今日は朝から久しぶりの雨。記憶によると40日ぶりだ。午前中雑用をしているうちに『イン メモリー オブ 洋之介』セレモニーの時間。案内の中に「 ※服装:平服(CASUAL TO FORMAL UP TO YOU)皆様のお好きな服装でお越しください。」とあったのでいつもの服装で出掛ける。途中、逗子で白い蘭の花束を購入。鎌倉プリンスにつくとかなりの人だかり。スタッフに駐車場の空きを聞くとまだ大丈夫とのこと。坂の上の鎌倉プリンスホテル入り口前の広大な駐車場に滑り込む。そこから海を眼下にしながらバンケットホール前の会場に向かう。セレモニースペースに到着すると父・浩さんの挨拶が始まっていた。千人以上はいるであろうひとだかりに近づくとあることに気がついた。全体的に一群が黒いのである。25歳の若者の突然死、海を愛するサーファー、平服で、とのことなので明るく皆で送ってあげるのかと勝手に思っていた。そこにはごくごく一般的なお別れの会のシーンが展開されていた。3〜4人の知り合いと挨拶を交わすが思いっきりカジュアルな普段と違って皆グレートーンだ。赤いマウンテンパーカーを着てジーンズ姿の私はすこぶる浮いていた。不謹慎だが根っからの湘南葉山の方のお別れ会に呼ばれることでやっと地元に馴染んできたのかと想っていたがまだまだ遠いのかもしれない。セレモニーが終わる正午過ぎ雨足がさらに強まった。


遅い午後、Nさんご夫妻と「すまいの設計前アンケート」を前にヒアリング。途中、『離婚しないためのすまい』について逆に質問される。男の視点と女性の視線は違うのでと前置きし私の仮設を説明。「すまいの中にお父さんの居場所が必要だ」がその仮設。一般的にお母さんや女性の居場所はすまいの中にたくさんある。子どもたちにとってお母さんの存在感は相当なものだろう。そんな自分の存在感が希薄なすまいにお父さんあるいは男の帰巣本能を刺激する場所が必要だということ。よくわからない「家族関係」という精神的なつながりがしっかりしていればそれはそれで問題ないだろう。しかし、所詮夫婦は他人である。いつまでしっかりしているかはわからない。それをハードで繋ぎ止めておくことはできないだろうかというのが私の仮設だ。
また、『自己確立の欲求とすまいづくり』というエントリーで書いているように人間も人生も家族も成長を重ねる。最終的には男も女も人生も家族もその本質を見極めたいという「第5段階」に突入する時期が来る。その向き合うときにすまいの中にそれぞれの居場所が必要ではないか。お母さんの存在感でいっぱいの肩身の狭い我が家ではなく、同志がたくさんいる赤提灯や体内回帰をくすぐる暗闇のバーではなく、お父さんの存在感がデンとしている我が家で「第5段階」を迎えるのが皆の幸せになるのではないだろうか。
お父さんの存在感、帰巣本能、仕事を離れて自分と向き合える場所、そんな仕掛けをすまいというハードに採り入れる。これは簡単そうでいながらかなりむずかしい。すまいを構築する家族の成長過程がマズローで言うところのどの段階かで違ってくるような気がしている。段階が浅ければ浅いほど、「今の生活」に必要なことで構成されがちだ。「今の生活」に直接関係なさそうなアイテムは切りつめられていく。すなわち、お父さんのアイテムが切りつめられていくことが多い。そして存在感も希薄になるのだ。たまたま一般的に「お父さん」がその立場になることが多いので例えているが、逆もあるだろう。極論は家族を構成する全員がそれぞれの居場所をすまいの中に造ることができ、それぞれがつかずはなれず関係を保てるようにできることが望ましいと考える。
それらの関係性を保つことができるアイテムは、卓袱台かもしれないし、薪ストーブかもしれない。が、そのアイテムは家族によってそれぞれであるし、ハードはきっかけにしかすぎず、本質は思いやり合う家族の精神的関係なのだと言うこと。あくまでもハードはサポートでしかない。男の視点の仮設である。どうやら、女性の視線は少々ことなるようだが。


明日から46年目を生きる私はマズローのどの段階だろうか。考えると途方に暮れる。自分のことはよくわからないのだ。自分の居場所はどこにあるのだろうか。そして、どこに向かおうとしているのだろうか。

▼ コメント(5)

