苦笑絶対買い食いなんて許されなかったですからね。友達の家でごはんごちそうになっても怒られましたから。いろんなことが変わっているんでしょうね。かなり。

最低限の共有ってなんだろうとドライに考えれば、家というスペースを共有使用することなんでしょうか。
これって下宿屋に同居しているのと同じですよね。NHK朝ドラのちゅらさんが下宿していたあの下宿。最後はみんな仮想家族のようになっちゃった。家族以上に深くつきあってしまうんだけど。でも、同居人でしかない。家族ではない。
だから、家族ってスペースの共有だけではないのでしょう。

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