ここのところデザインに集中している。もっかの課題は屋根をいかにきれいにみせるかということ。結果として世の中に具体的な形として現れてしばらくの間、羞恥にさらされるのであれば関わったものとして最高の形にしておきたいと思うのである。様々な制約があり、あえていうとコストだったり、建て主とのセンスの違いだったり、下世話なハードルはたくさんあるのだが、どんな試練を乗り越えても、『えっ?』よりも『へえ!』という形を残したいと思って日々格闘している。

何かで読んだのだが、建築家吉村順三と清家清が決定的に違うところがある。住宅作家として建築教育者として日本を代表する建築家だ。吉村順三は「ここではこうして住まなければいけない」と設計する。清家清は「自由にたたずまいなさい」と設計する。らしい。そう感じたという建築家の感想だ。どちらも建築家のあり方としてあり得ることだし、どっちでもいい。その設計作法の違いを理解して設計依頼するかどうかだ。私は「違いがわかる男の味…」というコマーシャルの記憶がおおきい。確か、小学生の時だったような中学生だったか。インスタントコーヒーを飲みながら、住宅規模の模型を片手に、にんまりとTV に出てくる。私の進路上のあこがれだったかもしれない。清家清である。

実は私に実務上のというか、大学系列上のというか、デザイン上決定的に方針を決めてしまっている事実上の恩師はいない。生き方だったりものの考え方だったりする恩師はいるが、屋根の形はこうでなければいけないと頭ごなしに決定的な方向付けする恩師はいない。それがたぶんいいのだろうと思っている。自分で決めていけばいいのだから。屋根はこうあるべき、住宅はこうあるべきと色を付けられてしまったらそれから逃れるのにずいぶん時間を費やすことになるだろうから。そんな、なんやかんやを乗り越えて50才を過ぎる頃に、大きく一皮むけるのであるのなら、色がついていないなかでもがく方がいいのではないか。

今日、葉山で計画予定があるYさんご夫婦と初めてお会いした。とてもうれしいことに私のブログとたまたま出会いそれを大切にして頂き今日お会いすることになったらしい。奥様は私と同じ道産子。なぜか道産子の場合、ただそれだけで垣根が取り払われてしまう傾向がある。「どんな住まい方をされたいのですか?」とお聞きしたところ「普通の普通の住まい方です!」とっさに「普通の住まい方が一番、むずかしいんですよねえ」と私。私にとっての普通の住まい方とYさんの普通の住まい方はおそらく言うまでもなく大きく違うのだろう。救われるのは、私が常日頃、ここで書いていることに少なからずも共感を持って頂きアクセス頂いたこと。ますます、日々精進を重ねて生活者として住まいと格闘し突き抜けていきたいと思うのである。


芸術は長い。人生は短い。
建築家。清家清展(2005年夏)

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▼ コメント(2)

ゴールドブレンドの名コピーですね。
屋根かぁ〜、我が家には屋根がなくて、屋上になっていますが、それでも、近所は文句をいいます。
覗きをやる目的で作ったに違いないとw
少しでも、周りに日照をと思ってやったことなのですが、近隣の人達にはそんなことも理解できずに、家が建てば腹が立つという法則だけを実行していました。

「男は黙ってサッポロビール」ってのもありましたね。
最近、にがみばしった男のCMってのありませんね。
「う〜ん、マンダム!」なんて男くさって感じで好きでしたけど。(笑

「家が建てば腹が立つ」って、都会は厳しいですねえ。
いい人間関係つくりたくてもつくれませんね。(合掌

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