こんにちは、ごぶさたしてます。たまに覗かせてもらってます。
その節はお世話になりました。
もうあのお寿司やさんは営業してないのでしょうか。。。
 先日、南伊豆に行ってきたのですが、海はとってもきれいだったけどオサレ度では断然葉山にはかなわないな、と思いましたよ。
 まあ、伊豆は漁師の町って感じですからね(^^;)

お誕生日とのことで、おめでとうございます。
これからも健康に気をつけて、ご家族ともどもお元気で暮らしてくださいませ(ってなんか堅苦しくなっちゃったな)。

先日はどうも。初めて書き込みさせていただきます。
ところでお誕生日おめでとうございます。

住まいに関しては、結構思うところがあります。
わが家は逆パターンで、私が2階のリビングを占領し、
仕事場兼、書斎、兼オーディオルームにしているところから、
年中子どもにまとわりつかれているカミサンの方がストレス倍増。
3階の屋根裏部屋を私の部屋にと画策してみましたが、
物置と化している現状になすすべなく、また冷暖房なしなので、
夏は温室、冬は冷蔵庫。
目下のところ引越しが一番の夫婦喧嘩の処方箋のようであります。
困りました。

>こたろーさん、コメント及び祝辞ありがとうさんです。
お久しぶりです。そうなんですのよ。あのおすし屋さんはあの時が最後でした。超ラッキーなタイミングでしたね。なかなかあんなおすし屋さんには巡り会えないです。いまだに。
男の場合、誕生日って疎ましくも何ともなくうれしいなと思うものでありますが、40半ばを過ぎるといろんな部分に変化が出てきて熟しはじめたのかなあと思うところ大ですね。気持ちだけは青春真っ盛りと気負っていますけど。

>モーリーさん、コメントありがとうございます。
この前も言っていたけど、このブログで私が口から汗をとばしながら書いていることについて『へろへろ〜』ってコメントしづらいですよね。それは私もそう思うのですよ。書き込みしやすいブログって、短い文章でぽろっと弱音を吐いたりしているやつですよね。『あ〜あ、つかれたな。今日』(だけ)とか。
まあ、書いてる方は結構へろへろ書いてたりするんで、いつでも突っ込んでやってください。あっ、祝辞サンクスです。

ところで、モーリーさんちは逆パターンですか。私の少ない経験では、お父さんが家の中にいろんなものを持ち込んで存在感のあるうちってけっこううまくやっていたりするように見受けられます。例外は勿論あるのでしょうが、家に仕事も趣味も持ち込まずに外にばっかり自分の居場所を造ってしまうおとーさんは、やがて家族からも阻害されほんとに家の中に居場所が無くなってしまうような気がしています。しかし、これらの話の基本はやっぱり『思い合える(&あきらめて譲り合える)精神』なんだと思います。ハードでは無理じゃないかとも。
引っ越しすれば問題解決であればさっさとした方が良いのかもしれませんが、はたしてどうやら…。葉山は東京よりも夏冬3℃違うと思うのでいいですよ〜。来ますか?

今日からモーリーさんにひとつトシが近づきましたが、いろいろ不便なところが出てきますね。最近メガネを何とかしないと疲れて仕方ありません。

ごろんさん、
ダンナが自分の趣味部屋を作ってうまくいっている家庭は私の友人&同僚では2種類あります。
一つはダンナがたいへんに精神的に大人で、非常に子供の面倒をよく見てくれる場合。
もうひとつはオクサンが大人で、ダンナに子供と接する機会を作る工夫をしている場合。
(ちなみに私の知っている彼女は、自分の部屋に隠って全然家族と接点のないダンナにこれはまずいと思い、ダンナの部屋からテレビを取りあげたそうです。テレビは居間で見るようになって家族が顔をあわせる時間ができたようです。)
夫婦どちらも、個人としての時間も、家族としての時間も必要なのではないですか。

そうですね。夫婦のうちどちらかが明らかに大人の場合、うまくいくかもしれません。大人でない方は楽でしょうね。おっきな子どもになればいいのですから。釣りバカ日記のハマちゃんはとってもうらやましいです。スーさんだって建前の顔は社長だったりご主人だったりしてるけど、スの顔は子どもの設定ですものね。
所詮、家族関係や夫婦関係は空間操作できるものじゃないと突き放してしまうのは簡単なんだけど、現代病に手を突っ込みたくなるんですよね。可能性があるのではないかと。

>夫婦どちらも、個人としての時間も、家族としての時間も必要なのではないですか。

一般的にどちらの時間が少ないのでしょうね。個人時間と家族時間。
男女関係なく外で働いている場合、どっちも圧倒的に少ないんでしょうね。社会時間が圧倒的に多い。

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