はじめてお目にかかる工事業者と打ち合わせ。久しぶり。建築条件付きの土地を購入予定のNさんのプロジェクト。その条件付きの分譲地は数十棟からなる大きなもの。半分くらい既にできている。現場を見ながら小さな声で「あんな感じにはしたくないなあ。」とNさんがぽつり。よくある「ぱっとサイデリア」風の乾式工法の外壁がほとんど。プロポーションなど全く考慮されていない。「あんな間取りがいいわあ」「そうですか。こんな間取りですね。」とできてしまったような家ばかり。軒の出もサッシュも屋根も間取りができれば自動的に決定してしまう半オーダー住宅。自由設計とは名ばかりのもの。ファミレスならば価格とその品質が想像でき、大量仕入れの食材のもと、ある程度安く食べることができるので、割り切れば生活者側にもメリットがある。マチ場の食堂がそれをまねてみても価格では太刀打ちできない。ファミレスのメニューを真似てみてもまったく意味がない。高くてまずくなってしまうのが落ち。マチ場の業者に建て売りはできても、自由設計とは名ばかりの売り建てはしんどいに違いない。出来上がったモノは見ている方もつらくなる。
「外壁のラスモルタル下地リシン櫛引は〜」と現場担当者。「やりたいんですけど...。(もごもご)最近、ちょっとクラックが入っただけでクレームがくるし...」「寒冷地だから(←このキーワードが多い)そこに水が入って凍結すると...」「少々のクラックが入っただけでクレームにならなければ...」
モルタルの下地はどのように施工しているのかを確認すると「もう10年はやっていないので...」。10年くらい前であれば、ボード系の下地が大手をふるっていたはず。聞くとやはりそうだ。ラスカット、合板だ。それらを下地にするとボードの継ぎ目でしっかりクラックが入る。在来木造であれば構造体は動いて当然。ボード系はその動きにつられてしまうのだ。よほどしっかり下地を固定していなければ特に。また、ラスカットは15年もすれば腐ってしまいどうしようもないと10年ほど前大工から聞いた。それ以来、私はラスカットなどのボード系面材はモルタル下地に使わない。昔ながらの「あらし」を下地に採用している。杉の小幅板だ。構造躯体の外側に白い紙(透湿防水シート)を巻き、縦胴縁を入れ通気層をとる。その外側にいわゆる「杉の小幅板」をすかすかに横貼りしていき、それに黒い紙(アスファルトフェルト)を貼りモルタル下地とするのだ。そうすることで仮に黒い紙(防水紙)を貫通した水が壁体内に入っても白い紙が水をブロックする。さらに通気層とすかすかの杉板横貼りが乾燥を助ける。加えて、杉板のすかすか貼りとモルタルの間には黒い紙とラス網があり、実はひび割れ対策にこれが良い味を出すようだ。在来木造の躯体(柱や梁)が動いても、黒い紙とラス網が干渉体となりモルタルにまで動きが伝わりにくい。それでなかなかひび割れしにくくなる。
そんな話を施工のプロの前で延々。最後は「多少のクラックを了承してくれるなら。私もやりたいんです」と。実はぱっとサイデリアよりもその方が納まりの自由もきくし、ローコストにもできるのだと。やっと本音が出てきた。こればっかりは膝をつき合わせてみないとわからない。
それ以外にもいろいろ激論。無垢材もできれば使いたくないし、それを内部外部にあらわすこともしたくない。雨戸もできればシャッターに。雨戸の戸袋を造作(ぞうさく)で?とんでもない。うんぬんかんぬん。とにかくお客様からのクレームがないように造りたいのだと。「クレームがないように」それは当たり前。設計者の私としても同じこと。湿式(モルタル)はクラックでクレーム→だから乾式(ぱっとサイデリア)。この単純思考ですべてが造られてゆく。そうすると、Nさんがぽつりと言った「あんな感じにはしたくないなあ。」になってしまう。確かにクレームは少なくなるだろうが、風情も限りなく無くなってしまう。ようは工業製品で住まいが造られるようになる以前のやり方は怖くて仕方ないらしい。ここ10年お付き合いしている工務店さんはそんな弱音を吐くことなく時代をさかのぼってくれていた。久しぶりにある意味時代の最先端をゆく業者さんと討論して、何故あの街並みができるのかへんに納得してしまった。(わかりきっていることだけど)。せっかく今日の業者さんも地域で100年続いている建設業者なのだから、時代のパラダイムシフトを感じても良さそうなのに。もう、戻れないんだろうなあ。
▼旧長沢家住宅 (神奈川県 江戸時代の民家)
大塚・歳勝土遺跡公園にて
軒先の水平ラインと外壁柱の縦ラインがとてもきれいです。
江戸時代にはこんな美しいニッポンがあったんですねえ。
「いえ!」っていう感じです。
美しい佇まいですね。
日本という国はたくさん良い物を作ってきたし、継承してきた
はずなのに・・・ここ数十年で全部ブチ壊してきたような気が
しますね。
私もログハウスや最新設備の整った家なども憧れるけど、
でも、最後に住んでみたいのはこういう昔からの民家かも。
たとえ、不便でも、その不便を楽しみながら暮らせたら
幸せかも。
大黒柱、囲炉裏、土間、土の感触がしっかりある庭。
いいなぁ。
私は土間や囲炉裏がある家を経験した記憶がないんですよ。そういう経験がないのに何故か惹かれるものがありますね。
おそらく、私の知らない何世代か前の記憶がDNAにすり込まれているのかもしれませんね。
会津の田舎では、朝、祖父が囲炉裏(といっても部屋の片隅にあった)で火をおこし、祖母がご飯を炊いていました。
縁側から近所の人がひょいって顔だして、お茶飲みつつ世間話
していたなぁ。
土間はなかったけど蔵があって、夏の昼寝には蔵の二階の長持の
上で寝るのは気持ち良かったなぁ。
そんな田舎の家も新築したら、つまらないただの家になって
その頃から私の足も自然と遠のいていったなぁ。
懐かしい郷愁を感じるのはやっぱりDNAにすり込まれいるのでしょうね。
昔のまんまだと寒いし暗いし段差が多いし。
大変ですよね。
それらを解決していかないと今はとても住みにくいでしょうね。
ただ、それらを解決していくつもりが、シックハウスになり、エネルギー浪費住宅になり、雨風自然を感じない今の住宅になってしまっている。
もう一歩前へ。です。
古きを知り新しきを知る。です。