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海を感じることができる場所にすまいをつくろうとなると、やはり海を意識して計画したい。昔からその場所に住んでいる人であれば、それは様々に多くの工夫かこらされたすまいに育ち、充分海を意識して暮らしてきたのではないだろうか。それが、その地域の必然を備えたすまいとなって地域のカラーをつくっているものと思われる。それは、白い外壁にウッドデッキではなかったのは明白だ。日本のやり方というものがある。近所の昔ながらのすまいを見てみると、低く深い軒、縁側を開け放すと裏の縁側まで風が抜ける、外壁は近所の山でとれたであろう杉の下見板張り。潮風とうまくつきあう工夫が見て取れる。新しいすまいを見てみると、白い外壁に小さい窓、庭にはウッドデッキ。どうみても石積み文化の模倣でしかない。とにかく暖かくかつ外的から守るという視点であればそれでよい。が。海のそばで暮らすのであれば、もう少しその海に寄り添ったすまいのあり方があるのではないか。

海が見えれば、見えることをしっかり意識する。見えると言うことは、海から直接潮風も取り込めるので、海風山風も意識する。四角い箱に小さな窓でも海は見えるが、風は取り込みにくい。すこしでも風を掴むようなデザインにすることで俄然、海風山風はありがたいものに変わる。冬の暮らしも考えると四角い箱と風を取り込むデザインを組み合わせるのが海辺のモダンスタイルではないか。海は見えなくても、海風山風は活用できるので是非実践したい。

次に海を使う人にとってやさしいすまいのあり方もある。海を遊びに使う人、仕事に使う人、息抜きに使う人。いずれにしても海と接する機会がある人には必要なしつらえがある。葉山近辺の新しいすまいをみていると玄関先にシャワーが常設されていることが多い。そういうことである。海を使う人にとってのしつらえはそうでない人とは一風異なるのだ。海を使う準備、使ったあとの始末、それらを含めて楽しむときのそのしつらえのあり方。釣りを例に取ると、明日釣りに出かける準備は楽しい。準備を終えた支度の山を見ているのも楽しい。釣りから帰ってきて釣果をさばく(魚拓をとる、鱗をとる)、道具を洗う、次の釣行にそなえて乾燥させる。これら一連の動きをより楽しく、より内容の濃いものにしたければ、それに合わせたしつらえが欲しい。台所に鱗が飛び散るのを家人が嫌がれば、そとに一カ所水場をつくればよい。道具やレインスーツも家の中を汚さず洗えるし、そのまま外に干すこともできる。その場所に屋根があればなおよい。それが小さな小屋になっていればもっと良い。その小屋が家のリビングと繋がっていて、グラスを傾けながら、準備や片付けができるともっとよい。そばの薪ストーブの火をいじりながら、明日の釣果に思いをはせ、きちんと準備された道具を眺めているときは至福の時だろう。これは、サーフィンであっても、シーカヤックであっても同じだ。きっと、昔の漁師の家には、そんなことを満たしてくれる土間があったに違いない。

いったん海のことを考えはじめると、日頃ストレスがたまる経済活動のことなど、すっかり頭から無くなる。思いは海。家にいながらにしてすでに思いは海原へと飛んでいるのだ。海はそんな不思議な魅力を持っている。不思議な魅力にとりつかれた人にやさしいすまいの特別なあり方があってあたりまえ。そんな視点ですまいをつくっても良いのではないか。おのずと「白い壁にウッドデッキ」だけではなくなるだろう。

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私はこの窓からいつも明日の天気を伺っている。

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